第71話 カレーは飲み物!
水谷には、ひっそりと通い詰めている店がある。その店は、カレー屋であった。
「兄ちゃん、また来たのか!?」
大将が驚いたような声を上げたので、水谷は苦笑いした。
このところ、三日連続なのである。確かに、驚かれるかもしれない。
それほどに、水谷はこの店にハマっていた。
「いつものでいいかい?」
大将がそう言うのに、水谷は元気よく、はい! と答える。
あいよ、と大将は言って、手元で作業を始める。ややあって、じゅうと、油に投入された何かが揚げられる音が、店内に響いた。
しかし、水谷の嗅覚がとらえるものは、揚げ物の匂いではない。それよりも、更に強い香りが、店内には充満しているのである。
スパイスの香り――。それも、日本人である水谷にとって、馴染み深いあの――香り。
それは、カレーであった。
そう、この店はカレーを出すのである。
しかもそれは、ただのカレーではない。
「お待ち!」
と、カウンター席に置かれたそれを見て、水谷の口中に唾液が満ちた。
つやつやとした白米。その上に置かれた、さっくりと揚がったカツ。そこにかけられた、とろみのあるカレーソース。
カツカレーである。
異世界ものでは、主人公がカレーを求めて奔走するのは定番の展開である。なのに、この世界には既に、カレーどころかカツカレーがあったのである。
この店を発見した時、水谷は、信じてもいない神にその奇蹟を感謝したほどである。
水谷はスプーンを手に取った。スプーンといえば木匙であるこの世界で、金属製のスプーンである。細部にもこだわられている。最高だ。
そのスプーンで、カレーソースと白米を混ぜ合わせた。ソースは比較的さらりとしていて、そこも水谷の好みにばっちり合っている。スプーンを口に運ぶと、口中で香りが爆発した。辛さに舌が刺激を覚えながらも、深いうま味を感知する。ゆっくりと咀嚼すると、白米の甘みが広がった。
――うまい。
一口目が口中にあるまま、水谷はスプーンをカツに突き立てる。荒いパン粉がまぶされたカツは、それだけでさくりと切れた。それほどまでに肉が柔らかい。
一口サイズになったカツに、カレーソースをかける。
見るだけでわかる。これは、間違いなくおいしいやつである。
白米に添えて、口に運んだ。
――やはり、間違いない。
心の中で、思わずつぶやく。
そんな間違いない美味しさが、水谷の脳に、がつんと幸せホルモンを分泌させた。
もう一口、もう一口と、水谷はスプーンを動かし続ける。
カレーは飲み物と言ったのは、誰だったか。水谷は、それこそ飲むようにしてカレーを平らげていった。
空になった皿の端に残るソースまで、スプーンですくって食べきると、水谷は、ほうと息をついた。
「相変わらずいい食べっぷりだねぇ」
と、大将が笑みを浮かべた。
「恐縮です」
と水谷も笑った。その時――。
がらりと入り口の引き戸が開けられた。
「らっしゃい!」
大将が威勢よく呼び込むと、二人の男が入ってくる。いずれも長身である。
男の一人が言った。
「水谷くぅ~~~ん?」
「えっ!?」
見れば、二人組は北條とアルスであった。
「俺たちに黙って、こっそり出かけてると思ったら、こんなところに来ていたんだねぇ~~?」
ねっとりと陰湿そうな声音である。
「べ、べつにいいじゃないですか!」
「俺たちはいいよぉ~? でも、玲子ちゃんはなんて言うかねぇ?」
「ただ食事をしていただけじゃないですか!」
にやりと笑って、北條が大将に尋ねた。
「大将、この店のおすすめは?」
「おう。カツカレーだ!」
と、大将が威勢よく言った。
「カツカレー! そいつは、ハイカロリーだねぇ」
にちゃあと北條が厭らしい笑みを浮かべた。
「そんなハイカロリーなもの食べちゃって、玲子ちゃんが何て言うかねぇ?」
あわわわ、と水谷は慌てる。そして、頭を下げた。
「すみません! 橘さんには内緒にしてください!」
はははは、と北條が笑った。
「ごめん、ごめん。冗談だよ。スパイスの匂いにつられてふらっと入ったら、水谷くんがいてびっくりしちゃった」
「リョースケ殿、人が悪いですよ」
アルスがため息をついた。
北條が言った。
「でも、俺たちに内緒にしてたのって、そういうことでしょ?」
図星であった。
玲子は、水谷が以前の肥満体に戻ることを心配している。水谷の食生活に、なんやかんや口を出してくるのである。
しかし、水谷は食いしん坊である。おいしいものを、思うさま食べたい質である。
だから、水谷は、皆にカレー屋通いをバレないようにしていたのだが……。
凹む水谷を横目に、北條は嬉しそうに言った。
「でも、カレーってすごくない!? 異世界でカレーだよ!」
はははは、と大将が笑った。
「おめえさんたちも転移者なんだろ。しかも、日本人だな」
「え? なんでわかるの?」
「そりゃあ、俺もそうだからよ」
「ええっ!? そうなの!?」
驚く北條であったが、もちろん水谷は知っていた。この店にはもう十回以上来店しているのである。
「元々、冒険者やってたんだけどよ。いいとこまで行ったんだが、アンドリューに先を越されちまって、まあいいやって引退して飯屋やることにしたんだよ」
北條が尋ねた。
「一体、どういう経緯で召喚されたの?」
「ああ、俺は召喚されたわけじゃないんだ」
「召喚じゃないの!?」
「そう。俺の場合は、なんつうか、事故みたいなもんだったらしい」
「事故?」
「俺の場合は、落雷だな。あっちの世界で雷に打たれちまって、気づいたらこっちの世界だ。驚いたのなんの。まあ、もう二十年も前の話だよ」
「そんなことがあるんだ」
「この世界には、昔からあるらしいぜ。ものすごく稀ではあるみたいだけどな」
なるほど、と水谷は頷いた。この話を聞くのは初めてである。
「それはそれとして、大将! カツカレーちょうだい!」
カウンター席に座って、北條が注文する。
「私にもその、カツカレーというのをください」
アルスもそれに乗っかる。
「じゃあ僕も……」
と手を挙げた水谷を、北條が睨んだ。
「さすがに、おかわりはまずくない?」
「で、ですよねー」
水谷はしょんぼりして、コップの水をちろりと舐めた。
次回更新は6/30です。




