第45話 志望動機を教えてください
玲子と北條は、デザイナー志望の獣人、メルルの面接を行う――。
「私はメルル。この街で、ハウスキーパーのようなことをやっている者です。ダンジョン運営の人材を募集されている旨、アルス殿より伺い、馳せ参じました。よろしくお願いいたします」
男性みたいな話し方をする人だな、と玲子は思った。
古城の応接室。テーブルを挟んで向かいに座っているのは、女性である。
それも、かなりの美貌の持ち主である。すらりと手足が長く、身長も高い。引き締まった体をしている。まるで、元の世界のモデルのようである。
ショートカットの髪の合間から、左右に二本の角が生えている。角はくるりと螺旋を描いていて、牡羊のそれを思わせた。
つまり、この人も獣人というわけね。
玲子はもう、驚きもしなかった。街で見かけることこそないにせよ、メイドのハンナとサビィを始めとして、城内には多くの獣人の使用人がいるのである。
玲子は言った。
「よろしく、メルルさん。私はダンジョン支援運営局の代表、橘玲子です。お会いできてうれしいわ」
「聖女様。こちらこそ、お会いできて光栄に存じます」
メルルは立ち上がり、恭しく礼をする。
玲子は苦笑する。
「これから仕事仲間になるかもしれないっていうのに、そういうのはやめてよ。玲子でいいわ、玲子で」
「失礼いたしました」
言ってから、メルルは再び椅子に腰を下ろした。
玲子の隣に座る北條が、こちらも挨拶する。
「俺は北條涼介。デザイナーです。一応、もし一緒に仕事することになったら、君を指導していく立場になるかな。よろしくね」
「はい。よろしくお願いいたします」
今度は座ったままであったが、メルルは深々と頭を下げる。実に礼儀正しい人物である。
玲子は尋ねた。
「もしかして緊張してる?」
「は? いえ、特にそのようなことはございませんが……」
「なんか、喋り方が硬いような気がするんだけど」
「いえ……、私はこれで普段通りなのです。申し訳ありません」
「それならいいわ」
と言って、玲子は居住まいを正す。
「それでは、面接を始めさせていただきます。まずは、志望動機から聞かせてもらえる?」
「はい。私は昔から、芸術が好きなのです。絵画、彫刻、あるいは詩歌、そういったものを愛しております。幼いみぎりには現実を知ることもなく、絵で身を立てようと考えたことさえありました。むろん、私のような身の上のものが、その夢を叶えることはなりませんでしたが」
ここは元の世界とは違う。芸術のような生活の糧にならないことに手を出せるのは、一部の貴族だけだろう。
玲子はそう、メルルの話に納得する。
「ですが、アルス殿よりこの話をお聞きしたとき、私の中に眠っていた願望が再び目を覚ましたのです。絵で身を立てたい。好きな芸術を仕事にしたい。誰にはばかることなく、そうやって生きていきたいと思ってしまったのです」
「待った」
と北條が言った。いつになく真剣な表情である。
「俺たちの作るものは、美術品じゃない。製品だよ。ほとんどの場合、自分を表現することはできないし、時には自分の美学に合わないものだって作らなくちゃいけない。そういうことは、わかってる?」
「むろんです。しかし、自分の制作したものが、製品となる。誰かの手に渡る。それはいかほどに素晴らしい事でしょうか」
メルルの目はきらきらと輝いている。
「うん。それはそうなんだけど」
と北條は言った。
「もし一緒に仕事するってなったら、最初に作ってもらうのは、たぶん便器になると思うけど、それは大丈夫?」
「は? 便器、ですか? トイレにある、あの?」
「そう、その便器。男性用と女性用を作ってもらうことになると思います」
「なんと!? もしや、ダンジョン内にトイレを設置なさるご予定か?」
「うん。そのつもりだけど……」
「素晴らしい! そのような意義深い大事業に携われるなど、望外の極みです!」
そのリアクションには見覚えがあった。
玲子は尋ねる。
「ひょっとしてだけど、メルルさんって、冒険者やってたことある?」
「いえ、私は、どちらかと言えばそれを待ち受け……」
げふん、げふん! とメルルに同席していたアルスが大きな咳をした。
「失礼。ちょっとこの部屋は、埃が多くてかないませんなぁ!」
「ああ、ああ、そうそう、数年前まで冒険者をしておりました! はい、しておりました!」
と、何故だか慌てたようにメルルが言う。
玲子は少し首をかしげながら、えっと、と言った。
「それはありがたいかもしれないわ。今の運営メンバーには、アンドリューとフェリスくらいしか、冒険者を経験している者がいないの。あなたが入ってくれると、すごく助かる」
メルルは、少しこわばった笑みを浮かべながら言った。
「ま、まあ、ダンジョンのことであれば、多少は詳しいかと存じます」
うん、と玲子は頷いて、北條を見た。北條もそれに頷き返す。
志望動機については、ひとまず良しということである。
「では、次にいきます。昔、絵描きを目指していたってことだけど、今はどう? 絵の腕前はどんな具合かしら?」
「はい! むろん、今も暇を見つけては描いております。それで、ぽーとふぉりお? というものとしまして、先月描き上げたばかりの絵を持参いたしました」
メルルは嬉々として立ち上がると、入口付近に立てかけてあった、一メートル四方ほどの板を持ってくる。布がかかっていて中身は見えないが、キャンバスに描かれた絵なのであろう。
というか、メルルがそれを抱えて入ってきたので、ああ、あれが頼んでおいたポートフォリオかな、めっちゃでかいな、とは最初から思っていた。
では、と前置きして、メルルが布を取る。
色彩が飛び込んできた。
