11-本質を覆うウォッカ
「それで私を呼び出したのですね」
合成香料の男、自称山本翼を見かけた駅前のカフェ。窓際カウンター席に陣取った誠人は、長身の美丈夫に言われて言葉に詰まった。
ガシガシとストローを噛む。
あさひには「俺が何とかするから!」と啖呵を切ったものの、一人で行動するのには不安もあり、忍に連絡を取ったのだ。
「仕方ないじゃないですか。俺は一般人なんですよ」
「それは私も同じです」
テイクアウト用のコーヒー片手に、それだけで絵になる男を一般人枠に当てはめたくない。
「あの男が、この駅を頻繁に使っている保証はあるのですか?」
「カモにしてる女性がいるなら、そのうち遭遇しますよ」
忍は高い位置から、横眼で誠人を盗み見た。
「カモって言い切りましたね」
「だって、どう考えてもクロです」
そんな軽口を交わしているときだった。
「忍さん、いました。いましたよ!」
繁華街に向かって、ターゲットの男がスマホを耳に当てて進んでいく。
「……一日でヒットするとは…」
BGMに掻き消えそうな小さな声で、忍は呟く。
焦って鞄を引っ掴んだ誠人は、泰然と構える忍をぐいと引っ張り、足早に店を後にした。
店の看板、電柱、曲がり角。
付かず離れず、身を潜めながら追跡するが、誠人は既に後悔しかけていた。
(この男を連れてきたのは失敗だったかもしれない)
忍の周りを、道行く人が避けていく。人混みに紛れることができないのだ。
「忍さん、もうちょっとオーラ消したりできないんですか?」
「オーラ?」
そうだった。この人は自称「壁」、自分の異質さを認識していない。
「あそこ、止まりましたよ」
囁き声で、口早に忍が言う。
翼は自販機の前に立ち止まり、通話を続けていた。
誠人と忍は近くの定食屋前に陣取り、メニューを見ているふりをして、男のほうに耳を傾けた。
(きっと、複数の女性に電話してるんだろうな……)
だが、聞こえてきた声は、どこか幼く、まろやかなものだった。
「大丈夫だって、母さん。
金ならなんとかするし、差額ベッド代なんか気にしないでちゃんと療養してくれよ」
(え……)
「……」
「……」
追跡者二人、思わず顔を見合わせる。
「だから、心配すんなよ。ったく、そんなに心配ばっかしてたら、また容態悪くなるだろ。来週は見舞いに行く時間作るからさ、先生の話も俺が立ち会うし」
男は腕時計を確認する。
「母さん、悪い。このあと用事があるから切るな。また電話するから。
……え? 前にも言ったじゃん。通話料かけ放題使ってるから、そんな金のことばっか心配すんなって」
じゃあ。とスマホをポケットにしまい、自販機の反射を鏡代わりに、髪を直す。
そのままポケットに手を突っ込み、また歩き始めた。
誠人は、動けなかった。
高潮していた熱が一気に足元まで下がり、地面に張り付けられてしまったような感覚に陥る。
「追わなくていいんですか?」
「…………」
黙って俯く誠人に、忍は呆れたようにため息をついた。
「彼の事情はわかりません。ですが、あさひさんに報告してあげるのでは?」
「そう、ですね」
そうだ。あの男を追うと決めたのは、後輩を安心させるため。
誠人は自分を鼓舞するよう、鼻の穴を膨らませてぐいと忍を仰ぎ見た。
「行きましょう」
◇
「二股は確定ですね」
Garden Therapy -SHINOBU-のソファにて、忍は撮影した写真をタブレットで表示しながら淡々と言った。
誠人は二つのことについて、ただただ頭を抱えていた。
一つは忍の倫理観。興信所や探偵事務所でもないのに、盗撮は犯罪ではないのだろうか。あとで調べておかないと。
そして、本題のもう一つ。
翼と自称する男は、先日誠人が見かけた女性と会っていた。そのときと同じように、仲睦まじく腕を絡ませて。
ついでにまた金をせびっていた。
「恋愛詐欺……に当たるのか?」
「どうでしょう。電話で話していた様子からすると、母親の病気には真実味があります」
誠人も顔を上げないまま首肯する。
「相手の女性にその理解があり、二人で支えているということであれば、それは他人が介入する問題ではないでしょう。
ですが、芽衣さんとの関係は二股でしかありません」
「ですよねぇ……」
今度は投げやりな気分で、ソファの背もたれに、だらんともたれかかった。
「板野さんに、なんて言おうかな」
「…………」
「…………」
エアコンの風が頬を撫で、ドライフラワーの海をカサリと揺らす。
「誠人くんの見立てでは、あの男はどんな香りがするのですか?」
「え……?」
誠人は体を起こした。
ジッとこちらを見据えるアーモンドアイに、背中がざわりとする。試されているような心地がした。
「最初は、合成香料だと思いました」
「ほう」
「けど……なんていうのかな……」
「……」
香りと言葉の折り合いを辿る誠人を、忍は待った。
「トイレや部屋の消臭剤なんかは、化学物質を混ぜた鼻がひん曲がりそうな匂いですよね。匂いを匂いでごまかすっていう感じの。
でも……色んな精油をアンバランスに調香したら、それも同じように不快な香りになるんですよ。しかも、失敗すると換気してもしばらく部屋に残るからキツイんですよね」
姉に怒られた記憶を思い出す。
小学生の誠人にとっては、調香は理科の実験と変わらなかった。興味津々で、ビーカーに色んな精油を落としていたら、とんでもない香りが家中に広がってしまったのだ。
「どんな香りだって、相性があるんです。バランスも。
強い精油に負けてしまう香り。
最初に立ち上がってすぐ消える香り。
広がる範囲は狭くて、側に寄らないと意外と気づかないのに、長く残る香り。
そういうのが、ごっちゃに混ざり合うと、すごく……」
「すごく?」
誠人は、鼻の穴をひくりとさせた。
「強烈で、どの精油の良さも消してしまいます」
翼という男だって、母親と電話しているときは、甘くて優しい香りがした。幼さが抜けきらないような。もしもそれが本質なら……。
ふと、嫌な見立てが脳裏に過ぎった。
まだ確信はない。
けど、あの香りは髪を直した瞬間に覆い隠され、あのビーカーのような匂いになった。
「あ……」
「どうしました?」
「一つ、俺がほとんど使わない基材があるんです」
歳の離れた優しい姉が、あそこまで怒ったのは初めてだったんじゃないだろうか。あまりの怖さにわんわん泣いて、それでも許してくれなかった。
『子どもが使うもんじゃないでしょ!』
『こういうのは、大人の男になったら使いなさい!』
「と言いますと?」
「ウォッカです」
「……ほう?」
忍はゆるりと拳を結び、顎に当てた。
ウォッカ……それはオリジナル香水を作るとき、つまりは印象操作の常套アイテム。




