9-あさひが落とす陰
「クロ。絶対クロ!」
すぐ近くのカフェに入り、席に着くなり誠人は机をダンと叩いた。
近くに座るカップルや女性組がギョッとして、目を背けた。
「落ち着いてください。あの男がクロなのは、おおよそ予想通りではないですか」
「じゃあ、このあとどうするんですか……」
「…………」
忍は運ばれて来た紅茶を受け取りながら、しばし考えているようだった。
仕方なしに、誠人もストローに口をつける。冷たいアイスコーヒーとほろ苦い酸味が口いっぱいに広がり、少しだけ冷静さが戻ってきた。
「板野さんに連絡してみようかな」
頭を俯けたまま、揺れるコーヒーの表面を眺めてポツリと呟いた。
「板野さんというと?」
「俺の会社の後輩です。たまたま見かけたよ、みたいな感じで」
「ふむ…‥それで何が動くとも限りませんが」
「何もしないよりはいいです」
真正面から忍の瞳を捉えて睨みつけた。興奮が収まったのも一瞬。目の奥が、チカチカと爆ぜるように熱い。
フンッと鼻息を荒げて、誠人はメッセージを打ち込んだ。
そのまま雑にテーブルに放り出し、背もたれにもたれかかる。
――ブブ
返信はすぐに来た。
『本当ですか!? どんな人でした? いい人そうでしたか?』
思わず顔をしかめてしまう。忍が身を乗り出してきたので、画面を見せた。
「これはこれは……」
「板野さん、そうとう心配してますよね、これ」
忍は首を縦に振って同意を示した。
続けざまに、メッセージが届いた。
『プライベートで恐縮なのですが、もしよければ、芽衣ちゃんのことお話聞いてもらえないですか?』
ビジネスとプライベートの織り交ざった文体。誠人は忍に目配せしてから、返信した。
『俺でよかったら、話を聞くよ。何かあった?』
『いま、電話できますか?』
誠人はイヤホンマイクをスマホに挿し、片方を忍に渡す。
二人が耳に装着したところで、誠人のほうから通話ボタンを押した。
「もしもし」
『あ、尾花さん。出先ですよね?大丈夫でした?』
「大丈夫だよ。気にしなくていいから。それより話って?」
職場の先輩モードで、誠人は答える。
『実は……』
先日、“芽衣に関する調査”を目的にあさひと雑談をしていたら、ぽろっと「不幸体質」とこぼしていた。追求しようにも濁されてしまったが、あさひとしても、ずっと引っ掛かっていたらしい。
「そうか。ご両親の離婚から、芽衣さんは変わっちゃったんだね」
『はい。あとたぶん……』
「たぶん?」
『芽衣ちゃんのお母さんが女医で、大手病院の経営一族だからっていうのもあると思うんです』
誠人はパッと忍の顔を見た。黙って頷くあたり、知っていたのだろう。母親の伝手で芽衣がGarden Therapy -SHINOBU-に来ているのだから、当然といえば当然だ。
あさひによると、中学時代に家や親のことが周りに知られると、浮いた存在になってしまいったという。近寄る人もお金目当て。
離婚してからは、「医者になれ」という母親の圧力も強くて、却って勉強もせず男性依存になってしまったそうだ。
『大学受験はなんとか私が家庭教師をして、合格できたんですけど…大学でもあんまりうまくいかなくて』
「そうか。それは心配になっちゃうね」
『……はい。
って、すみません。お出かけ中なのに、こんな話聞いてもらって。
でも、私にとっては妹みたいな子だから、新しい彼氏さんがどんな人か、気になっちゃいました』
あはは。と、小さく笑うその声は、乾いていた。
「ぜんぜん気にしないで。俺でよかったら、いつでも話聞くし」
『ありがとうございます。
ほんと、尾花さんって頼りになります!』
あさひの語尾が跳ねた言い方に、忍はもの言いたげに、ジーッと誠人の顔を見つめた。
『尾花さんみたいな人が、芽衣ちゃんの彼氏だったらよかったのになぁ』
「え、お、俺?」
『はい。尾花さんだったら、安心して妹を預けられます!』
(喜んでいいのか、わからない……)
一言二言あいさつを交わし、通話を切った。
忍はイヤホンを外して、誠人に返す。その口角は、ニンマリと上がっていた。
「なんですか?」
「いえ。職場ではずいぶん雰囲気が違うものだなと思いまして」
喜色をはらんだ声が憎々しい。カップにひと口つけてから、「やはりヘアセットを覚えてはいかがですか」なんて言ってくる。もっとオシャレに気を遣えということか。
「そんなことより!」
軽く机を両の拳で叩いて、話を断ち切った。
「芽衣さんのお母さんの話も知らなかったし、めちゃくちゃ重いじゃないですか。男性依存って、そうそう簡単に乗り越えられるものでもないでしょう」
「そうですね」
「こんなの、どうやって解決しろっていうんですか……」
誠人は両手でぐしゃりと頭を抱え込んだ。
「ヘアセットが乱れます」
「悩める一般男子に、そんな美意識求めないでください」
「私が仕上げた作品なのに」
「やめてください。サブいぼが立つ」
「……あなたのような真面目な方が、芽衣さんと交際してくれると早いんですけどね」
「はあ?」
淡々と言ってのける忍に、誠人はうんざりとした反応を示した。
「ですが、どうやらそれは良い判断ではないようですね。後輩の方からもずいぶん慕われている」
言ってから忍は目を細め、窓から渋谷の街を見下ろした。
「この人混みから二人を探すのは無理ですし、明日になったら板野さんという方からもっと何か聞いてみてください」




