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香中忍のサロンと調香師の観察【第4章】朝6時更新  作者: 水野沙紀
【第2章】合成香料まみれの若者
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6-アンバランスな調香レシピ

 芽衣のGarden Therapy -SHINOBU-来店当日。

 誠人はなぜか施術台に座らされた。


「あの、こないだ髪切ったばかりですよ」

「カットはしません」

忍は誠人に髪に櫛を入れ、細かく分けた毛束にヘアアイロンを挟んだ。くるくると回しながら、あっちへこっちへと動かす。


 いつも適当に、自作ヘアバームつけるだけの誠人の髪だが、忍の手によってふわりと空気をはらんだ。前髪もセンターに分けられ、イマドキのおしゃれ男子のようだ。


「すごい」

感嘆のため息が漏れた。鏡に向かって顔を左右に振り、どうなっているのかと確認してしまう。


 忍もえらくご満悦の様子だ。


「癖も少なく、男性にしては柔らかい髪質なので、扱いは難しくありません。自分でも簡単にできますよ」

「自分でやろうとは思いませんね」

「……もったいない」

忍は不服そうに椅子の高さを下ろした。


「けど、これでマスクしたら身バレはしなさそうですね」

床に降り立ち、誠人は鏡に身を乗り出し、鼻をこする。


「それが狙いです」

「ありがとうございます」

「……はぁ、本当にもったいない」


 アーモンドアイを半眼に伏せ、忍はヘアアイロンのコードを回収する。

 そんなに残念がられても困る。黒いマスクを受け取って、誠人は調香の準備にかかった。



 「こんにちはぁ~!」

舌ったらずな高い声が、店内に響いた。芽衣の到着だ。


 誠人は席まで案内すると、アロマの解説をしていく。


「アロマって興味あったんですけど、何から始めたらいいかわからなかったからラッキー!」

ルンルン気分とはこういうことだろうか。大して年代も変わらないのに、こんなハイテンションなんてとうに忘れてしまった。


 芽衣が選んだ精油は、初めて会ったときの印象に近かったが……最終的な調香に、誠人は一つだけ不穏さを覚えた。


【本日の調香:ゼラニウム・レモン・イランイラン】

 ゼラニウムはフローラルな香りで、薔薇よりも軽いが近いといわれている。まさに女性性を表す象徴として、そして心の揺れ動きがあるときにも好まれる精油だ。

 レモンは瑞々しく無邪気な子どもらしさで愛される。第一印象の芽衣そのもの。


 ただ、イランイラン……問題はこれだ。官能的とも言われる香りは、どう考えても芽衣の印象とは合わない。


 ――そこから導き出されるのは……


 「まだまだ成熟してないのに、大人の恋に憧れています。安定感がなく、いろいろと矛盾した気持ちを抱いていそうです。

 普段からメンタル的な揺れが多いのではないですか?」


「…………」

忍は真顔で受け止めたあと、納得と諦めといった具合に、深く嘆息した。


「芽衣さんの両親は、彼女が中学生の頃に離婚しているんですよ」

「そうなんですか」

「はい。男性絡みのトラブルは、そこに起因しているとは思っていたのですが……」


たしかに家庭環境に何かしら事情を抱えていたら、交際関係にも影響しそうだ。一概に当てはめることはできないものの、そういうケースはよく耳にする。


「だからといって俺には何もできませんよ」

「……」

「できませんからね」


念押しするが、半眼の主は不服そうだ。ほんの少し、唇を尖らしているようにも見える。表情の代わり映えがないと思っていたが、だんだん読み取れるようになってきた。


「俺は調香します。イランイランはちょっと配合が難しいので集中させてください」

「難しいとは?」


「簡単に言うと、香りが強いんです。レモンなんかは揮発性が高いので最初に鼻について、すぐ香りが飛ぶんですが、イランイランは強いのに長く残るので、ちょっと相性が……」


「なるほど。そういう点でも、不安定さが内在しているのですね」

「そうですね。レモンとイランイランは真逆。子どもらしさと大人っぽさのシンボルのようなものです」

それを聞いて、忍はまた一つため息をついた。


 「今度の彼はとっても大人で優しいんですよ~!」

ヘアカラー剤の施術中、芽衣はスマホから手を離さず、ずっと画面を忍に見せていた。


「楽しそうな写真ばかりですね」

「はい。休日はいろんなところに連れて行ってくれて~」


ほわわん、と蕩けそうな表情で頭を傾ける芽衣。その頭をぐいと押し戻しながら、忍はカラー剤の塗布を続けた。


「でも、夜はなかなか会えないんです。残業が多いみたいで、社会人って大変ですよね」

しゅんと肩を落とし、唇を突き出す芽衣に、誠人はザラザラとした不快感を覚えた。


 (それはきっと、違う女のところに行っているからだろう)


「寂しいですね。どんなお仕事をされてる方なんですか?」

「メーカー勤務って言ってました」

「ほう。優秀な方なんですね」

「よくわからないけど、そうだと思います」

「私も知ってる会社ですかね?」


 芽衣の口から出てきたのは、誰もが知る大手企業だ。

 嘘くさい。


 そもそも誠人が見たのはスーツ姿ではなかった。明るい髪色からしても、本社や営業所勤務ではないだろう。


 かといって、メーカーの製造工場があるのは基本的に郊外や地方だ。通勤時間や家賃を考えても、都内に住むのは道理に合わない。


 芽衣に話したプロフィールは、嘘に塗り固められているのだろう。

 これでは営業として潜入することもできない。


 ポロロン――

 芽衣のスマホが鳴った。


「あ。ちょうど翼くんからだ!」

メッセージを確認しようと、指が動く。


「翼さんというのですね」

「はい。山本翼くん。名前もカッコいいですよね!」


 (偽名っぽさ満載じゃないか)


 メッセージを開いた芽衣の顔が、ふっと曇った。

「どうしました?」

「……あぁ。翼くんのお母さん、あんまり体調よくないらしいんですよ。でも明日は会えるから心配しないでって」


(そういえば昨日の会話でも母親の話が出ていた。入院費を借りたとか……。え。それってまさか……!)


「……そうですか」

「お母さん想いの、優しい人ですよね」

「……」

忍は、何も答えなかった。

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