第83話 マグナス先生、神聖魔法について教えてください
玲子は、冒険者になるため、神聖魔法の講義をうける。教師役としてやって来たのは、玲子とは因縁のある、神殿長のマグナスであった――。
かつて、この世界には神がいた。
神話ではない。歴史の話である。間違いなく、この世に、身体性をもって存在したということが、多くの歴史研究者によって確認されている。
その時代は、神代と呼ばれている。およそ二千年前のことである。それ以前の歴史は確認できていない。一部の研究者は、神が世界を作ったからだと唱えているが、その証拠は存在しない。
神代とされている時代は、百年ほどである。神が実体として世に在ったのは、たったの百年に過ぎなかったということである。
しかし、実体を失ってからも、神の力は存在し続けた。し続けている。現在まで。
その力を借りて行使する魔法こそが、神聖魔法である。
と、マグナスは説明した。
玲子は尋ねた。
「神様と交信する的なこと?」
「いえ。神とのコミュニケーションに成功した者はおりません。我々は、ただそのお力を借りているにすぎません」
「その、力っていうのは?」
「マナです」
「え!? それって、魔法に使うあれ?」
「はい。神聖魔法と通常の魔法に、本質的な違いはありません。マナを現象に変換する、その方法が違うにすぎないのです」
「ええと、たしか、通常の魔法だと、古代魔術語で術式を構築するんだっけ?」
「はい。神聖魔法は、その過程を、神への祈りで代用します」
「どういうこと?」
「このように」
マグナスは言って、詠唱を始める。その言葉は、玲子には日本語として聞こえた。すなわち、オルフェイシアの共通言語ということである。
「ディレイニーに祈り奉る。我らが領域を守護されんことを願い奉る」
マグナスの持つ錫杖に、ぽう、と黄色い光が灯る。
「プロテクティブ・フィールド」
光が拡散した。
腹側から背中側へと、肌の表面を撫でられるように、何らかの領域が広がるのを、玲子は感じる。
その感触は、結界を通り抜けた時のそれに似ていた。
「結界を張ったのね」
「はい。守りの使徒、ディレイニー様を通じて、神の力をお借りしました」
マグナスはそう頷いてから、玲子に尋ねた。
「たしか、七使徒についての知識はおありでしたね?」
「ええ。言葉の勉強がてら、神話の類をいろいろ読んだから」
その結果、玲子はこの世界の神話沼にすっかりハマっているのである。
実は、この世界における神話で、神に関するエピソードはそう多くない。彼に仕えた、七使徒に関する物語のほうが、人々には好まれているからである。
七使徒は、神の使いではあるが、半神半人の存在である。そのためか、人間臭いというか、どろどろとした情念を感じさせるエピソードに事欠かない。つまり、萌える。
そんな玲子の思いを知ってか知らずか、マグナスは満足そうに頷いた。
「私の守護聖人は、守りを司るディレイニー様です。よって私は、結界術などを得意としています」
「守護聖人?」
「はい。七使徒のうち、自身と最も相性の良い方を、守護聖人と呼びます。基本的には、生まれ年によって決まります。失礼ですが、聖女様の御歳は?」
「女性にそれを聞く? ていうか、転移の影響で若返っているんだけど……」
「肉体ではなく、魂の年齢が肝要です」
「なるほど……。転移前が四十九で、こっちにきて一年以上たつでしょ。今年はまだ誕生日迎えてないから……」
そこで玲子は固まってしまう。その現実は、受け入れ難かったのである。
いや、転移前の世界では、いつかくる日と受け入れる気満々だったのである。しかし、肉体が若返った今になると、ちょっと受け入れがたい現実であった。
マグナスが軽く頷いてから言った。
「五十歳、ということですな」
「ちょ! 違うし! 今の私は、具体的な年齢はわかんないけど、絶対的に二十代前半だし!」
「魂の年齢に、肉体は関係ございません」
「いや、魂がどうとか、そういうのよくって! とにかくその数字は受け入れ難いのよ!」
