5-テニスコートに忍ぶ薔薇
(ここって……探偵社じゃなくて美容院のはずだよな……)
忍からの指令は、後輩のあさひを通して芽衣のプライベートを探ること。
入手した情報を提供した二日後、仕事帰りに呼び出された誠人は、忍から渡された資料の束を前に言葉を失った。
「あまり時間がなかったのですが、芽衣さんの恋愛遍歴について調べてみました」
サラリと言ってのける忍に、誠人は手に持った資料からゆっくりと顔を上げた。
「つかぬことを伺いますが……」
「なんでしょう?」
「ここって美容院ですよね?」
「何をいまさら」
いやいや、一般の個人美容院のオーナーが、なんでこんな複数人の個人情報を掴んでいるのか理解ができない。
「あんた探偵かスパイなのか!」
「はい?」
「一、二、三、四人……たった二日でどうやってこんな人数調べたんだよ!」
そう。「芽衣さんの恋愛遍歴」と事もなげに言うが、そこにはびっしりと過去の男の情報がしっかりとプロファイルされていた。個人サロンの片手間にやれる行動量でも情報量でもない。
「あなたのおかげです」
「はい?」
今度は誠人が問い返した。
「芽衣さんの大学や学部は知っていましたが、サークル情報までは知らなかったので助かりました。
テニスバッグを持って該当のコート周辺をウロウロしてみたんです」
既にいくつかツッコミたいことがあるが、まずは話を聞こう。誠人はテーブルに肘をつき、そこに顎を乗せた。
「そうすると、OBかと声を掛けられまして、いろいろと教えてくれました。
いまどきの大学生は人見知りをしないものですね」
「えーっと。テニスバッグを持って、とのことですが……平日ですよね?」
「はい」
「仕事はどうした!」
思わずテーブルにバンッと手をついて顔を上げた。
「ああ。そんなことですか……。
サロンは個人店ですし、紹介制なので、比較的時間の自由が利きます」
それって売上はどうなるんだ。
「ここって施術料めちゃくちゃ高かったりします?」
「いえ。そんなこともありません」
ザッとメニューを教えてくれるが…高い。率直にいって十分カットで済ませてしまう誠人にとっては高い。
だが、ひとまずは呑みこむとしよう。
それでも、営業で鍛えた計算によると赤字に至る。どうやってこのサロンを維持しているのだ。
「前にもお話したように、商品開発をしているので、日中はそちらの仕事のほうが多いですね」
そうだった。この男にアロマ男子バレしたのも、それが原因だった。
「そっちの売上が良好ということか」
独り言ちるよう、誠人は呟く。
「ご明察。なので、予約の希望があっても埋まっているといえば問題ありません」
なんというか、羨ましい。自分のスキルで、自分の好きなように生きて、時間も自由。いわゆる成功者ではないか。
一つため息をついてから、話を促した。
「それで、テニスバッグはわざわざ買ったんですか?」
「いえ。テニスには少々心得があります。
バッグやラケットのデザインなど、少し古いものでしたが、それが却ってOBらしさになったようですね」
「あ。テニスはやってたんだ」
充実したキャンパスライフの代名詞でもある“テニスサークル”なんて、イメージは一切湧かないけれど。というか、美容師なら大学ではなく美容系の専門学校か。
「はい。子どもの頃から嗜んでました」
「……お坊ちゃま?」
「それはさておき……」
話を切り上げ、続きを語り出す忍の傍らで、誠人は学生たちに混ざるこのローズオットーの姿を想像してしまった。
◇
テニスコート脇に佇む、往年のテニスバッグを背負った美丈夫。
「あれ誰?」「うわ、イケメン」女子生徒たちがヒソヒソと肩を寄せ合う。
声を掛けてみようという話になり、飲み会やインカレ、恋愛…つまりは男漁りに積極的な二、三人がフェンス側の忍に歩み寄る。
「すみませ~ん。ここのOBさんですか?」
甘ったるい声で話しかける女子A。
「……」
否定も肯定もせず、じっと瞳を見つめ返す忍。
「知人がこのサークルに入ったということで、少し様子を見に来ました」
「そうなんですね!よかったら入ってください!」
迎え入れられ、コート内がざわめき立つ。
ベンチに腰掛けてテニスシューズに履き替え、リストバンドを着ける。
そこにわらわらと寄ってくる、女子、女子、女子の渦。遠巻きに戸惑いの目を向ける男子たち。
程よい相槌を打ちながら、いつの間にか輪の中心になってしまう。
そして、「少しだけ」なんて言ってコートに降り立つ。太陽を背にその長身の体躯をしならせ、バシンと白線ギリギリに強く打ち込まれるサービス。柔らかな髪がキラキラと揺れ、シャツがめくれる。
黄色い歓声が上がる。
そうして、女子の心をゲットした忍は、何を聞いても怪しまれることもなかっただろう。
◇
「聞いていますか?」
「……あ。えーっと」
「聞いていなかったのですね」
「スミマセン」
忍はため息をつくと、再度話してくれた。
「芽衣さんはいつも交際期間が短いと思っていたんですよ。
どうやら男運が悪いようですね」
くいっと顎を上げ、誠人が手に持ったままの資料を示した。
「だからって、こんなすぐに調べられるものですか?
忍さんって何者?その名のとおり忍?」
「ただの美容師です」
「自称『壁』のね」
適当に相槌を打ちながら、誠人は資料に目を通す。
「あれ、いま交際中の男の情報がありませんよ」
「はい。わかりませんでした」
どういうことだろうか。誠人は顔を上げた。
「交際期間が短いようで、まだサークルメンバーにあまり知られていないようです」
「そういうことですか」
(それにしても……)
二股、妻子持ち、束縛男、万引き現行犯……。
「ダメ男の吸引力が強すぎる」
「そうなんです」
忍は陶磁器のような額に、深く…深く、しわを刻んだ。
「当店には高校生の頃から通っている大切なお客さまです。
ですが……どうやら、芽衣さんのほうこそ、周りの学生からいい印象を持たれていないようなのです」
その状況を察して、誠人は胸に、ぐるぐるとした濁りが広がった。
本人に悪気がなかったとしても、外から見たら、「泥棒猫、浮気、メンヘラ、犯罪者の恋人」……そんなふうに映るのではないだろうか。
「なんとかしてあげたいです」
この男なりの優しさについては理解した。しかし、誠人にも言い分はある。
「……あのですね」
「はい」
「さすがにアロマ焚いただけじゃ、悪い男除けのお祓いにはなりませんよ。
芳香浴はあくまで気持ちのリセットや美容がメインなので、男運の悪さをどうにかできるわけじゃありません」
「そうですね」
「認めましたね!
はい、これは俺にはどうにもならない相談です!」
アッサリした忍の様子に、誠人は勝ち誇ったようにバサっと資料をテーブルに放った。
「なので、次回来店のさいは、あくまで情報収集に留めようかと」
「そうしてください」
話半分で答えて、いそいそと鞄に手を伸ばす。
超然じみた男だ。きっと自分でなんとかしてしまうだろう。
「あなたはオフィス営業と言っていましたね」
「そのとおりです。しがない営業パーソンです」
「いまの交際相手は会社員ではあるようなので、勤務先がわかったら、オフィス営業として入り込んでください。男の情報が整い次第、次の手を考えましょう」
「は?」
「バイト代は出します」
だから何を言っているんだ、この男は。
「いやいやいや、どう考えても無理ですって!」