第72話 祝福を授けてください
またまた神殿からの呼び出しを受けた玲子は、不安を覚えながら神殿に赴く――。
「タチバナ様。神殿から書状が届いております」
アンドリューの報告に、玲子は問い返した。
「神殿から? 何の用かしら?」
「詳細は書いておりませぬが、明朝、神殿まで来るように、と」
呼び出されるようなことが、何かあっただろうか?
既に聖女のメダルは、聖女の石に変更してある。小さな銅の塊に、玲子の肖像が入ったものである。
他にやったことといえば……。
あることに気づいて、玲子は戦慄した。
あれ? あれかしら……? ていうか絶対、あれのことだわ……。
あれ、とは、玲子の書いた、闇の使徒アイシャ様を主人公に据えたBL小説のことである。
何故だかわからないが、あれが、神殿の目に触れてしまったのであろう。
「やばい……どうしよう……」
思わず呟くと、アンドリューがそれを聞き咎めた。
「タチバナ様、もしや、なにか思い当たることが……!?」
「いーえ! なんでもないわ! おほほほほ」
玲子は思わず誤魔化した。
乙女の秘め事なのである。たとえ相手がアンドリューであっても、知られてはならないことであった。
少し冷静になる。
そもそも、あれの原本は玲子が保持している。写本を持っているのも、ハンナとメルルの二人だけである。二人にも、決して他の者に見せぬよう、厳重に言い含めてある。
大丈夫だ。外に漏れているはずがない。
だから、この呼び出しは、別のことであるはずだ。
……それはそれで、怖いわね。
なにせ、神殿からの呼び出しには、いい思い出がない。だいたい何らかの罪を問われているような気がする。
「まったく、勘弁してほしいわ」
言ってから、玲子は大きなため息をついた。
玲子とアンドリュー、そしてアルスの三人が神殿に到着すると、迎えたのはマグナス司祭であった。
マグナスは、馬車から降りた玲子に、少し微妙な顔をしながらも、深々と頭を下げた。
「あら?」
と玲子は言った。
「今日は、カント司教じゃなくて、あなたなんですね」
「司教はお忙しいのです。いつもいつも顔を出してはいられません」
おや、と玲子は思った。敬語である。
それが顔に出たのであろう。苦々しげに、マグナスは言った。
「神殿は、あなた様を聖女と認めました。そうなれば、私としても敬意を払わざるを得ないのですよ」
それはそれで面倒くさいなぁと玲子は思ったが、口には出さなかった。
たぶん、顔には出た。玲子を見るマグナスが、渋面を浮かべている。
アンドリューが尋ねた。
「して、本日の御用向きは?」
「うむ。聖女様に会ってもらいたい者がいるのだ」
アンドリューに対しては、以前と同じ居丈高な態度でいくらしい。
しかし、会ってもらいたい者か……。誰だろう。もしかして、カント司教よりも更に偉い人が出てくるのだろうか。
やはり、玲子の書いたBLが彼らの手に渡っていて、大問題になっていたりするのだろうか。
少しだけ怯えつつ、玲子は尋ねた。
「会ってもらいたい者、と、おっしゃいますと?」
「わが神殿の、聖騎士にございます」
「聖騎士!?」
と玲子は思わず言った。
「なにそれかっこいい!」
ふふふふ、とマグナスがたるんだ頬を震わせて笑った。ちょっと嬉しそうである。
「それはもう聖騎士であるからして、神殿でも随一の騎士にござりますれば、その勇猛なるはもちろんのこと、聖なるは使徒の如きにございます」
アンドリューがおずおずと尋ねた。
「その聖騎士様が、我々にどのような御用向きなのでしょう?」
「おぬしらというか、聖女様に用があるのだ」
「私に? なにかしら?」
やはり何かしらの罪に問われるのだろうか。
「その聖騎士が、聖女様にお会いしたいと申しておりまして」
「え? どうして?」
「それは……お会いすればわかるかと存じます」
そう言って、マグナスは苦笑を浮かべた。
神殿の中に入り、案内されたのは、貴賓室である。
中では、一人の男が直立不動で待っていた。
百九十はあるであろう長身であった。僧侶の着るようなローブを着ていたが、隙間から豊かな体躯が見て取れる。
細く美しい金髪は、短めに整えられていても、さらさらと風にそよぐ。
率直に言って、イケメンであった。
では、あったのだが――。
「えっ、子供じゃん」
思わず、言った。
そう。体格に似合わず、その顔は幼かった。少年の域から出ていない、現在の水谷とそう変わらない年齢の顔が、恵まれた体の上に載っている。
非難の視線を玲子に向けながら、こほん、とマグナスが咳払いした。
そして、その少年を紹介する。
