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第56話 トラブルの補償……ゲボ吐きそう……

玲子は、緊急メンテナンスの補償対応に追われる――。

 一夜明けて、ダンジョンに入ったすべての冒険者の所在が確認できた。

 行方不明者なし。つまり、死者はいなかったということである。


 先に入った冒険者から順に、マーカーが割り当てられる仕組みになっていたことが幸いした。

 マーカーで捕捉できなかった冒険者は、すなわち後から入った者である。よって彼らは、低層に留まっていた。低層は危険度が低く、死ぬことはなかったのである。


 その報告を聞いた玲子は、深く安堵した。

 しかし――。


「ゲボ吐きそう……」

 と玲子はこぼした。


「まずは、課金アイテムの返金対応……」

 課金アイテムは、ダンジョン魔法で制作している関係上、ダンジョン外に出ると消えてしまう。それを説明して販売しているとはいえ、今回は冒険者に瑕疵はない。返金として対応せざるを得ないのである。


 初日の課金アイテムの売上は、聖金貨一万枚にも上った。日本円にして一億円相当である。

 このうち、三%にあたる金額は、商人ギルドに販売手数料として支払う契約となっていた。金額にして聖金貨三百枚は、かなり大きい額である。ボルタックと交渉してはみるが、値引きはかなり難しいだろう。


 課金アイテムの返金対応がとれるのは、商人ギルドのおかげでもある。彼らはすべての取引について、漏れなく帳簿を作成していた。販売手数料を取る以上、当たり前のことではあるのだが、今回についてはそれで助けられたのである。


「それから、ダンジョン探索の機会損失に対する補償……」

 はぁ、と玲子は大きなため息をつく。

 これは、探索ランキング一位パーティのパトロンであるギルバート伯が、冒険者とそのパトロンたちの代表となって要求してきたものである。



「我々の販売するアイテムの値引きには、応じられません」

 と玲子は言った。

 現在の不利益を回避するために、未来の利益を失うのは本末転倒である。


 ギルバート伯は言った。

「ほう? それでは、いかがなさるおつもりですか?」


「こちらとしては、補償金での解決を求めます」


「補償金? いかほどです? 我々の納得できる金額だと良いのですが」


「ダンジョンから強制転移した冒険者一名に対して、聖金貨三十枚をお支払いします」

 事前にアンドリューと相談して提示した額である。総額でおよそ聖金貨一万枚。日本円にして一億円である。


 ギルバート伯は鼻で笑った。

「馬鹿を仰ってはいけませんね。そんなはした金で我々が納得するとでも?」


「以前の入場税と同額をお支払いすると申しております。はした金とは思えませんが?」


「失礼ですが聖女様は、我々が失った機会がどのようなものであるかを、理解されていらっしゃらないように見受けられます」


「といいますと?」


「我々がダンジョンに挑む冒険者を支援しているのは、何故だと思われますか?」


「それは……栄誉のため、ですね」


「その通りです! そしてそれこそが、我々貴族の最も大切にしているものなのです! 決して、ダンジョンに金銭や財宝のようなものを求めているわけではないのです。おわかりか?」


「わかっているつもりではいます」


「いいえ! わかっておられません。何故ならあなたは、それを金銭で補償できると考えていらっしゃるのですから!」

 やれやれといった態で、ギルバート伯は肩をすくめてみせた。


 金ではない。だから、金では補償できない。そう、ギルバート伯は言っている。


 ひとまず、玲子は反論する。

「しかし、こう言っては申し訳ないのですが、たった一日、二日の探索機会が失われただけに過ぎないのではないでしょうか」


「はっ! たった一日や二日ですと!? あなたは、その一日や二日を、魔王が生き延びることに手を貸したのですよ! その間に、魔王が復活してしまうこともありうるのです! そのことを自覚していただきたいですね」


 ギルバート伯の語っているのは、可能性に過ぎない。可能性に過ぎないからこそ、否定できる材料を玲子たちは持たない。

 反論のし難い理屈を、ギルバート伯は語ってくる。しかし、本質的には詭弁に近い。


 補償金を吊り上げたいの?

 いや。ギルバート伯の狙いは、そこにはない。今の問答で、それを明白に否定している。やはり、アイテムの値引きこそが本命なのだろう。


 そのメリットは何?

 玲子は考えて、すぐに答えを出した。

 そうか。アイテムを買う機会が多いパトロンが、競争上で有利になるようにしたいんだわ。

 つまり、多くのパーティを抱えているパトロンが――。

 それは、ギルバート伯その人であった。



 小用を理由にして、玲子は会合を中座した。

 洗面台の鏡を前にして、玲子は独り言ちる。

「タバコが欲しいわね……」

 禁煙して二十年になるが、時折吸いたくなってしまう。そういうときは、天城に貰いタバコをするのが、前の世界での常であった。

 タバコが吸いたくなるのは、玲子が強いストレスを感じたときである。そんなとき、天城のタバコ――アメリカンスピリットのメンソール――を吸うと落ち着くのだ。

 タバコのおかげか、天城さんのおかげかは、今でもわからないけど……。


 今は、タバコも天城もない。

 ここには、自分しかいない。


 いや、とそこで玲子は思いなおした。

 ――アンドリューも、北條も、水谷も、フェリスも、アルスも、メルルも、いるわね。

 ふっと笑みがこぼれる。

 彼らのためにも、折れるわけにはいかない。


 このプロジェクトのリーダーは、自分なのだから。

 トラブルを修める責任が、玲子にはあるのである。



 ギルバート伯との交渉は、二日に渡った。

 初日の交渉こそ半日を費やしたが、二日目はすぐに決着を見た。それは、初日の段階である程度の落としどころを見つけていたからで、翌日に持ち越されたのは、ギルバート伯が他の冒険者、そのパトロンと、交渉の内容を握るためである。


 結論として、玲子はアイテムの値引きを受け入れた。ただしそれには、二つの条件を付けた。

 ひとつ。三カ月の期限をつけること。

 ふたつ。対象は、今回のトラブルに巻き込まれた冒険者のみとすること。


 二つともに、玲子たちに有利な条件であるように思えるが、実際は違う。ふたつめの条件は、ギルバート伯にこそ有利に働く条件であった。

 今回の騒動に、最も多く巻き込まれたのは、ギルバート伯の抱える冒険者たちである。つまり、値引きの恩恵を最も受けるのは、ギルバート伯なのである。


 ギルバート伯は、皆の代表の顔をしながら、その実、自分が有利になるように立ち回ろうとしていた。

 玲子は、このふたつめの条件を付けることで、ひとつめの条件をギルバート伯に受け入れさせたのであった。


 玲子は、その交渉を行っている間に、水谷にマーカー上限の拡張を行わせた。

 現在の上限は一万。ダンジョンの規模から考えて、まず到達することのないであろう数字である。


 こうして、玲子たちは多大な損失を計上しながらも、本件はすべての決着を見た。

 ――かに思われたのだが。

次回更新は6/9です。

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