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第46話 ヘルマー朝のフォロイン様式に勝る美しさはございません!

ダンジョンのトイレに設置する便器のデザインを、新人デザイナーのメルルに任せた玲子たちだったが、彼女の感覚はちょっと独特なようで――。

 さっそく面倒くさいことになってしまった、と玲子は思った。


「ヘルマー朝のフォロイン様式に勝る美しさはございません!」

 そう主張するのは、メルルである。


 メルルのデザインした便器は、玲子たちの感覚からすれば、珍妙なものであった。

 形状としては、和式便器に近い。しゃがみこんで用を足す形である。

 しかしながら、その意匠は、大きく口を開けたドラゴンなのであった。


「いやいや、おかしいでしょうよ! こんなの怖くておちおち用も足せないよ!」

 と言ったのは、北條であった。

「だって、こんなの俺、見たことないよ!? この城にはもちろんないし、街なかのトイレだって、こんなのなかったよ? ていうか、一般的なこのへんのトイレって、洋式、えっとつまり、椅子みたいに座ってするタイプでしょ。これは違うよね!?」


 その言葉に、玲子もうんうんと頷く。


 メルルは、こほんと咳払いして、説明を始めた。

「たしかに現在はボフィン様式が主流でありましょう。しかし、オルフェイシアの歴史上、最も荘厳で華麗なるものは、フォロイン様式にあるのですよ! ダンジョンという格式高い空間には、フォロイン様式こそが最もマッチいたします!」


「だから! そういうのはいらないって、面接でも言ったよね? このトイレを使うのは、冒険者なわけ。貴族じゃない。華美さなんていらないし、普通に使えるもののほうが望ましいの!」


「しかし、ホージョー殿は、デザインには文脈があるとも申されました。このデザインは、オルフェイシアにおける美術史の文脈に則ったものなのです!」


「いや、ここに美術史の文脈はいらないんだよ! 普通のでいいの、普通ので!」


 水掛け論であった。


 玲子は、そこに居合わせたせいで、頭を抱えるようにしているアルスに尋ねた。

「こういう便器って、よくあるの?」


 まさか、と渋面を浮かべてアルスは言った。

「私も数度見かけたことが、あるにはありますが、それは美術品としてですね。実際にトイレに設置されているものを見たことはありません」


「ほらー!」

 と北條がデザイン画を指さして言った。

「やっぱり、一般的じゃないやつじゃん!」


「それは、現存するものが少なく美術品としての価値が高いため、実際に使用する者がいないだけでございます!」


「ヘルマー朝がどのくらい前の時代かわからないけどさー。現存するものが少ないってことは、一過性の流行だったわけでしょう? いま使われてないものを置いてどうするんだってこと!」


