第70話 こんな世界があっただなんて……
玲子の私室に呼び出されたメルル。
もしやクビか――? 戦々恐々とするメルルに、玲子の告げた用件は――?
メルルは、ごくりとつばを飲み込んでから、ゆっくりとドアをノックした。
玲子の私室のドアである。
「メルル。仕事の後で、私の部屋まで来てくれないかしら?」
玲子にそう言われたのは、今日の夕方のことである。
ドアを前にして、メルルは考えを巡らせた。呼び出された理由に思い至らないのである。
もしかして――とうとうクビになる?
かつてメルルは、玲子にクビ予告を受けたことがある。顧客目線で物事を考えられていない点を指摘されたのである。
いや、このところ、仕事で迷惑をかけた記憶はない。メルルは、冒険者に敵対する立場ながらも、彼らのことは十分にわかっている。顧客に合わせたデザインを提案できているという自負があった。
あるいは、正体がばれた?
メルルの正体は、魔王軍四天王が一人、魔人メルルである。元々は、第九階層の守護者として、冒険者の撃退の任に当たっていた。とはいえ、ここ十年ほど、冒険者がメルルの前に立ったことはないのだが。
やはり、それについても心当たりはない。
考えに耽っていると、すぐにドアは開いた。
「お待ちしておりました、メルル様」
ドアを開けたのは、玲子のメイドであるハンナであった。
奥から玲子の声がする。
「メルル、来てくれてありがとう! とりあえず入って!」
おっかなびっくり、扉をくぐる。玲子の部屋に招かれたのは初めてのことである。
玲子の部屋は、アンドリューの部屋のように豪奢に飾られたものではなかった。実に落ち着きのある部屋である。調度品のひとつひとつの品が良く、高級品であることがわかる。
玲子は、来客用のテーブルの、奥のソファに腰かけていた。侍女らしく、ハンナがその傍らに立っている。
「どうぞ、かけてちょうだい」
玲子に促され、メルルもソファに腰かける。
緊張を隠しながら、おずおずと問いかけた。
「それで、どのようなご用件でしょう?」
「そんなに畏まらなくて大丈夫」
と玲子は笑った。
「実は、あなたにこれを読んでほしいの」
見れば、テーブルには十枚ほどの紙束が置かれている。メルルはそれを手に取った。
「これは?」
「ええと……。説明はあとでするから、とりあえず読んで欲しい」
メルルは首をかしげつつ、紙面の文字を追い始めた。
それは、神話であった。七人の使徒が登場する。
中心にいるのは、闇の使徒アイシャである。アイシャは欲望の使徒であり、誘惑の使徒でもある。美しく、そして、淫らである。
メルルの知らない神話が、そこにはあった。
アイシャは、男であるとも女であるとも言われる。語られる物語に応じて、男であったり、女であったりするのである。どちらとも取れない物語すらある。どちらの性も超越した存在であるというのが、神話研究者の見解である。
メルルの今読んでいる物語においては、アイシャは男であった。男でありながら、同じく男であるウィルヘイムやガルボアやアディールらと、愛を語らうのである。いや、あまつさえ……。
それは、ひたすらに淫靡な物語であった。
――ああっ、アディール様が! そんな、なんてこと……。
メルルの顔が熱くなってくる。
それは決して、羞恥によるものだけではなかった。ある種の興奮を、メルルは覚えていた。
ごくりと生唾を飲み込んで、メルルは玲子に尋ねた。
「これは、なんという神話なのでしょうか? 初めて読むものですが……」
「……内容は、どうかしら?」
と玲子は言った。何故だか、彼女は顔を赤らめている。
少し興奮して、メルルは言った。
「アイシャ様の美しさ、神々しさ、そして残酷さが見事に表された物語でございますね!」
「そうなの! アイシャは物語によっては、男だったり、女だったりするわけだけど、私的には絶対に男がいい! ファムファタルじゃなくて、オムファタル――破滅させるような魅力を持った男性ね。ガルボアはまあ軽い感じだからあれだけど、魔法にしか興味なさそうなウィルヘイムとか、超堅物のアディールなんかも、いつのまにか彼の魅力にハマっていく感じが、こう、なんというか……!」
