表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
香中忍のサロンと調香師の観察【第4章】朝6時更新  作者: 水野沙紀
【第1章】ローズオットー級の美形
11/48

9-悲鳴を上げる犯人

 「あ、あのスミマセン。俺、急に話に割り込んで」

思いのほか、二人の反応がこちらに集中してしまい、誠人は慌てて立ち上がった。


「えっと、市川さま、先月マンションから戸建てにお引越しされてますよね?」

取りつくろうよう、明るい声で問いかける。

「え、えぇ……」

震えは治まったようだが、まだ肩を抱いている。


「市川さまは、ご実家もマンションでしたか? けっこう高層階の?」

「はい。十階建ての、七階に住んでました」

「戸建てに住まわれるのは初めてですか?」

「そうです」

「それでしたら……」

「――――」


言いかけた誠人に、忍は目顔で近くに来るよう促す。


「し、失礼しました!」

 忍が、施術台の横に木製の折り畳み椅子を用意してくれた。

 なるほど。立っているとお客さまを見下ろす形になってしまう。誠人は椅子に浅くちょこんと腰かけた。


 小さく咳払いをしてから、話をまとめ始める。


「市川さまが、戸建てのお住まいに引っ越しをなさったのは、先月なんですよね?」

「はい。あの……まさか家に何か憑りついているなんて言わないでくださいよ」


疑わし気な市川に、誠人はゆるりと首を振った。


「そうだったら、家を販売したメーカーに賠償を請求して、新しい家を用意させてやりたいところですが……」


俗物的な物言いに、市川はふっと力ない笑みを浮かべた。よかった。話は聞いてくれそうだ。


「戸建てに住むのは初めて、で、お間違いないですか?」


「はい。先ほども言ったように、実家はマンションでしたし、会社も実家から通ってました。結婚前に夫と同棲を始めたときに、マンションを借りて。

 今年になって、やっと念願の戸建てを購入したんです」


「以前お住まいのマンションも、高層階でしたか?」

「五階だったから、それほど高層というわけでも……」


 それでも、十分地面からは離れている。

 これで合点がいった。

 誠人は、安心させるように笑みを深めた。


「わたしの実家は戸建てだったんですが、子どもの頃に、同じように外で赤ちゃんが泣いていると思って、大慌てで寝ている姉を起こしたことがあります」

「え?」

「そしたら、姉には『美容に悪い!』と怒られたんですけど……」

「はあ……」

「そのときに教わったんです。その声について」


 市川は、息を詰めて誠人を凝視した。


「おそらく原因……いえ、犯人は、猫です」

「……え?」

「発情期の猫は、夜になると、悲鳴みたいな鳴き声をあげるんですよ」

「…………!」

市川の顔が、驚きに染まった。


 その後ろで、忍はゆるりと握った手を顎に当てている。


「……猫?」

「はい。もしかしたら、お庭や窓の近くに、入り込んでいるのかもしれません。

 それか、窓から見える場所に猫がいて、息子さんがご覧になったのではないでしょうか。

 また会いに来てほしくて、窓に向かってティッシュで『おいでおいで』をしているのかと」


「…………」

市川は、唖然としつつも、ゆっくりと、二度、三度と頷いた。その頷きは、回数を重ねるたびに大きくなる。納得がいったようだ。


「そう…かもしれません。

 息子をベビーカーに乗せていたときに、すごい暴れたことがあったんですよ。

 なんだろうって、息子の視線を追ったら、焦げ茶色の猫がいたんです」


「ご自宅のすぐ側だったのでは?」

「そうです、そうです!」


「猫って、気まぐれにあっちこっちに移動するように思われてますが、実は縄張りってそんなに広くないんです。なので、ご自宅の近くに住処があるのかもしれませんよ」


「そうなんですね……」

意外そうに、だけど得心したように、安堵のため息を漏らした。肩が下がるのが見てとれる。


「息子さんと、その猫を探してみるのも楽しそうですね」

「……そう、ですね」

強張っていた市川の表情も、少しずつ解けていくようだった。


 チラリと忍に目配せすると、誠人にだけ見えるよう、小さく頷いた。

 誠人はディフーザーの出力量を上げて、「失礼します」と椅子を持って下がった。


 入れ替わるように、忍がスッと市川の後ろに立つ。

 市川の頭を固定し、髪に櫛を入れる。


「……忍さん、ありがとうございます」

ぽつり。市川は呟いた。


 その言葉は、忍に向けられたものだが、たしかに誠人への感謝の意が込められている。

 それでも、店主は……主役はあくまで忍。

 市川の相談相手は忍であって、誠人はサポート。この花園の主は忍なのだ。


「そう言っていただけて何よりです」

忍は改めて櫛とハサミを手に取った。


 二人のあいだには、しばし沈黙が下りた。

 その姿を、誠人は秘密基地のようなソファに腰かけ、ただ遠巻きに見守った。


 カットが終わり、ケープに手をかけたところで、市川が顔を上げる。

「忍さん」 

「はい。なんでしょう」

「時間があれば、メニュー追加してもいいですか?

 久しぶりに、黒じゃなくて、焦げ茶色にします」


そして、身をくるりとねじって、誠人に声をかけた。


「今度、息子と一緒に猫を探しに行っているわ。

 といっても、発情期の猫なら、さすがにうちでは飼えないかもしれないけど、見るだけでも、息子も喜ぶかもしれないから」

にぱっとした晴れ晴れしい顔には、生来の真っ直ぐさがうかがえた。


 誠人の鼻腔を通して、じんわりと、温かい香りが胸いっぱいに広がった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