中央に女性が描かれていて、その周囲に男女の姿がある。中央の女性は白いローブを纏っていて、後背には光輪が描かれている。神々しさの表現であろう。
周囲の男女は、色とりどりの着衣である。色だけではなく、ローブであったり、鎧であったり、様々な着衣である。
玲子は尋ねた。
「これは?」
「定番のモチーフで恐縮なのですが、神と七使徒でございます」
「神と七使徒?」
玲子は首をかしげる。
メルルは、はたと気づいた顔をした。
「これは申し訳ございません。お二人は異世界人でいらっしゃいましたね」
それから、説明する。
「オルフェイシアにおける芸術は、神とその眷属たる七使徒の威光を讃えるものがほとんどなのです。これは、歴史上高名な画家というのが、基本的には宮廷画家であったためです。彼らがモチーフに選ぶのは、王族の肖像などでなければ、宗教画でありました」
「日常の風景を描いたりはしないの?」
「習作としては描くこともあります。しかし、それを大々的に公開することはありません」
「そういうものなのね」
「高名な画家の絵は、当然ながら皆が真似します。技法だけでなく、モチーフについても同様です。ですから、プロであれアマチュアであれ、画家と呼ばれる者が描くものは、ほとんどが宗教画です。お恥ずかしながら私の絵も、かつての宮廷画家ルーベノスの影響をかなり受けております」
ふうん、と言いながら北條が絵を眺めている。評のようなものは口にしていない。
玲子は北條に、ひっそりと耳打ちする。
「で、この絵はぶっちゃけどうなの?」
「俺的には悪くないと思うよ。デッサンに狂いも見えないし、普通に描ける人だってことはわかる。ただ……」
「ただ?」
「芸術的な評価についてはわかんない。芸術の世界における絵とかって、単体では評価できないんだよね。文脈の中でしか評価できない」
「文脈って?」
「歴史とか、技術史とか、そういうのね。目の前にある絵が技術的にめっちゃすごい絵だったとしても、それが贋作だったら芸術的には全く意味ないわけなのよ。それはただ、贋作という評価でしかないわけ」
「なるほどね」
「でもまあ、こっちとしては芸術的にどうかなんて、どうでもいいからさ。うん、ちゃんと描けてる。ポートフォリオは合格でいいんじゃないかな」
それに、と北條は言って、メルルに声をかける。
「メルルさんは、この世界の芸術について詳しいの?」
「はい。あ、いや、独学でしかありませんが、それなりの見巧者であると自負しております」
「武器や防具の意匠とか、そういう工芸品についての知識は?」
「そちらについては、多少自信があります。自らが使っておりましたし、趣味でいろいろと研究もしておりました」
「それは助かる」
と北條は破顔した。
「冒険者たちに向けたアイテムをデザインするには、この世界のデザインの文脈を知らないといけない。たとえば、トイレのピクトグラムひとつとっても、どうデザインすべきか考える必要がある。そもそも、ピクトグラムが使えるのか、そこからだから」
「なるほど。デザインでも文脈があるわけね」
「適当に描いたものが、神を冒涜するものだったりしたら目も当てらんないしね」
そういうことも確かにありうるかもしれない。
玲子はメルルに向けて言った。
「ありがとう。こちらから聞きたいことは以上です。メルルさんからは何かありますか?」
では、とメルルは言った。
「先程の志望動機で、ひとつ言い忘れていたことがありまして」
「なんでしょう?」
「私が絵の仕事をしたいというのは、確かに動機のひとつではあるのですが、もうひとつ、ダンジョン運営に携わりたい大きな理由があるのです」
「というと?」
「私は、アンドリュー様の力になりたいのです」
「アンドリューの?」
「はい。あの方は、私のような者に対しても良くしてくださいます。その、恩返しがしたいのです」
メルルは亜人である。よくは知らないが、オルフェイシアにおける亜人の扱いは、あまり良いものではないらしい。
しかし、アンドリューはむしろ、亜人たちを積極的に登用している。そのスタンスは、この世界ではおそらく珍しいものである。
メルルはそのことを意気に感じているのだろう。
「私は、皆様の力になりたい。ダンジョン運営の仕事に加えてください」
そうメルルは頭を下げた。
メルルがアルスとともに退室し、玲子と北條の二人になる。
北條は尋ねた。
「で、どうする?」
玲子は答えた。
「いいんじゃない? 採用で」
「正直なところ、俺はちょっと不安あるかも」
「どのへんが?」
「意に沿わない仕事をちゃんとやってくれるかってところ」
北條の言葉に、玲子は頷く。
「確かに。生真面目そうだし、あのタイプは意外とかもね」
「職業デザイナーは、クラアントの要望に応えてなんぼ、要望を上回ってなんぼなんだけど、あんまりこっちの意向に沿おうって姿勢が見えなかったんだよね」
「さすがにそれは高望み過ぎじゃない? 未経験なのよ?」
「まあ、それはそうかも」
「北條は、彼女を雇うのには反対?」
「いや。スキル的にも問題なさそうだし、デザインに関する知識も豊富そう。玲子ちゃんがOKなら異論はないよ」
「んじゃ、ひとまず採用ってことで」
と玲子は軽く言った。
まあ、無理そうだったらお引き取り願えばいいのである。
そこで、あっ、と玲子は言った。
「そういえば、待遇の話をしていなかったわ……」
「たしかに。でも、俺たちは予算を握ってないから、そのへんの話はしにくいね」
プロジェクトの予算を握っているのはアンドリューである。
「そのへんは、まあ、アンドリューに任せとけば大丈夫でしょ」
と、玲子は言った。
次回更新は5/23です。