「こちらの方が、我が神殿の誇る聖騎士、ヒョードル殿にございます」
「はっ、はじめまして! ヒョードルでございます!」
少年は明らかに緊張した面持ちで、しどろもどろに自己紹介を始める。
「こ、このたびは、わた、私のような者に、聖女様への拝謁の許可をくださり、こ、光栄至極にございます、です!」
「初めまして。橘玲子です。どうぞお見知りおきを」
玲子がスカートを持ち上げて貴族式の礼をすると、ヒョードルは火が吹き上がらんほどに顔を赤くした。
「ここっこ、こちらこそよろしくお願いします!」
言いながら、九十度の角度で腰を折る。
玲子は苦笑した。
「顔をお上げください。私など、そんな大層な者ではございません」
「いえ! 聖女様は、魔王の復活を阻止せんと、冒険者の支援をしていると聞いています。それに、蘇生の奇蹟まで行使なさると。これまで何人も聖女と呼ばれる方はいらっしゃったようですが、あなた様ほどのお方はおられません!」
キラキラとした目を玲子に向けてくる。それは、憧憬の目であった。
なんだか、かわいい。悪い気はしない。
しかし――。
「いや、ほんとに、そういうんじゃないんで。聖女の自覚なんかも、まだ全然できてなくって……」
「何を仰います、聖女様!」
「その、聖女様って呼ばれるのも、あんまり慣れてないっていうか……。レーコでいいですよ、全然、ええ」
ヒョードルはまた、ぽっと頬を赤くした。
「いやいやいやいや。そんな、お名前でお呼びするなんて、そんな、畏れ多い!」
「それで、私に御用というのは?」
苦笑しつつ玲子が言うと、ヒョードルは、少年らしい顔に、少年らしくない表情を浮かべた。
それは、戦士の顔であった。
ヒョードルは跪き、頭を垂れて言った。
「聖女様に、祝福を賜りたいのです」
「祝福?」
「私は近いうち、ダンジョンに赴きます。もちろん、一人ではございません。神殿の精鋭でパーティを組んでのことです。私はその、リーダーを任されております」
「それはすごいですね」
本心から、玲子は言った。
神殿は、手慰みにダンジョン攻略に乗り出したわけではない。本気で魔王の打倒を目指しているのである。そのパーティのリーダーを任されるというのは、彼の若さを考えれば、大抜擢であろう。
「私のような若輩者にとって、重すぎる大任です。ですから、私に武運あるよう、聖女様から祝福を賜りたく」
祝福かぁ~~~、と玲子は天を仰いだ。それ、どうやるの?
玲子は聖女ということになってはいるが、聖職者ではない。祝福の手順など知らないし、おそらく何の効果も発揮できないであろう。
頭を下げたヒョードルに気づかれぬよう、ちらりとマグナスを見た。
マグナスは、はぁ~と深いため息をついてから、身振りで何ごとか伝えてくる。
両手を組んで、祈るポーズである。
顎をクイっとやって、やれ、と玲子に伝えているようであった。
言われるまま、玲子は両手を組んで、祈りのポーズをとる。
これでいいの?
目で問うと、マグナスは頷いた。それから、天に向けて目線をやり、口をパクパクする。それからまた、アゴクイである。やれ、ということだろう。
――いや、無理っしょ! 何言ったらいいかわかんないわよ!
――いいから、やってください。セリフは何でもいいですから!
――わかったわよ! 適当なこと言えばいいのね!
目線と身振りで会話をする二人である。ヒョードルが頭を垂れているからいいものの、顔をあげていたら意味不明の光景であったろう。
玲子は目線を天に向け、祈りを捧げながら、言った。
「聖女の名において、聖騎士ヒョードルに祝福を授けます」
そして、最近読んだ神話から、適当な文句をひねり出す。
「使徒アディールからは静謐なる心を。使徒ディレイニーからは聖なる守りを。使徒ウィルヘルムからは無限の叡知を。使徒アンジェローズからは愛と癒しを。使徒ガルボアからは武運を。使徒アイシャからは旅の成果を。使徒ゴルドルムからは武具の力を」
なんとか噛まずに言えた。
次は? と、マグナスに目をやると、彼は明らかに驚いている。玲子が七使徒を正しく認識しているとは思ってもいなかったのであろう。
マグナスは、うんうん、と頷いて、右手を下に置くジェスチャーをした。そして、アゴクイ。
玲子は、ヒョードルの肩にそっと右手を置いた。
「聖騎士ヒョードルに、祝福のあらんことを」
ヒョードルがゆっくりと顔をあげた。目には、涙が浮かんでいる。
「聖女様、ありがとうございます! 私は、あなた様のために、死んでまいります!」
「いや、ダンジョンじゃ死なないから!」
そう言って、玲子は苦笑した。
次回更新は7/1です。




