第55話 やべー赤ん坊を見つけちまった!
ダンジョン前で起きた騒ぎの中、勇斗とアンジェロは、赤ん坊の泣き声を聴く――。
ダンジョンの大門前で起きた騒動を、勇斗とアンジェロは遠巻きに眺めている。
冒険者たちの言い交わす言葉で、何が起こったかはぼんやりと把握できた。
「つまり、ダンジョンに入ってた冒険者たちが、全員外に出てきちゃったってこと!?」
「そうみたいだな」
「何があったらそうなるの!?」
「俺に聞かれたってわかんねーよ」
「誰の仕業? やっぱり、魔王かな」
「いや、運営かもしれないぜ」
「え? 運営って、聖女様が? なんで?」
「だから、わかんねーって。そういう可能性もあるってだけ」
そのとき。
――おぎゃあ。
小さな声が、聞こえた。
「……なんか聞こえなかった?」
「……聞こえた」
再び。
――おぎゃあ。
「これって、赤ん坊の声……だよね?」
「だな」
「そこの路地からだ」
言うと、アンジェロは駆け出していく。
「あっ、待てって」
アンジェロの背中を、勇斗は追う。アンジェロに続いて、路地に飛び込んだ。
おぎゃあ、おぎゃあ、おぎゃあ……。
はっきりと聞こえた。やはり赤子の泣き声である。
路地で、アンジェロが立ちすくんでいた。
「どうした?」
「ユート、これ……」
アンジェロに促され、勇斗もそれを見た。
赤子は、薄く汚れた白の産着に包まれていて、見えるのは頭だけである。
頭髪がないのは、赤子だから同然であろうか。しかし、その肌の色は、耳の形は――。
扁平な頭、緑色の肌、尖った両耳。それには、見覚えがあった。
「ゴブリンの、赤ん坊……?」
人通りのない路地で、勇斗とアンジェロは揉めていた。
「殺すしかない。魔物だよ」
「だから待てって! 赤ん坊だぞ」
「そんなの関係ない。魔物は人間の敵だよ!」
「それでも赤ん坊は赤ん坊だろうが!」
勇斗の言葉には答えず、アンジェロは、ぐっと決意の表情を浮かべた。
あっ、と思う間もなく、懐からナイフが抜かれる。
勇斗は即座に、それを止めようと動いた。
しかし、遅すぎる。技量の差がここでも出た。
アンジェロはナイフを逆手に持ち、振り下ろす。
――間に合わない。
勇斗は顔を背け、目を瞑った。
なんの音も、しない。
ゆっくりと目を開けると、振り下ろされたナイフの切っ先は、産着の表面で止まっていた。
手をぶるぶると震わせながら、アンジェロが半泣き半笑いで言った。
「無理無理無理! なんか意外と可愛いんだもん!」
勇斗は苦笑しながら、アンジェロの頭を、ぽんと叩いた。
アンジェロはゆっくりとナイフを懐にしまって、目の端の涙をぬぐう。
勇斗は屈みこんで、ゴブリンの赤子を抱え上げた。
「あっ、危ないよ!」
「んなわけないだろ。ほら、何もしてこない」
持ち上げられた赤子は、驚いたように泣き声を止めた。
白目のない、真っ黒な目が、勇斗をじっと見つめてくる。
ややあって、再び泣き声を上げ始めた。
勇斗はあたふたしながら言った
「ど、どうしたらいいんだ?」
「僕だって知らないよ!」
「まずいぞ。このまま泣いてたら誰か来ちまう」
勇斗は渾身の変顔を赤子に見舞うが、泣き声はやまない。
「くそ。無理か」
「僕に任せて!」
いないいないばあ、とアンジェロは言う。言っただけで動作を伴っていなかった。
赤子の鳴き声は止まない。
「ダメじゃん!」
「どどど、どうしよう?」
勇斗は少し考えて言った。
「とっ、とりあえず、そうだな。誰か信頼できる大人のところに連れていこう」
「それって誰?」
「ええと、ええと……、神殿とかどうだ?」
「神殿は魔物アンチだから、すぐ殺されちゃうよ!」
「まじかよ! 神様えげつねえな! じゃあ誰だよ!?」
「えーと、うーんと、そうだ! ギルガメッシュさんだ! ギルマスならなんとかしてくれるかも?」
「じゃあ冒険者ギルドだな!」
よし、と駆け出そうとする勇斗を、アンジェロが止める。
「待って、顔を隠さないと! 見つかったら大騒ぎになっちゃうよ!」
「そ、そうか」
言って、勇斗が額につけていたバンダナを、口元に下した。
「なにしてんの?」
「顔を隠している」
「ユートの顔を隠しても意味ないんだよ! 赤ちゃんの顔を隠すの!」
「そ、そうか!」
バンダナを外して、赤子の顔にかぶせる。
「そっとだよ! 息できるように、そっとだからね!」
「わかってるよ!」
「いや、もう、なんてもんを持ってきちまったかなぁ!」
ギルガメッシュの第一声である。
「こんなん前代未聞だろ。犬猫じゃねえんだぞ。なんで連れてきちまうかなぁ」
「赤ん坊ですよ。殺すわけにはいかないでしょう」
「それは異世界人の感覚だ。こっちの人間ならすぐ殺して終いだぜ」
「いや、だってアンジェロも、かわいくて殺せないって……」
「そうなのか?」
とギルガメッシュは、アンジェロを見てため息をつく。
「お前も、見かけ通りの甘ちゃんだな……」
「ごめんなさい」
とアンジェロがしゅんとする。
勇斗は言った。
「アンジェロが謝ることじゃない。俺の言ったことだ」
「偉そうにぬかすけどよ。お前にこのゴブリンが、どうにかできるのか?」
勇斗は言葉に詰まった。
ギルガメッシュがまた、ため息をつく。
「さっきも言ったように、犬猫じゃねえんだぞ」
「どうにかできませんか?」
勇斗は懇願した。
「どうにかっつったって……殺さないなら、帰すしかないだろう」
「帰すって、どうやるんですか?」
うーん、とギルガメッシュは考え込む。
「運営に相談してみるか。あそこくらいしか、手立てはないな」
「運営……?」
「ああ、聖女様なら、なんとかしてくださるだろうさ」
聖女。それはつまり、勇斗と同郷の、人間である。魔物に対する忌避感より、赤子への同情が勝るだろう。
「お願いします」
勇斗はギルガメッシュに頭を下げた。
それから、抱えた赤子に向けて、言った。
「よかったな。帰れるぞ、ゴブタロー」
「ゴブタロー?」
「この子の名前です!」
「勝手に名前つけてんじゃねえ! そんなんで、ゴブリンに出会ったらどうするんだ?」
「無理っす。絶対に殺せないっす」
だろうな、と何度目かわからないため息を、ギルガメッシュはついた。
次回更新は6/6です。