はぁ、とマグナスは大仰にため息をついて見せる。
「別に聖女様の年齢に興味などありはしません。知りたいのは、生まれ年です」
「生まれ年?」
「さよう。生まれた年を七で割り、その余りをもって生まれ年とします。一般的には、その生まれ年にあたる使徒が、守護聖人となります」
「なるほど。干支と同じか」
「そういうことでございます」
「干支わかるの?」
「異世界より参られた方より、伝え聞いておりますので」
さすがは神殿長といったところである。マグナスには、異世界の知識もあるらしい。
しかし、干支がわかるということは、その異世界人は日本人か中国人ということである。もしかしたら、マグナスの情報源は、カレー屋の大将であるかもしれない。
玲子は言った。
「で、私は何になるの?」
「本年は聖歴千百二十三年ですが、今年はまだ誕生日が来ていないということで、昨年の千百二十二年の五十年前、つまり生まれは千七十二年になりますな。これを七で割りますと……余りは一です」
「計算はやっ!」
「慣れておりますので」
マグナスはどや顔をかます。
それを無視して、玲子は尋ねる。
「で、一は何の守護聖人になるの?」
「一は、アディール様でございますね」
アディールは、七使徒の筆頭である。裁きや契約を司る。
「えー、やだー」
と玲子は言った。
マグナスがあからさまに、むっとした顔をする。
「アディール様は、我々、神殿の者にとって、最も尊ぶべき使徒にあらせられます。それを、えー、やだー、と仰せで?」
「だって、アディールって面白くないんだもの」
アディールは、冷静沈着な男で、面白味の薄い使徒である。残っている神話や伝承も、あまりいいエピソードがない。また、容貌もさほど秀麗でなかったと言われており、玲子にとって、男性の使徒の中で最もどうでもいい存在である。
「アイシャ様がよかったのにー」
アイシャは、男とも女ともいわれる、欲望や遊興などを司る使徒である。他の使徒を男女構わず誘惑する、妖しげな存在として伝わる。しかし、アディールに対しては、好みでない、つまらないといった理由で、誘惑することがないのである。さすがアイシャ様、と玲子は思ったものである。
こほん、とマグナスが空咳をする。
「とにかく、神聖魔法を実践してみましょう。正しく信心を込めて、正しく祝詞を唱えることができれば、簡単に発動させることができます」
「アディールの司どる神聖魔法ってなに? 契約とか、裁きとか、なんか堅苦しいのばっかりなんだけど」
「沈静化の魔法をお教えしましょう」
「沈静化?」
「さよう。対象の心を落ち着かせる魔法です」
言ってから、マグナスは苦笑を浮かべる。
「御覧の通り、私は今まさにイライラが募っておりますれば。平穏な心持を取り戻しとうございます」
「あっ、はい」
と玲子は頷いた。
アディールに祈り奉る。彼の者の心に平穏を授けるよう頼み奉る。カーミング・ダウン。
というのが、沈静化の魔法の祝詞であるらしかった。
〇〇に祈り奉る、が前置きである。〇〇には、使徒の名が入る。その使徒の力を借りて、神に祈りを届けるというのである。
使徒にはそれぞれ、得手不得手があって、基本的には彼らの司る力を行使するのが良いらしい。回復魔法などはどの使徒も扱えるが、やはり癒しの使徒アンジェローズに助力を賜るほうが効果は大きいそうである。
次に来るのが、△△を頼み奉る。△△は具体的な魔法の効用である。これには行使する魔法に応じた、決まった祝詞があって、一言一句間違えないほうが良いらしい。信心が深ければ、言い回しに多少の自由度はあるらしいが、玲子のレベルでは変なアレンジは加えないほうがいいであろう。
ここで、「彼の者に」とある部分は、対象の指定であって、ここはルールに従った形で言い回しを変える必要がある。たとえばここを「彼の者らに」とすれば対象は複数になるそうである。むろん、複数にする場合にはリスクがあり、効力が減衰したり、より大きなマナが必要になったりするらしい。
