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香中忍のサロンと調香師の観察  作者: 水野沙紀
【第2章】合成香料まみれの若者
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11-本質を覆うウォッカ

 「それで私を呼び出したのですね」

合成香料の男、自称山本翼を見かけた駅前のカフェ。窓際カウンター席に陣取った誠人は、長身の美丈夫に言われて言葉に詰まった。


 ガシガシとストローを噛む。


 あさひには「俺が何とかするから!」と啖呵を切ったものの、一人で行動するのには不安もあり、忍に連絡を取ったのだ。


「仕方ないじゃないですか。俺は一般人なんですよ」

「それは私も同じです」

テイクアウト用のコーヒー片手に、それだけで絵になる男を一般人枠に当てはめたくない。


「あの男が、この駅を頻繁に使っている保証はあるのですか?」

「カモにしてる女性がいるなら、そのうち遭遇しますよ」


忍は高い位置から、横眼で誠人を盗み見た。


「カモって言い切りましたね」

「だって、どう考えてもクロです」

そんな軽口を交わしているときだった。


「忍さん、いました。いましたよ!」

繁華街に向かって、ターゲットの男がスマホを耳に当てて進んでいく。


「……一日でヒットするとは…」

BGMに掻き消えそうな小さな声で、忍は呟く。


 焦って鞄を引っ掴んだ誠人は、泰然と構える忍をぐいと引っ張り、足早に店を後にした。


 店の看板、電柱、曲がり角。

 付かず離れず、身を潜めながら追跡するが、誠人は既に後悔しかけていた。


 (この男を連れてきたのは失敗だったかもしれない)


 忍の周りを、道行く人が避けていく。人混みに紛れることができないのだ。


「忍さん、もうちょっとオーラ消したりできないんですか?」

「オーラ?」


そうだった。この人は自称「壁」、自分の異質さを認識していない。


「あそこ、止まりましたよ」

囁き声で、口早に忍が言う。


 翼は自販機の前に立ち止まり、通話を続けていた。

 誠人と忍は近くの定食屋前に陣取り、メニューを見ているふりをして、男のほうに耳を傾けた。


 (きっと、複数の女性に電話してるんだろうな……)


 だが、聞こえてきた声は、どこか幼く、まろやかなものだった。

「大丈夫だって、母さん。

 金ならなんとかするし、差額ベッド代なんか気にしないでちゃんと療養してくれよ」


 (え……)


「……」

「……」

追跡者二人、思わず顔を見合わせる。


「だから、心配すんなよ。ったく、そんなに心配ばっかしてたら、また容態悪くなるだろ。来週は見舞いに行く時間作るからさ、先生の話も俺が立ち会うし」

男は腕時計を確認する。


「母さん、悪い。このあと用事があるから切るな。また電話するから。

 ……え? 前にも言ったじゃん。通話料かけ放題使ってるから、そんな金のことばっか心配すんなって」

じゃあ。とスマホをポケットにしまい、自販機の反射を鏡代わりに、髪を直す。


 そのままポケットに手を突っ込み、また歩き始めた。


 誠人は、動けなかった。

 高潮していた熱が一気に足元まで下がり、地面に張り付けられてしまったような感覚に陥る。

「追わなくていいんですか?」

「…………」

黙って俯く誠人に、忍は呆れたようにため息をついた。


「彼の事情はわかりません。ですが、あさひさんに報告してあげるのでは?」

「そう、ですね」

そうだ。あの男を追うと決めたのは、後輩を安心させるため。


 誠人は自分を鼓舞するよう、鼻の穴を膨らませてぐいと忍を仰ぎ見た。

「行きましょう」



 「二股は確定ですね」

 Garden Therapy -SHINOBU-のソファにて、忍は撮影した写真をタブレットで表示しながら淡々と言った。


 誠人は二つのことについて、ただただ頭を抱えていた。


 一つは忍の倫理観。興信所や探偵事務所でもないのに、盗撮は犯罪ではないのだろうか。あとで調べておかないと。


 そして、本題のもう一つ。


 翼と自称する男は、先日誠人が見かけた女性と会っていた。そのときと同じように、仲睦まじく腕を絡ませて。

 ついでにまた金をせびっていた。


「恋愛詐欺……に当たるのか?」

「どうでしょう。電話で話していた様子からすると、母親の病気には真実味があります」


誠人も顔を上げないまま首肯する。


「相手の女性にその理解があり、二人で支えているということであれば、それは他人が介入する問題ではないでしょう。

 ですが、芽衣さんとの関係は二股でしかありません」


「ですよねぇ……」

今度は投げやりな気分で、ソファの背もたれに、だらんともたれかかった。

「板野さんに、なんて言おうかな」

「…………」

「…………」

エアコンの風が頬を撫で、ドライフラワーの海をカサリと揺らす。


 「誠人くんの見立てでは、あの男はどんな香りがするのですか?」

「え……?」

誠人は体を起こした。


 ジッとこちらを見据えるアーモンドアイに、背中がざわりとする。試されているような心地がした。


「最初は、合成香料だと思いました」

「ほう」

「けど……なんていうのかな……」

「……」


香りと言葉の折り合いを辿る誠人を、忍は待った。


「トイレや部屋の消臭剤なんかは、化学物質を混ぜた鼻がひん曲がりそうな匂いですよね。匂いを匂いでごまかすっていう感じの。

 でも……色んな精油をアンバランスに調香したら、それも同じように不快な香りになるんですよ。しかも、失敗すると換気してもしばらく部屋に残るからキツイんですよね」


 姉に怒られた記憶を思い出す。

 小学生の誠人にとっては、調香は理科の実験と変わらなかった。興味津々で、ビーカーに色んな精油を落としていたら、とんでもない香りが家中に広がってしまったのだ。


「どんな香りだって、相性があるんです。バランスも。

 強い精油に負けてしまう香り。

 最初に立ち上がってすぐ消える香り。

 広がる範囲は狭くて、側に寄らないと意外と気づかないのに、長く残る香り。

 そういうのが、ごっちゃに混ざり合うと、すごく……」


「すごく?」


誠人は、鼻の穴をひくりとさせた。


「強烈で、どの精油の良さも消してしまいます」


翼という男だって、母親と電話しているときは、甘くて優しい香りがした。幼さが抜けきらないような。もしもそれが本質なら……。


 ふと、嫌な見立てが脳裏に過ぎった。

 まだ確信はない。

 けど、あの香りは髪を直した瞬間に覆い隠され、あのビーカーのような匂いになった。


「あ……」

「どうしました?」

「一つ、俺がほとんど使わない基材があるんです」


 歳の離れた優しい姉が、あそこまで怒ったのは初めてだったんじゃないだろうか。あまりの怖さにわんわん泣いて、それでも許してくれなかった。


 『子どもが使うもんじゃないでしょ!』

 『こういうのは、大人の男になったら使いなさい!』


「と言いますと?」

「ウォッカです」

「……ほう?」

忍はゆるりと拳を結び、顎に当てた。


 ウォッカ……それはオリジナル香水を作るとき、つまりは印象操作の常套アイテム。

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