第84話 聖騎士ヒョードルの叙任
これからしばらく続く予定の一連のエピソードは、本来であれば、75話と76話の間あたりに挿入すべき、冒険者たちが、地下九階に至るまでの物語です。
物語が落ち着いたタイミングで、第二部のしかるべき箇所に移動させ、既存部分を一部改稿する予定です。
申し訳ありませんが、しばらくお付き合いいただけますと幸いです。
出生時の体重は、六千グラムであったという。それは、およそ平均の二倍の重さである。
彼を初めて抱いた母は、あまりの重さに驚き、取り落としそうになったということである。
体重に反して、赤子の身長は五十センチほどで、これは一般的な赤子とそう相違ない。異常な肥満であったわけでもない。彼は、ただ、重かったのである。
それは、英雄体質と呼ばれる。
その体質に生まれついた者は、抜きんでて膂力に優れており、その呼び名の通り歴史上で英雄となった者も少なくなかった。
その赤子――ヒョードルは、生まれついての、それであった。
英雄体質の赤子が、長らく生きることは難しい。
強大な力を持つ肉体は、相応のエネルギーを求める。常人の三倍は、エネルギーが必要となるのである。
そのエネルギーを提供するに、母一人の乳では難しい。だから多くは、赤子のうちに栄養失調を引き起こし、死を迎える。
ヒョードルが生き永らえたのは、彼の生まれによるところが大きい。
彼の生まれた地は、辺境の田舎領地である。
父は、その地の鎗術指南役であった。道場を構え、衛兵や地元の者に鎗術を教える。それなりの地位である。
英雄体質を知る者は、それほど多くない。しかし、父の教える鎗術流派には、かつてその体質の英雄が存在しており、父もその存在を知っていたことが幸いした。
領地は、裕福ではないが、皆が食える程度の石高はある。しかし、助け合わねば生きていくことはできない程度に、貧しくはある。そのため、住民たちは助け合いの気質に恵まれていた。
ヒョードルには、乳母と呼べる者が、五人もいたそうである。それにより、赤子のヒョードルは十分な栄養を得ることができたのである。
ヒョードルの生まれ育ったその領地は、今や存在しない。
魔族との戦争によって焦土と化した。
そして、彼の乳母たちも、父も、母も、数多の領民たちの命も、失われてしまったのである。
その日のことを、ヒョードルは覚えていない。
駆け付けた神殿騎士の言によれば、焼け落ちる鎗術道場のただなかで、少年が槍を持って立ちすくんでいたのだという。
堆く積みあがる、魔族たちの屍を前にして。
生きている者は誰もいなかった。
その少年――当時七歳であったヒョードルを除いては。
戦災孤児となり、神殿の運営する孤児院で育ったヒョードルは、十三歳で神殿騎士となる。
以降も研鑽と信心を重ね、やがて神殿騎士の筆頭たる聖騎士の座に、十七歳にして就くこととなった。
その、聖騎士就任の式典の後、ヒョードルはオルフェイシア王との謁見の機会を賜った。
ロバート王は、謁見の間ではなく、私室での謁見を望んだ。
その理由は、すぐにわかった。
王の私室を訪れると、そこにいたのはロバート王ただ一人であったのである。
「すまぬ。神殿の未来を担うことになろう貴殿とは、率直に話がしたいと思ったのだ」
ヒョードルは内心、警戒した。
王の側仕えも、神殿の高位聖職者も近づけず、話すべき内容とは、いったい何事であろうか。
ロバート王は低く笑った。
「そう警戒するでない」
「いえ、そのようなことは」
ヒョードルが頭を下げると、よい、と王は言った。
「儂が聞きたいことは、ただ一つだけである」
ごくり、とヒョードルは唾を飲み込んだ。
「貴殿は、その地位で、何を望む?」
難しい質問ではなかった。
迷いなく、ヒョードルは答える。
「魔王の死を。そして、魔族の殲滅を」
あの日、神に誓った思いを、ヒョードルは口にした。
自分からすべてを奪った、奴らを――。
くつくつとロバート王が笑った。
「貴殿の生まれ育った地は、ジョルダン伯爵領と聞いておる」
ヒョードルは言葉の意図が理解できなかったが、ひとまず、はっ、と答えて頭を下げる。
「彼の地は、未だ復興できておらぬが、よいのか?」
かっ、と頭に血が上る。
王が、それを仰るか――!
復興が進まないのは、彼の地が辺境だからである。元々、小麦の生産量も多くない、富の少ない地域でもある。
王都周辺を中心にして、復興は進められている。手が回っておらず、辺境が手薄なのは仕方がないと、ヒョードルも頭で理解はしている。
しかし、それを判断したのは、王である。王こそが、ヒョードルの故郷であるジョルダン辺境伯領を、未だ放置しているのである。
王が、それを言うのか!
ぎり、と歯噛みして、すぐに顔を伏せる。今の音が、王に聞こえただろうか。
「顔を上げよ」
と、ロバート王は言った。それから、ヒョードルの目を見つめる。
王の目は、ヒョードルを映しながらも、鈍く濁っているように思えた。
「ジョルダン辺境伯は、先の戦争で死んだ」
はい、とヒョードルは答える。そのことは当然、知っていた。
「彼には跡取りもおらず、未だ空跡である」
ゆっくりと、ロバート王は言った。口元が少し緩んだ。
「その地位を望むなら、領地をつけて、貴殿にくれてやらんこともない」
「なにを……」
と、ヒョードルは言って、口ごもった。
くつくつと、王がまた笑った。
「考えたこともなかったか?」
「……私は平民の出でございますれば」
かろうじて、そう言った。
「選べ」
とロバート王は言った。
「神殿を辞し、ジョルダン辺境伯を継ぎ、領地を復興し民を救済する、人の道か」
王は、にたりと笑みを浮かべる。
「聖騎士としてダンジョンに挑み、仇である魔王を斃し、魔族どもを殲滅する、修羅の道か」
ヒョードルはわかった。
――ああ、この王は、愉しんでいるのだ。
ヒョードルが選ぶ道がわかっていながら、ありもしないもう一方の選択肢を提示して、ただ彼が懊悩する様を、見物しているだけなのだ。
何故なら、ヒョードルは人ではない。英雄なのである。そう生まれついている。
選ぶ道は、修羅であることにしか、ないのである。
しかし、ヒョードルは答えられない。
選びあぐねているわけではない。
王の望む答えを口にすることが、怖かった。
その答えを、ヒョードルが口にしたとき、王がどのような悍ましい笑顔を浮かべるものか。
それが、怖かったのである。
彼が狂王と呼ばれる理由が、わかった気がした。
沈黙の後、ヒョードルは、自らの選んだ道を口にした。王に頭を下げたまま、顔を上げずに。
その頭上で、哄笑が響いた。長く、長く。
狂王は言った。
「――許す。魔王とその眷属どもを、殲滅せしめよ」
次回更新は、10/15(水)を予定しています。




