第7話 夢じゃないなら帰りたい
どうやら夢ではないということに気づいてしまった玲子。
いや、異世界とか無理だから! 帰らせて!
うーん、と玲子は天井を見上げながら考え込んだ。
「念のため、皆に聞きたいんだけどさ」
そこで、少しだけ言い淀む。これは聞いても良いものだろうか?
あのさ、と前置きしてから、意を決して言った。
「これって、あたしの夢じゃないの?」
えっ、と水谷が声を上げた。
「僕の夢じゃないんですか?」
ぷっ、と北條が噴き出した。
「確かに、これが誰の夢かって言ったら水谷くんの夢だよね」
「ていうか、北條はどう思うわけ?」
「玲子ちゃん、夢でだったらそんなひらひらした服着ちゃうんだー?」
玲子は赤面する。
「その話はもういいのよ!」
笑いながら、まあ、と北條は言った。
「これが夢だとしたら、全員で同じ夢を見ていることになるよね」
「それじゃほぼ現実と変わらないじゃない」
「ていうか、たぶん、現実じゃないかな」
「本当に異世界転移したってこと!?」
北條が頷く。
まじかー、と声をあげて、玲子は天を仰いだ。
それから、北條を睨みつける。
「つーか、そもそもあんたはどっからこんな怪しい話もってきたのよ!」
「それがさあ。知り合いからきた話だったはずなんだけど、不思議なことに、その知り合いの顔も名前も思い出せないんだよねー」
「やっぱり、あんたのせいじゃない!」
「いや、契約内容も読まずに署名したのは玲子ちゃんでしょ?」
「北條はちゃんと読んだわけ?」
「いや、それがさー。やっぱりこれも、なにも思い出せないんだよね。ちゃんと読んで、問題ないと思って二人に紹介したはずなんだけどさ」
「なによそれ!」
ぷりぷりと怒る玲子を横目に、水谷が言った。
「やっぱりそこは、魔法ってことなんじゃないですか?」
えっ、と玲子は驚きの声をあげる。
「てことは私たち、騙されたってことじゃない?」
「誰にです?」
「そこにいるアンドリューさんによ」
玲子がびしっと指をさしたので、つられて二人もアンドリューを見る。
アンドリューは困り顔をしている。
「魔法を使って私たちを騙したのね!」
「いえ、騙したというわけでは……」
「でも、契約書の中身を誰も覚えていないじゃない」
「召喚術式の詳細は、私のほうでもあまり把握しておらず……。御不快にさせたのでしたら申し訳ございません」
とアンドリューは頭を下げる。
「まあ、そういう事情なので」
玲子は言って、アンドリューを上目遣いで見た。
「ぶっちゃけ私、元の世界に戻りたいんだけどぉ……」
えっ、とアンドリューは驚いた。
「お待ちください! それは困ります!」
「こっちだって困ります。異世界ってなに? シャワーは? 化粧品は? ゲームもマンガもない世界なんて……」
それから月影先生の新刊も、と玲子は心の中で付け加える。月影先生は、玲子が敬愛する商業BL作家である。
「むりむりむり! こちとら、海外勤務だって割と無理ですから!」
水谷も言った。
「僕も困ります! 今週出る禁術メイド2は絶対パッケージでゲットしないといけないんです!」
「なにそれ?」
「知らないんですか? 超人気美少女ゲームです。初回限定版には、ハルナちゃん萌え萌え抱き枕がついてるんですよ!」
知らんがな、と玲子は思った。
北條が言った。
「ま、俺はどっちでもいいかなー。異世界ダンジョンの運営なんて楽しそうじゃない?」
「仕事のことは置いといて、生活環境としてどうなのよ」
「シャワーであればございます。生活に関してはすべてお世話させていただきますし、専属の召使いもお付けします。ですから、どうか、どうか……」
アンドリューは哀願する。
北條が意外そうに言った。
「シャワーあるんだ?」
「はい。かつて異世界より召喚された方から、こちらの世界に伝来されました」
「なるほど。じゃあ、意外と化粧品とかもいいのあるかもね」
「王国の最高級品をご用意いたしましょう」
「あ、玲子ちゃんのだけじゃなくて、俺のも頼むね」
「承知いたしました」
水谷が尋ねた。
「専属の召使いというのは、先ほどのケモ耳メイドさんたちですか?」
「いえ、水谷様には執事をご用意させていただこうかと」
「だめですっ! メイドさんにしてください! ネコ耳の方がいいです!」
「俺はどっちでもいいかな。でも、若い美形の子ね。そこは絶対でよろしく」
「まって! あんたたち、もう納得してるわけ?」
「まあ、禁術メイド2は痛いですが、異世界転移はオタクの夢みたいなところがありますし……」
「俺は別に、楽しければどっちだっていいかな」
むむむ、と玲子は考え込む。
そして、言った。
「もうひとつ、ものすごい懸念があります」
「なに?」
「前の世界に残してきた、私の部屋です」
「部屋がどうしたの?」
「あの部屋を、親にだけは、親にだけは、見られるわけにはいかないの!!」
そう。玲子の部屋は、いわゆるオタク部屋なのである。それも、BLの。
中にはえぐい内容の本もあるのである。
「集めてきた薄い本だけは! あれだけは! 見られたくない!」
その切実な玲子の叫びに対し、二人は冷静である。
北條は別として、水谷の反応が鈍いのが、玲子には不思議であった。
「ていうか、水谷は大丈夫なの!?」
はい、と水谷が言った。
「うちはもう、僕の性癖を、親も知ってますから」
「まじで!?」
「それに、自分が死んだときのために、コレクションの処分方法についても、友人と相談済みです」
「抜かりないわね!」
そんなことまで、玲子は考えてもいなかった。オタク仲間の顔が幾人か浮かぶ。彼女たちがうまくやってくれればいいのだが。
そうでなければ、どうにかしてあの部屋を、跡形もなく爆破しなければならない。
――魔法の力を使ってでも!
「ひとまず!」
とアンドリューが慌てて言った。
「ひとまずでよろしいので、私の話をお聞きください」
はあ、と玲子はため息をつく。
残してきた部屋についての懸念を、ひとまず脇に置いた。
「わかったわ。とりあえず話だけね」
あからさまにほっとした表情で、アンドリューは言った。
「それでは、運営の話に先立ちまして、まずはダンジョンの現状についてお話しさせていただきます」
4/22改稿しました。
改稿に当たっては、腐女子の生態にお詳しい先達の方よりアドバイスいただきました。
心よりお礼申し上げます。