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香中忍のサロンと調香師の観察【第4章】朝6時更新  作者: 水野沙紀
【第2章】合成香料まみれの若者
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3-薔薇の棘にはご用心

 「お願いします! 次の依頼は断らせてください!!」


 会社を定時ダッシュで引き上げたあと、誠人は迷うことなくGarden Therapy -SHINOBU-へと駆けつけた。


 ちょうど来客はおらず、東屋ソファに座って作業していた忍に、開口一番そう拝み倒した。

 忍はしばし無言のまま誠人を見つめ、ソファに座るよう促した。


「急用か何かですか?」

「実は……」

誠人は、会社の後輩の友人が、忍から送られてきた顧客情報と同一人物だと話した。


「そうですか。では、特に問題ありませんね」

「問題って……大ありですよ!」


誠人の焦燥感を帯びた物言いに、忍はパチパチと大きく瞬きする。


「俺は、その…アロマ好きって隠してきたんですよ。

 会社では一応成績も出して、二年目でも部下を任せてもらって、普通の一般男性として過ごしてるんです」

「はあ……」

「なのに、趣味がアロマってバレたら……」

「バレたら?」


尻すぼみになる誠人に、忍は追い打ちをかける。


「は、恥ずかしいじゃないですか」


スーツを着て昼にラーメンをズルズル啜っているような……つまりは名無しの権兵衛が、夜な夜なアロマと戯れているなんて、あまりにもマニアックすぎて他人には知られたくない。


「あなたのアロマは趣味といいますが、その専門性は十分研究者の様相を帯びていると思いますよ」

「そういうことじゃなくて……」

どうしたらこの男に伝わるのだろう。暖簾に腕押しとはこのことか。誠人は頭を抱えて項垂れた。


 ローズオットーのような芳醇な香りを漂わせる美形が、おしゃれな個人サロンを経営していたって、常連客相手に芝居がかった言葉を吐いたって、それはそれで絵になるだろう。


 けれど、そんなのはごく一部の人間に許された特権なのだ。この男はそれを認識しているのだろうか。


 ふいに、自分を「壁」と称した忍の言葉を思い出した。

 もしかしたら、まったく無自覚にそう言っているのかもしれない。


「あの、率直に疑問だったんですけど……」

「はい」

「なんで俺を雇おうと思ったんですか?」


忍は端正に整った眉間にしわを寄せ、アーモンドアイをスッと細めた。


「それは、お伝えしたと思ったのですが、やはり私は話すのは得意ではないようですね」

その通りだ。マイペースにどんどん話を進めるから、真意が読めない。


「要は、あなたは自分を過小評価しているということです」

「…………」


これまた話が飛躍した。まずは三段論法を覚えてほしい。誠人はどうやって話を繋げようと、こめかみに人差し指を置いて考えたが……。


「スミマセン。何が言いたいのかわかりません」

「そうですよね」


(そこはあっさり認めるのか……!)


 忍は、ついと店内に視線を走らせた。


 観葉植物ではなく、至るところに飾られた大小さまざま、多種多様なドライフラワー。天井からも垂れ下がっていて、三六〇度どこを向いても視界に入る。


 そう。まるで海の中を漂っているように……。

 波間に差し込む光――ドライフラワーの切れ間に鎮座するのは、大きな振り子のついた柱時計。


 「人は誰しも、その人なりの価値基準を持っていると、私は考えています。審美眼、美意識、倫理観……」

「……」


語り出した忍に、誠人は居住まいを正して、じっと耳を傾けた。


「このサロンもそうです。私の考えを投影しています」


 忍の視線を追って、もう一度店内の一つひとつに目を凝らしていく。

 このドライフラワーの海が、忍の思考の現れ……。

 何を伝えようとしているのだろうか……。


 「あなたの呼吸は、この空間と共通するものがあると思ったんです」


 その言葉に、誠人は諦めたように目を閉じた。眉間にぎゅっと力が入ったのを起点に、顔中の表情筋が引きつっていく。「う~ん」と喉から唸り声が洩れた。


「不服そうですね」

「はい。まったく以ってそのとおりです」


(そんな気取ったポエミーみたいな言葉では、一般人には理解できないんだよ)


「ふむ……」

忍はゆるりと手を握り、顎に当てた。何か考えるときのこの男の癖だ。


 それでも、なかなか次の言葉は出てこない。表情には出さないが、本気で悩んでいるのかもしれない。

 一、二分ほどそうしていてかと思ったら、ゆるゆると首を振って、手もほどいた。

 代わりに、タブレットを手に取る。


「芽衣さんですが……」

「芽衣さん?下の名前で呼ぶんですか?」

「ええ。お母さまのご紹介なので、佐々木さまでは被ってしまいます」

「なるほど」

仕切り直すように、忍はタブレット内に保管されたカルテを開く。


 そこで、誠人は平手を相手の眼前に突き出し、ストップをかけた。

「俺、断りにきたんですけど」

「存じています。なので、あなたにはきちんと依頼した理由をお話したうえで判断していただこうかと」


 それは一理あるかもしれない。

 だが、こういう押しの強い相手には、先手を打っておかないと結果的に巻き込まれるのだ。今回は後輩の友達。なんとしても阻止したい。


「佐々木芽衣さま、一九歳。大学二年生。この春休みに三カ月交際した彼氏と別れ、思い切って髪型を変えたのが前回です」

誠人の気持ちを置き去りに、忍は淡々と語り出した。


「今回、新しい彼氏ができたからもっと可愛くなりたいとご予約をいただいたのですが、少々……」

「少々?」

「……ふっ」

忍はタブレットから顔を上げず、上目遣いに誠人を捉えた。


 誠人の中に警鐘音が鳴り響く。

 艶やかな香りに引き寄せられ、いつの間にか棘だらけの蔓で絡めとられている気分だ。

「気になりますか?」

そして香りを放つ花が、満開に咲き誇る様を見せつけるような笑みを浮かべた。

「…………」

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