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香中忍のサロンと調香師の観察  作者: 水野沙紀
【第2章】合成香料まみれの若者
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13-香りの核を暴くとき

 「忍さん、開いてますか?」

 Garden Therapy -SHINOBU-の扉を乱暴に開けた誠人に、忍はギュッと目を細めたが、すぐに見開きに変わった。


 誠人の手は、男の胸倉を掴んだままだった。

 忍はわざとらしく大きなため息をつき、


「ほかのお客さまがいらっしゃったら、怒ってますよ」

と、ソファを示した。誠人は首を横に振る。


「コイツの髪型を変えてください」

忍と男が、「え?」と誠人を捉える。


「いいから来い!」

誠人は男を引っ張り、無理やり施術台に座らせる。


 ようやく拘束を解かれたというのに、男はぽかんとした顔のまま、地味な男がカンカンに怒るその姿を目で追っていた。


 誠人はスタッフルームからディフューザーを持ってきて、一つの香りを焚いた。


【本日の調香:オレンジスイートのみ】

 子どもらしい純粋さを感じさせる、フレッシュな甘い香り。心を明るく解き放つ作用は、いまのこの男にぴったりだ。


 さて、ここからは、これまでの観察で見えてきたことを突きつけていく段だ。


「君、実年齢は?」

「え……」

「十代だろ」


 その言葉に、カットの準備を進める忍の手が止まった。


「実は君がお母さんと電話で話すのが耳に入ったんだ。

 容体が悪いのは本当だろうし、お母さん想いの優しい子なんだって感じたよ。

 だからといって、やって良いことと悪いことがわからない年齢じゃないよね?」


「……なんで、そう思うんだよ」

「香りは嘘をつかないからね」

「香り?」

誠人は、視線でディフューザーを示す。男も釣られて目線の先を追うが、意味はわかっていないようだ。


 どこまで伝わるだろうか。それでも誠人は話し出した。


「オレンジスイート。

 精油の中で一番子どもらしく、親しみやすいっていわれる香りなんだ。

 最初は君のこと、合成香料にまみれた虚飾だらけの男だと思ったよ」


「なにそれ、共感覚とか特殊能力ってやつ?」

「いいから聞け」

鼻で笑う男に、誠人はきっぱりと言い切った。


 共感覚でも特殊能力でもない。ただの人間観察だ。


「……」

「こうやって身ぐるみ剝がされて大人しくなるところも、十分子どもっぽいけど……。

 この辺うろついて、誰もが知る大手企業の名前出してるのに、私服で茶髪。名刺の受け取り方も知らない。何もかも作りが甘い。

 社会を知らない子どもだよ。

 ……お母さんと話すときの、距離感もね」


「……」

男は俯いた。全部当たっているのだろう。ほんの微かに「すげぇ」と呟く声が聞こえた。


 ドライフラワーの陰で、忍が拳を顎に当てている。


「芽衣さんとは、マッチングアプリ?」

こくり。男は頷く。


「高卒資格は持ってるよね?」

また、頷く。


 女性の扱いは手慣れていたから、登録してすぐというわけでもないだろう。

「十九歳ってところかな」

「……ああ」

一つひとつ、イエスを積み重ねる。次は自由回答式の質問を交えて、予測を立てながら男の経済状況を確認していく。


 「いままでいくら借りてきたのか」「お母さんの毎月の本当の入院費は」「公的な制度は知っているか」「知っているなら利用しているのか」


 身につけた営業トークの型通りに。


「そうか。

 ……じゃあ、最後に聞くけど……」


おそらく、これがトリガーになる。誠は唇をひと舐めした。


「なんで、真面目に働こうと思わなかったんだ?」

あえて語気を強めて、そう言った。


「……そんなの!」

予想通り、男は目の奥に火花を散らし、顔を上げた。


「そんなの高卒じゃ高が知れてんだろ!

 入院費だって一度にまとまった金が出てく。ボロアパートに住んでたって、カツカツなんだよ。飯も食えねえよ!

 だったら……だったら金ある奴から少しくらいお零れもらって何が悪いんだ!」

そんな答えが返ってくるとわかっていた。


 わかっていたが、だから何だというのだ。


「……ふざけんなよ」

「あん?」

反論しようとする男に対し、誠人は鏡に背を向ける形で真正面から向き合った。男の瞳に、誠人が映る。


 また、胸倉を掴む。Tシャツの襟もとは、ダルンダルンに伸びて、ゴミ箱行きだろう。


「世の中は、決して平等なんかじゃない。

 誰もが恵まれた才能を持っているわけじゃないんだ。

 環境も違えば、努力が実るのだって一種の才能なんだよ。

 超えられないものなんていっぱいある!」


男は反発しようとさらに目尻をキツく吊り上げるが、誠人は止まらない。


「君が見上げてるのは、世の中の上位一パーセント、ほんのひと握りの選ばれた人間なんだよ。

 世の中、九十九パーセントが、君や俺みたいに、普通の凡人なんだ。

 それでも、それでも這いつくばって、なんとか社会に揉まれて生きてくしかないんだ。

 それがわかんないから、ガキなんだ!」


「んな綺麗ごと言ったって、じゃあどうすりゃいいんだ! 金はねえんだよ!」


ガチン――


 誠人の頭突きに、男は「うっ」とうめき声を上げた。


 誠人自身も予想以上の痛みに、一瞬目を閉じて額を擦る。だが、すぐにスマホを取り出し、スクロールして通話ボタンを押した。


「あ。部長、夜分遅くに申し訳ありません~」

相手に繋がると、途端に声が高くなる。


 その切り替わりに、男は目を丸くした。

「はい。はい。じゃあ、来週から連れて行きますので。

 はい。ありがとうございます」

プツッと通話を切った。


「就職おめでとう」

「……」

男はまだ呆然としている。

「忍さん」


 ようやく出番が来たとばかりに、忍は進み出た。


「まったく、私のサロンであんな大声も暴力も控えていただきたい」

「スミマセン。でも、コイツの茶髪を営業職に仕立て直してください。会計は俺が持ちます」

「わかりました。その代わり……」

忍はケープを掛けながら、わざと首元をギュッと締め上げた。


「芽衣さんは、当店の大事なお客さまです。

 女性関係はきちんと整理してください」

「……ヒィ!」


 美形が怒ると怖いというのは、漫画や小説の中だけではなかった――

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