6-アンバランスな調香レシピ
芽衣のGarden Therapy -SHINOBU-来店当日。
誠人はなぜか施術台に座らされた。
「あの、こないだ髪切ったばかりですよ」
「カットはしません」
忍は誠人に髪に櫛を入れ、細かく分けた毛束にヘアアイロンを挟んだ。くるくると回しながら、あっちへこっちへと動かす。
いつも適当に、自作ヘアバームつけるだけの誠人の髪だが、忍の手によってふわりと空気をはらんだ。前髪もセンターに分けられ、イマドキのおしゃれ男子のようだ。
「すごい」
感嘆のため息が漏れた。鏡に向かって顔を左右に振り、どうなっているのかと確認してしまう。
忍もえらくご満悦の様子だ。
「癖も少なく、男性にしては柔らかい髪質なので、扱いは難しくありません。自分でも簡単にできますよ」
「自分でやろうとは思いませんね」
「……もったいない」
忍は不服そうに椅子の高さを下ろした。
「けど、これでマスクしたら身バレはしなさそうですね」
床に降り立ち、誠人は鏡に身を乗り出し、鼻をこする。
「それが狙いです」
「ありがとうございます」
「……はぁ、本当にもったいない」
アーモンドアイを半眼に伏せ、忍はヘアアイロンのコードを回収する。
そんなに残念がられても困る。黒いマスクを受け取って、誠人は調香の準備にかかった。
◇
「こんにちはぁ~!」
舌ったらずな高い声が、店内に響いた。芽衣の到着だ。
誠人は席まで案内すると、アロマの解説をしていく。
「アロマって興味あったんですけど、何から始めたらいいかわからなかったからラッキー!」
ルンルン気分とはこういうことだろうか。大して年代も変わらないのに、こんなハイテンションなんてとうに忘れてしまった。
芽衣が選んだ精油は、初めて会ったときの印象に近かったが……最終的な調香に、誠人は一つだけ不穏さを覚えた。
【本日の調香:ゼラニウム・レモン・イランイラン】
ゼラニウムはフローラルな香りで、薔薇よりも軽いが近いといわれている。まさに女性性を表す象徴として、そして心の揺れ動きがあるときにも好まれる精油だ。
レモンは瑞々しく無邪気な子どもらしさで愛される。第一印象の芽衣そのもの。
ただ、イランイラン……問題はこれだ。官能的とも言われる香りは、どう考えても芽衣の印象とは合わない。
――そこから導き出されるのは……
「まだまだ成熟してないのに、大人の恋に憧れています。安定感がなく、いろいろと矛盾した気持ちを抱いていそうです。
普段からメンタル的な揺れが多いのではないですか?」
「…………」
忍は真顔で受け止めたあと、納得と諦めといった具合に、深く嘆息した。
「芽衣さんの両親は、彼女が中学生の頃に離婚しているんですよ」
「そうなんですか」
「はい。男性絡みのトラブルは、そこに起因しているとは思っていたのですが……」
たしかに家庭環境に何かしら事情を抱えていたら、交際関係にも影響しそうだ。一概に当てはめることはできないものの、そういうケースはよく耳にする。
「だからといって俺には何もできませんよ」
「……」
「できませんからね」
念押しするが、半眼の主は不服そうだ。ほんの少し、唇を尖らしているようにも見える。表情の代わり映えがないと思っていたが、だんだん読み取れるようになってきた。
「俺は調香します。イランイランはちょっと配合が難しいので集中させてください」
「難しいとは?」
「簡単に言うと、香りが強いんです。レモンなんかは揮発性が高いので最初に鼻について、すぐ香りが飛ぶんですが、イランイランは強いのに長く残るので、ちょっと相性が……」
「なるほど。そういう点でも、不安定さが内在しているのですね」
「そうですね。レモンとイランイランは真逆。子どもらしさと大人っぽさのシンボルのようなものです」
それを聞いて、忍はまた一つため息をついた。
「今度の彼はとっても大人で優しいんですよ~!」
ヘアカラー剤の施術中、芽衣はスマホから手を離さず、ずっと画面を忍に見せていた。
「楽しそうな写真ばかりですね」
「はい。休日はいろんなところに連れて行ってくれて~」
ほわわん、と蕩けそうな表情で頭を傾ける芽衣。その頭をぐいと押し戻しながら、忍はカラー剤の塗布を続けた。
「でも、夜はなかなか会えないんです。残業が多いみたいで、社会人って大変ですよね」
しゅんと肩を落とし、唇を突き出す芽衣に、誠人はザラザラとした不快感を覚えた。
(それはきっと、違う女のところに行っているからだろう)
「寂しいですね。どんなお仕事をされてる方なんですか?」
「メーカー勤務って言ってました」
「ほう。優秀な方なんですね」
「よくわからないけど、そうだと思います」
「私も知ってる会社ですかね?」
芽衣の口から出てきたのは、誰もが知る大手企業だ。
嘘くさい。
そもそも誠人が見たのはスーツ姿ではなかった。明るい髪色からしても、本社や営業所勤務ではないだろう。
かといって、メーカーの製造工場があるのは基本的に郊外や地方だ。通勤時間や家賃を考えても、都内に住むのは道理に合わない。
芽衣に話したプロフィールは、嘘に塗り固められているのだろう。
これでは営業として潜入することもできない。
ポロロン――
芽衣のスマホが鳴った。
「あ。ちょうど翼くんからだ!」
メッセージを確認しようと、指が動く。
「翼さんというのですね」
「はい。山本翼くん。名前もカッコいいですよね!」
(偽名っぽさ満載じゃないか)
メッセージを開いた芽衣の顔が、ふっと曇った。
「どうしました?」
「……あぁ。翼くんのお母さん、あんまり体調よくないらしいんですよ。でも明日は会えるから心配しないでって」
(そういえば昨日の会話でも母親の話が出ていた。入院費を借りたとか……。え。それってまさか……!)
「……そうですか」
「お母さん想いの、優しい人ですよね」
「……」
忍は、何も答えなかった。