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香中忍のサロンと調香師の観察  作者: 水野沙紀
【第2章】合成香料まみれの若者
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8-合成香料との対峙

 この世界有数の乗降者数を誇る駅で、誰も彼もが好き勝手に行き交うなか、こんなに人とぶつからずに歩いたのは生まれて初めてかもしれない。


 ローズオットー級の美形。いや、いっそ歩くと人が自然と避けていく「モーゼ」と改名させてもらおうか。


 老若男女の視線を集めてはいるものの、この男の背中にくっついているだけで、スイスイ進めるのだから不思議だ。


 「いました。芽衣さんですね」

ハチ公口にあるキッチンカーに身を隠しつつ、忍は言った。


 (なんというか、ドラマで見る探偵や刑事みたいな気分だ)


 忠犬ハチ公の前には、外国人観光客が撮影の列をなしている。


 その周りの生け垣前に、抜け感のあるグレージュの髪を巻いた女の子が立っていた。

 フリルのついた白いカットソーに、丈の短い紺色のスカート風ショートパンツ。

 有名ブランドのポシェットが、奇妙なアクセントになっている。


 「あれじゃあ、悪い男に寄ってきてくださいって言ってるようなもんじゃん」

「同感です」

言ってから、不満げにぎゅっと眉根を寄せた。忍も自分の美意識や審美眼とやらとに相反するようだ。


「せっかく髪を整えたのに、服装だけYanks(アメリカのヤンキー)。美しくない」


なんだか妙に発音がいい。思わず見上げると、珍しくバツが悪そうな顔をしていた。


「もしかしてイギリスに住んでました?」

「…………」

忍は唇を真一文字に結び、目を合わせようとしなかった。


 話したくないなら、別に構わない。


「で。本当に俺が声かけるんですか?」

「はい。まずはあなただけで。そのあと、私が待ち合わせに遅れたということにして、出向きます」


やけに芝居がかっている。けど、ここまで来たのだから、腹を括るしかない。


「じゃあ行ってみますけど、早めに何とかしてくださいね」

誠人は黒いマスクを装着した。


 「芽衣さん……ですか?」

誠人が声を掛けると、芽衣はパッと顔を上げ、そして怪訝そうに表情を強ばらせた。


 明らかに警戒されている。

「あ。急にスミマセン。俺、Garden Therapy -SHINOBU-のスタッフです。アロマを調香した」

「……あぁ!気づかなくてごめんなさい。すごい偶然ですね!」

「いえいえ」


芽衣の横に立つと、彼女はチラチラとスマホを気にする素振りを見せた。


「あ、あの。私、このあと彼氏と待ち合わせなんです」

「奇遇ですね。俺もここで待ち合わせしてるんですよ」

「彼女さんですか?だったら、離れてたほうがいいんじゃ……」


芽衣は一歩距離を取る。


 恋人との待ち合わせ前に男性と一緒にいて、誤解を生みたくないのだろう。

「あー残念ながら彼女じゃないんですよね」

あはは…と苦笑まじりになんとか会話を続ける。


「お友達とですか。それはそれで、私は困るんですけど……」

会話が尻すぼみになる。このさい合成香料でもローズオットーでもいいから、早く来てくれ。


 「芽衣ちゃん!お待たせ……って、それ誰?ナンパされてる?」

合成香料のほうが先だった。


 ぐいと誠人の肩を引き、芽衣とのあいだに割り込んだ。手慣れたように、芽衣の手を握る。ポッと芽衣の顔が赤らんだ。

「この子、俺の彼女だから、悪いけどほか当たって」


ギリギリと睨みつける顔が怖い。何が優しい大人だ。ただのヤンキーではないか。


「誠人くん、お待たせしました。おや、芽衣さんではないですか」

「忍さん!」


人垣の中から悠然と現れた筆舌しがたい美形に、合成香料の男は勢いを失い、頬を引きつらせた。


「芽衣ちゃん、この人たち知り合い?」

「うん。私が行ってる美容院の店長さんとスタッフさん。

 今日のデートに合わせて、昨日行ってきたんだ」

「へ、へぇ。そうなんだ……」


男がザリと地面を擦った。番狂わせの人物たちに苛立ちを隠せていない。


「そんなことしなくても、芽衣ちゃんは十分可愛いよ。

 女の子って、美容やファッションにお金かかって大変だろ。

 俺はそんなこと気にしないからさ」


芽衣のきれいに巻かれた髪に指を絡ませながら、翼は芝居がかったふうに言った。芽衣も嬉しそうに身を寄せる。


 (まるで下手くそなメロドラマ……)


「山本翼さんでしたっけ?」

そんな二人のあいだに、忍のテノールボイスが割って入った。

「え、なんで名前……」

「ごめん。昨日メッセージが来たとき美容院にいて、私が話しちゃった」

警戒心をにじませる男に、芽衣が小さな声で囁きかける。


「あ、あぁ。そうなんだ」

芽衣に向かってパッと笑顔を取り繕う切り替えが、なんともうさんくさい。


「芽衣さんとお母さまにご贔屓にしていただいている美容院Garden Therapy -SHINOBU-のスタイリスト、香中忍と申します」

言いながら、忍は名刺を差し出した。キッチリと名刺入れの上に乗せ、三十度のお辞儀を添えて。

「あ、あぁ~どうも」

男は芽衣の手を離そうともせず、指先で摘まむように受け取った。


 これは、どう判断したものだろうか。


 店員がプライベートで店の押し売りをしてきたら、わざと雑な態度を取るかもしれない。だけど、誠人なら相手がビジネストーンで名刺を差し出したら、両手で受け取り、自分も渡そうとするだろう。


 忍も思うところがあるようだ。ゆるりと手を結び、顎に当てている。


 そして、芽衣から聞いた会社名を出し、

「そんな大手メーカーの方とお会いすることもありませんから、ご挨拶させていただきたく」

と言った。


「失礼。プライベートでは名刺は持ち歩かない主義なんです」

その受け答えには淀みがない。


「俺たち予約してる映画があるので、そろそろ……」

「これはこれは、水入らずのところ大変失礼しました」

「いえ。びっくりしたけど、会えて嬉しかったです。忍さん、お兄さん、またね!」


指を絡ませ、恋人繋ぎに握り直した二人を見送ってから、誠人と忍は頷きを交わした。

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