最後のカーミング・ダウンは、祝詞の締めである。トリガー・ワードといって、魔法発動の契機になる。これは通常魔法と同じで、言わなくてもいい部分らしい。ただ、発話したほうが、気を魔石に流し込みやすいので、多くの僧侶は口にしている。むろん、玲子もトリガー・ワードは言うようにしている。
なるほど。仕組みはわかった。
わかったんだけど……。
「なんで発動しないの!?」
何度、祝詞を唱えようが、玲子の魔法が発動することはなかったのであった。
結果、マグナスのイライラは、先ほどより強くなっている。
「それは、聖女様の信心が足りぬからですよ!」
「いや、その信心ってやつ、どうやったら高めることができるわけ!?」
「日々、神と使徒に祈りを捧げ、帰依し、彼らを愛するのです!」
「いやいや、無宗教の日本人を舐めないでもらえる? ていうか、そもそもアディールを愛すなんて無理だし!」
ぐぬぬ、とマグナスが呻く。肩がわなわなと震え始めた。
頭から湯気が立つような、怒りの形相であった。
不意にマグナスが祝詞を唱える。
「アディールに祈り奉る。我が心に平穏を授けるよう頼み奉る。カーミング・ダウン!」
無色の光がマグナスの体を包み、消える。
そこには、平静を取り戻したマグナスがいた。
「失礼いたしました」
と、すっきりした表情で言った。
「では、他の使徒で試してみましょう。聖女様は、アイシャ様に愛着がおありなのですよね? 彼ならば愛することができましょうか?」
「できる!」
と玲子は即答した。
「ていうか、毎日のようにアイシャ様のこと考えてる!」
「わかりました」
とマグナスは頷いた。
「アイシャ様の司る魔法は、私はあまり得意ではありませぬが……誘惑の魔法をかけられても困りますし……」
マグナスは、ぽん、と手を打った。
「では、暗闇の魔法としましょう」
「暗闇の魔法?」
「一定の空間を、闇で覆います。闇の中には光が存在できません。真の暗闇を作り出すのです」
「ぜんぜん神聖魔法っぽくないわね」
「それは、アイシャ様の魔法ですので」
言われてみれば、アイシャは玲子のイメージする聖人からは程遠い。
「祝詞をお教えしますが、恥ずかしながら、私はこの魔法は使えません。申し訳ありませんが、アイシャ様とはかなり相性が悪いらしく……」
「オッケー。やってみるわ」
「こうです。アイシャに祈り奉る。彼の空間を闇で満たさんことを頼み奉る。エリア・ダーク」
玲子は、教えられた祝詞を頭の中で反芻する。
「よし、覚えた」
ほう、と息をつく。
それから玲子は、アイシャ様の様々なエピソードを思い浮かべた。それは、神話で読んだものもあれば、玲子自身の創作したものもあった。
ぐふ、ぐふふふ、と妙な笑いが漏れた。
――いいわ、アイシャ様、やっぱり最高だわ。
その、ある意味で不純ともいえる気持ちを保ったままに、祝詞を唱えた。
「アイシャに祈り奉る。彼の空間を闇で満たさんことを頼み奉る」
あ、いけそう、と玲子は思った。先ほどとは違い、何かのチャネルがつながった感じがする。
「エリア・ダーク」
言ってから玲子は、握りこんだ魔石に気を送り込む。魔石から力が放たれている感覚があった。
そして――。
玲子のイメージした位置に、直径三十センチほどの黒い球体が浮かんでいた。
「おお!」
とマグナスは歓声を上げた。
そっと球体に顔を近づけて、中に突っ込む。
「見えません! 完全な闇です! すばらしい!」
玲子もマグナスに倣って、黒い球体に顔を入れてみる。何も見えない。確かに、純粋な闇としか言えなかった。
その球体は、およそ三十秒ほどで消えた。
マグナスは感心したように言った。
「いやはや、素晴らしい。アイシャ様への篤い信心の結果ですな」
玲子は少し複雑な表情を浮かべた。
あの心情は、信心というか、萌えと呼んだほうが正しいように思えたのである。
守護聖人の計算が面倒でした……。ていうか計算間違ってるかも……。
次回更新は10/10の予定です。




