4-禁忌の合成香料
ぐったりと重い足取りで、繁華街の会社帰りの列に加わる。
アスファルトには、無数の靴と、取り残されたようにポツリポツリと点在する小さな塵たち。
足早に追い越していく隊列も視界に入るが、その中に入る気力はない。前を行く足元ばかりを見つめていた。
結局、芽衣の調香を引き受けることになった。顔バレ防止に、マスクを用意してくれるらしい。
芽衣と顔を合わせたのも一瞬だったから、気づかれることもないだろう。
アロマを焚いたら、あとは身を隠していればいい。
それでも、Garden Therapy -SHINOBU-を後にしてから、漏れ出るため息が止まらない。
ドン。
肩がぶつかり顔を上げると、相手はスマホを耳に当てながら、顔の前で手刀を切り「すみません」のポーズを示した。
その顔を見て、脊髄のあたりがざわついた。
芽衣の写真に写っていた男ではないか。すっきりした輪郭にハリのある高い頬、柔和な二重まぶたが乗っている。無造作に立てた髪色はずいぶん明るい。髪型とひょろりと長い手足のせいで、写真よりも幼く見えた。
それと同時に、激しい嫌悪感が鼻についた。合成香料の靄をまとっている。
しばし立ち止まって目で追ってしまう。
街灯の下で、男に向かって手を振る女性の影があった。男が駆け寄ると、二人は肩を寄せ合い、腕を絡ませ合った。
(え……?)
世界の灯りが二人だけを照らし出した。街中の喧騒が遠くに聞こえる。
オフィススタイル。会社帰りを思わせる女性の高い声が、耳の内側に真っ直ぐ届く。
「お母さん、大丈夫そう?入院費足りたかな?」
「ああ。急だったから、今回は本当に助かったよ」
男が答える。
「よかった。今度は私もお見舞いに行かせてね」
「母さんの容態が安定したらな」
鼻腔の奥に、昼に会った、幼さの残る危うい香りが蘇る。
気づくと、誠人は駅に向かう人垣に歯向かうよう、Garden Therapy -SHINOBU-に向かって駆け出していた。
「…そうでしたか」
忍の声を頭上で受け止める。誠人は体の中で暴れる呼吸を整えようと、半身を折って膝に手をついていた。
出された水をぐいっと一気に飲み干して、ドンッとテーブルにグラスを叩きつける。ゆっくりと、大きく二度、三度と呼吸を繰り返した。
「あんな奴のために、芽衣さんの背中を、押したくありません」
それでも、酸素を求めて肩が上下する。いったいどれだけ必死に走ったというのだ。
「それは私も同感です。男の風上にも置けない」
「なので、やっぱり今回の件は協力できません!」
ドライフラワーの静けさの中に、誠人の声が反響した。
「……どうしてそうなるのですか?」
「はあ?」
どこまでも淡々とした様子の忍に、こめかみのあたりが締めつけられた。頭が沸騰しそうだ。
「だって、芽衣さんはその男のために可愛くなりたいんですよね。
けど、このまま交際が続いたって……」
「交際を続けさせなければいいんです」
「……は?」
言っている意味がわからない。
「しかし、熱に浮かれた女性というのは、周りが何を言おうと聞く耳を持たない可能性がありますね」
誠人を置いてけぼりにして、忍は結んだ手を顎に当てた。
「では、こうしましょう」
……なんてこった。それは調香師の範疇を越えているではないか。