13-香りの核を暴くとき
「忍さん、開いてますか?」
Garden Therapy -SHINOBU-の扉を乱暴に開けた誠人に、忍はギュッと目を細めたが、すぐに見開きに変わった。
誠人の手は、男の胸倉を掴んだままだった。
忍はわざとらしく大きなため息をつき、
「ほかのお客さまがいらっしゃったら、怒ってますよ」
と、ソファを示した。誠人は首を横に振る。
「コイツの髪型を変えてください」
忍と男が、「え?」と誠人を捉える。
「いいから来い!」
誠人は男を引っ張り、無理やり施術台に座らせる。
ようやく拘束を解かれたというのに、男はぽかんとした顔のまま、地味な男がカンカンに怒るその姿を目で追っていた。
誠人はスタッフルームからディフューザーを持ってきて、一つの香りを焚いた。
【本日の調香:オレンジスイートのみ】
子どもらしい純粋さを感じさせる、フレッシュな甘い香り。心を明るく解き放つ作用は、いまのこの男にぴったりだ。
さて、ここからは、これまでの観察で見えてきたことを突きつけていく段だ。
「君、実年齢は?」
「え……」
「十代だろ」
その言葉に、カットの準備を進める忍の手が止まった。
「実は君がお母さんと電話で話すのが耳に入ったんだ。
容体が悪いのは本当だろうし、お母さん想いの優しい子なんだって感じたよ。
だからといって、やって良いことと悪いことがわからない年齢じゃないよね?」
「……なんで、そう思うんだよ」
「香りは嘘をつかないからね」
「香り?」
誠人は、視線でディフューザーを示す。男も釣られて目線の先を追うが、意味はわかっていないようだ。
どこまで伝わるだろうか。それでも誠人は話し出した。
「オレンジスイート。
精油の中で一番子どもらしく、親しみやすいっていわれる香りなんだ。
最初は君のこと、合成香料にまみれた虚飾だらけの男だと思ったよ」
「なにそれ、共感覚とか特殊能力ってやつ?」
「いいから聞け」
鼻で笑う男に、誠人はきっぱりと言い切った。
共感覚でも特殊能力でもない。ただの人間観察だ。
「……」
「こうやって身ぐるみ剝がされて大人しくなるところも、十分子どもっぽいけど……。
この辺うろついて、誰もが知る大手企業の名前出してるのに、私服で茶髪。名刺の受け取り方も知らない。何もかも作りが甘い。
社会を知らない子どもだよ。
……お母さんと話すときの、距離感もね」
「……」
男は俯いた。全部当たっているのだろう。ほんの微かに「すげぇ」と呟く声が聞こえた。
ドライフラワーの陰で、忍が拳を顎に当てている。
「芽衣さんとは、マッチングアプリ?」
こくり。男は頷く。
「高卒資格は持ってるよね?」
また、頷く。
女性の扱いは手慣れていたから、登録してすぐというわけでもないだろう。
「十九歳ってところかな」
「……ああ」
一つひとつ、イエスを積み重ねる。次は自由回答式の質問を交えて、予測を立てながら男の経済状況を確認していく。
「いままでいくら借りてきたのか」「お母さんの毎月の本当の入院費は」「公的な制度は知っているか」「知っているなら利用しているのか」
身につけた営業トークの型通りに。
「そうか。
……じゃあ、最後に聞くけど……」
おそらく、これがトリガーになる。誠は唇をひと舐めした。
「なんで、真面目に働こうと思わなかったんだ?」
あえて語気を強めて、そう言った。
「……そんなの!」
予想通り、男は目の奥に火花を散らし、顔を上げた。
「そんなの高卒じゃ高が知れてんだろ!
入院費だって一度にまとまった金が出てく。ボロアパートに住んでたって、カツカツなんだよ。飯も食えねえよ!
だったら……だったら金ある奴から少しくらいお零れもらって何が悪いんだ!」
そんな答えが返ってくるとわかっていた。
わかっていたが、だから何だというのだ。
「……ふざけんなよ」
「あん?」
反論しようとする男に対し、誠人は鏡に背を向ける形で真正面から向き合った。男の瞳に、誠人が映る。
また、胸倉を掴む。Tシャツの襟もとは、ダルンダルンに伸びて、ゴミ箱行きだろう。
「世の中は、決して平等なんかじゃない。
誰もが恵まれた才能を持っているわけじゃないんだ。
環境も違えば、努力が実るのだって一種の才能なんだよ。
超えられないものなんていっぱいある!」
男は反発しようとさらに目尻をキツく吊り上げるが、誠人は止まらない。
「君が見上げてるのは、世の中の上位一パーセント、ほんのひと握りの選ばれた人間なんだよ。
世の中、九十九パーセントが、君や俺みたいに、普通の凡人なんだ。
それでも、それでも這いつくばって、なんとか社会に揉まれて生きてくしかないんだ。
それがわかんないから、ガキなんだ!」
「んな綺麗ごと言ったって、じゃあどうすりゃいいんだ! 金はねえんだよ!」
ガチン――
誠人の頭突きに、男は「うっ」とうめき声を上げた。
誠人自身も予想以上の痛みに、一瞬目を閉じて額を擦る。だが、すぐにスマホを取り出し、スクロールして通話ボタンを押した。
「あ。部長、夜分遅くに申し訳ありません~」
相手に繋がると、途端に声が高くなる。
その切り替わりに、男は目を丸くした。
「はい。はい。じゃあ、来週から連れて行きますので。
はい。ありがとうございます」
プツッと通話を切った。
「就職おめでとう」
「……」
男はまだ呆然としている。
「忍さん」
ようやく出番が来たとばかりに、忍は進み出た。
「まったく、私のサロンであんな大声も暴力も控えていただきたい」
「スミマセン。でも、コイツの茶髪を営業職に仕立て直してください。会計は俺が持ちます」
「わかりました。その代わり……」
忍はケープを掛けながら、わざと首元をギュッと締め上げた。
「芽衣さんは、当店の大事なお客さまです。
女性関係はきちんと整理してください」
「……ヒィ!」
美形が怒ると怖いというのは、漫画や小説の中だけではなかった――