あまりに早口で玲子がまくしたてるので、メルルは少し面食らう。
こほん、と咳払いしてメルルは言った。
「神々しくもあり、人間臭くもある。美しく、そして淫ら。これは、神話学者が研究するに値する物語です。このような神話が埋もれていたなんて……」
「ちょっと待って!」
と玲子が慌てたように、メルルを制した。
「どうかしましたか?」
メルルの問いかけに、顔を赤らめながら玲子が言った。
「実はこれ、私が書いたものなの……」
「ええっ!?」
「言葉の勉強も兼ねて、神話を読むようになったんだけど……ダメなの。七使徒のキャラ立ちが素敵すぎて妄想が止まらないの!」
「きゃらだち? 妄想?」
「私は断然、アイシャ様推し。しかも総攻め。これしか勝たん!」
「タチバナ様、一体なにを仰っておられるのですか?」
「いや、違うわね……。時折、受けに回ることもできるからアイシャ様は尊いのだわ……。さすがアイシャ様……」
「ええと……タチバナ様?」
再度メルルが呼びかけると、正気を取り戻したように、玲子はハッとした。
「ごめんなさい。こないだからこの状態で……」
「大丈夫ですか?」
心配である。
メルルの心配をよそに、玲子は言った。
「それで、今日メルルを呼んだのはね」
「はい」
「この話に、挿絵をつけて欲しいの」
「挿絵……でございますか?」
怪訝な顔をしたメルルに、玲子は何か思うことがあったのか、慌てて言い足した。
「あ、ごめん。まず、このお話なんだけど、私の考えた架空の物語であって、登場人物等にモデルがいないことを宣言しておきます」
「はあ。しかし、登場人物は、七使徒では……?」
「なので! もし神様に対して不敬だ、みたいなことを思っても、見逃して欲しい! どうか見逃して!」
「なるほど」
玲子は異世界人である。こちらの事情には詳しくないであろう。
メルルは言った。
「不敬などということはありますまい。そもそも、七使徒は我々と同じ、人にございます。聖人といえど、人と人とは何かしらあるもので、神話でも彼らの人間らしい挿話には事欠きません。それゆえに人々に愛されているというところもあります」
「そうよね。いくつか読んだけど、私の思う神話とはかなり違って面白かったわ」
「そもそも、闇の使徒アイシャ様は、性に奔放な方であったことが伝わっております。ですから、タチバナ様の書かれたものについても、不敬であるとまでは言われぬでしょう。ただ――」
そこでメルルは、もじもじと体をよじらせる。
「アイシャ様が男として、男と交わるというのはその……これまでにないお話ではありまして……」
「やっぱりまずい?」
玲子が落胆の色を見せた。
「いえ!」
とメルルは言った。
まずくはない。全然まずくない。というか、むしろ――。
「良い……と、思います」
言ってから、メルルは両手で顔を覆った。
「ですよね!」
そこに、ずいっと顔を近づけてきたのは、犬耳メイドのハンナである。
メルルが思わずのけぞると、あっ、すみません、とハンナは小さく謝罪した。
「レーコ様の書かれた物語の良さがわかってくれる方が増えたと思うと、嬉しくって!」
尻尾がぴょこぴょこと左右に振れている。
玲子が言った。
「私も腐仲間が増えてくれて最高にうれしいわ!」
「ふなかま? なんですか?」
先ほどから玲子の言葉には理解不能なものが混じっている。異世界の言葉なのだろう。
「ごめんごめん。今のは忘れて」
と玲子は手を振り回した。
「で、挿絵の件だけど……」
「謹んでお受けさせていただきます」
メルルは頭を下げる。
頭の中では既に、絵の構想が次々と湧き出ていた。
その中には、あられもないアディール様の姿もあって――。
メルルはひとり、頬を熱くした。
彼女の推しは、裁きの使徒アディールだったのである。
次回更新は6/27です。