「はい。一過性の流行であったことに、私は忸怩たる思いがあるのです。いまこそ! フォロイン様式の復権を! リバイバルを!」


 はぁ、と玲子はため息をつく。

 それから、はっきりとした口調で、メルルに告げた。

「そういうのはよそでやって。うちは、芸術家を雇うつもりはない」


「えっ? あ、いや……」

 メルルが動揺を見せる。


 玲子は言った。

「うちが作っているのは製品よ。美術品じゃないの」


「しかし、便器を販売するわけではないのでしょう? でしたら……」


「多少の遊び心は許す。でも、これはやりすぎ」


「やりすぎ……でしょうか?」


「やりすぎです。まあ、そこの線引きがわからないのは、経験不足だから仕方ないところはある。かなりやばいセンスだけど、そこはひとまず置いておきましょう」

 ところで、と玲子は、一拍おいてからメルルに尋ねた。

「あなたは今回のデザインを、どういう考えで作ったの?」


「はい。それは、フォロイン様式の美しさを、私の手で再現すべく……」


「いろいろあるデザインの中で、そのフォロイン様式ってやつを選択したのはどうして?」


 玲子の質問に、メルルは胸を張って答えた。

「それは、フォロイン様式が、オルフェイシアの歴史上、最も美しい様式であるからです!」


「それはどうして?」


「どうして、と申されますと?」


「フォロイン様式が、最も美しい様式であるというのは、どうして、そうなの?」


 メルルは首をかしげながら答える。

「それは私がそう感じるからです。それ以外にありますまい?」


「OK、わかった」

 と言って、玲子は頷いた。

「このままだと、私たちは、あなたをクビにしなくちゃいけないわ」


「なんですと!?」

 メルルはショックを受ける。


 北條は苦笑した。

「はっきり言っちゃうのね」


「はっきり言わないでどうするの? メルルには、私たちにとって当然で大切な感覚が、まったく抜けてるのよ。このままじゃどうしようもない」


 玲子の言葉に、北條は、はぁとため息をついた。

「確かに、それはそうか……」


 おずおずとメルルが尋ねる。

「すみません。その、大切な感覚というのは……?」


「メルル、あなたは、客商売をしたことはある?」


「いえ。ございませんが……」


「でしょうね……」

 と玲子は言った。

「あなたには、お客さんの目線が欠けているの」


「と、いいますと……?」


「まず、私たちの目的が、商売であるということはわかっている?」


「はい。アンドリュー様にお聞きしています」


「そうなのね。じゃあ、商売というからには、お客さんがいるっていうのも、わかるわよね?」


「そうですね。客がいなければ、商売は成り立ちません」


「じゃあ、うちのお客さんって、誰だかわかる?」


 そこでメルルは少し考える。

「貴族でしょうか? お金を出すのは彼らですから」


「いいえ。お金を出しているのは、冒険者よ」


「はて? 冒険者のバックに貴族がいるというのは常識では?」


 はぁ、と玲子はため息をついた。

「バックに誰がいようと、実際は誰のお金であろうと、私たちに直接お金を払っているのは、冒険者なのよ。だから、私たちのお客さんは、冒険者なの。そこを間違ったらいけないわ」


「そうでしょうか?」


「ちょっと考えてみて。もし私たちが、ダンジョンで食料を売るとしましょう。そこで売るものは何がいいと思う?」


「それは……、干し肉でしょう」


 玲子は頷く。

「おいしくはないけど、かさばらなくて軽いから、冒険者には干し肉が重宝される。でも、貴族はそんなものは買わないし、食べないわね」


「貴族はダンジョンに入りませんからね」


「そう。だから、私たちのお客は、冒険者なの。貴族じゃない」


 メルルは腑に落ちたような顔をする。

「なるほど。納得いたしました」


 玲子は頷いた。

「お客は冒険者。その目線で考える。つまり、便器をデザインするにあたって、あなたはこう考えないといけなかったの」

 そこで玲子は言葉を切った。


「冒険者は、どんなトイレだと嬉しいだろうか?」


 メルルは無言である。


 玲子はさらに言葉を継ぐ。

「あなたは一度でも、お客様の、冒険者のことを考えた?」


 メルルは、顔を紅潮させた。


 北條が言った。

「デザインは、感覚だけでするものじゃないんだよ。考えることをサボってたら、独りよがりのデザインになっちゃう。俺たちがデザインするものは芸術品じゃない。目的があるものなんだから」


「目的?」

 と、メルルが少し目に涙をためて、聞いた。


「そう。今回であれば、冒険者にトイレを使ってもうらうこと。便器を鑑賞して感動してもらうことじゃない。そこは過剰なんだよ。目的から外れてる。過剰さも多少は許されるけど、今回はやりすぎ」


「許される範囲が、私にはまだわかりません。ですが、今回のものが過剰であることは、よくわかりました」


 北條が、ふっと笑った。

「まあ、これから色々とわかっていけばいいよ」


 その言葉に、メルルが、ばっと顔をあげた。

「そ、それでは、まだ私はご一緒に仕事をさせていただいてもよろしいのですか!?」


 玲子がジト目で北條を見る。

「北條ってば甘ーい。メルルが、若くて美人だから?」


「何言ってんの。玲子ちゃんだってすぐクビにするつもりはないくせに」


 玲子は苦笑する。だからこそ、わざわざメルルの問題点を指摘したのである。


 北條がメルルに言った。

「じゃあ、もう一回考えなおそっか」


 はい、と答えて、メルルは涙をぬぐい――、ペンを握りしめた。



「なんでギリギリのラインを攻めるかなぁ~!?」


「えっ、これでもまだ華美に過ぎますか!?」


「過ぎますよ。なにこれ!?」


「グリム朝時代に好まれたドルマン様式の……」


「だからその、なんちゃら様式ってやつなんなの!? 普通のでいいって言ってるじゃん!」


「しかし、市中の公衆トイレと同じボフィン様式では、やはりダンジョンと合わないと思うのです」


「それさあ、本当にそうなの? まあ、俺はダンジョン行ったことないから強くは言えないけどさあ」


「そこは! そこは私を信じていただきたく存じます!」


「ていうか、まだ入り口の看板とか洗面台とかもデザインしなきゃなんだから、これにあんまり時間かけすぎても困るんだけど?」


「申し訳ございません。では、もう少し時代を下って、ムルガン様式など……」



 侃侃諤諤の議論の末、最終的に決まった便器のデザインは、玲子からすれば少し派手かもしれないと感じられるものだったのだが、疲れ切った北條を見て、異論は挟まないないことにした。

次回更新は5/26です。

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