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月とUFO

作者: 闇之白夜

 Aは生まれると父方の祖母べったりになった。顔立ちが父に似ているからだった。祖母は孫をうわべはかわいがったが、実は単に息子を取った嫁への当てつけとして、その憎い女の子供を奪って所有したいのが本心だった。幼いAはそれを感じ取り、うわべはなついても、心底ではいつ見捨てられるか分からない、捨てられたらもう死ぬしかないという命の危機におののいて育った。そこで本心を隠して媚びを売ることを覚え、五歳になるころには、すっかり対人恐怖症になった。


 Aが小学校に上がったころ、もともと社会不適応の父はささいなことで仕事をしなくなり、酒乱になった。愛想を尽かせた母はAを連れて家を出た。だが、ほとんど祖母としか接触してこなかったAにとって、いちおう同居していたとはいえ、きつい性格の母は、よく知らない怖い女性にしか思えず、ちょっと叱られるだけで「殺されるのでは」と恐怖に凍り付いた。祖母から常に生命自体を脅されてきた当然の結果だった。

 しかし母からすると、息子のこの状態は不快でしかなく、彼女にとっては姑のところでバカになって戻ってきた使えないガキだった。彼女は極度のファザコンだったため、自分の息子が男らしくないなど到底許せるものではなく、Aがおびえるほど怒鳴りつけて叩くだけだった。そしてAはますますおびえた。


 そこでAは、生きるために自分を完全否定して別の理想的な人格を作り、それでやっていこうとした。自分が母の望む、男らしく強く頼りになる欠点のない男性であると本気で思い込んだ。弱くて情けなくて誰も助けることができず、誰も望まない真の自分を直視するなど、五歳の彼には到底無理なので、その存在自体を無視して隠し、意識から消し去ろうとしたのだった。

 しかし、そうやって本当の己を消し去って妄想の自分を信じている状態は、全てを嘘いつわりで塗り固めたとてつもなく不自然で不気味なもので、それも五歳の子供がやるものだから、幽霊のような気味悪さがますます強調されてしまった。


 だから学校の同級生や、近所のほかの大人たちが忌み嫌っていじめたのはもちろんだが、一番嫌がって虐待したのは彼の母親だった。彼女はAが必死に装う「強い自分」や「かっこいい自分」を見るたびに、服をはぎ取って裸にして蹴とばすように、ことごとくあざ笑い、そのもろい「鎧」を打ち砕いては踏みにじった。彼女はAが自分に嘘いつわりのごまかしで接する不誠実さ、汚さ、稚拙さに耐えられなかった。生まれながらの真に強い子、かっこいい子以外はいらなかったのである。幼児期に父と死別し、ずっと父なしで母親にコキ使われて育った彼女は、何が何でも強い父性を求める重度のファザコンだった。

 このように真の自分もいつわりの自分も否定されたAには、完全に居場所がなくなった。ある晩、いつものように「強い振り」という醜態をさらして母を怒らせ、さんざんに殴られてあざだらけになった。このころには母は酒びたりでアル中になっていた。


 Aは真夜中、高いびきで眠る母の脇を抜け、外へ出た。晩秋の寒空の中、着の身着のままだった。戻らないつもりだったし、そもそも帰る場所などもうなかった。毎日暴力と暴言を受けて、それでも生き続けるのならそこも自分の家だったろうが、それにはもう心身が耐えられなかった。嘘いつわりの自分を、たとえ上っ面でも認めてもらえれば、かなり歪んでもとりあえずは生きていけたろうが、嘘も本当もすべて否定されては全滅だった。彼にはもう、どこにも居場所はなかった。





 Aは学校の裏山へ行った。誰も来なくて落ち着けるので、放課後にはたまに来る。山のてっぺんはひらけていて、街をよく見渡せる。こんな時間に来たのは初めてだった。街の灯り、ネオンがちらちらときれいだった。ここにあるのは月明かりだけ。いるのも彼だけ。

 そのはずだったが、ふと上からブーンという低い機械音が聞こえた。見上げたが、黄色い満月しかない。だが見ていると、満月の中に黒い点があり、あっという間に膨れ上がって月を飲み込んだ。それは巨大な黒い物体で、ただブーンという音だけを立てて静かに彼の前に降りた。月から来た円盤型のそれは、どう見てもUFOというやつだった。大きさは横幅五メートル、高さは三メートルくらいと、一軒の平屋ほどのサイズである。


 Aは苦痛を感じないために、感情をかなり麻痺させていたので、そう驚かずにいた。すると壁の一部が四角くひらき、中から若い女性が顔を出した。細面の白い肌で、長い黒髪に口元に笑みをたたえた優し気な顔だが、服は黒のレオタードみたいで、あまり宇宙人ぽくはない。

 女はAの顔を見ると、悲し気な顔になった。が、すぐに微笑に戻り、入口から降りて彼のところへ来た。そしてしゃがんで目線を同じにすると、顔に似あうやわらかい声と口調で、ゆっくりと聞いた。

「君、行くところ、ある?」

 Aが首を振ると、女はにっこり笑い、また聞いた。

「いっしょに来る?」


 拒む理由はなかった。もう帰るところはない。というより、Aは自分の意志を持つことをあきらめ、全てを他人に委ね従うことに慣れきっていた。いないも同然の自分のすることはすべて間違っており、とりあえず誰かの言うとおりにしていれば正しい、というのが彼の基本的な考え方だった。

 UFOの中は暖かくホテルの一室のようで、ソファまであって快適だった。女は優しかったが、Aはいつものように恐怖と不信を鎧のようにまとって座っていた。

(こいつ女だから、絶対に自分を傷つける)

 これも彼の常識だった。


「ちょうど星に帰るところだったの」

 飛行機のコクピットみたいな席で背を向けて発進させながら、女は嬉しそうに彼に流し目を送った。

「一人で寂しかったのよね。連れが出来てよかったぁ」


 船はあっという間に地球を抜け、太陽系をはるか離れて、周りはまばゆい星の海になった。大窓から見たAは、この美しさにはさすがに目を見張った。

「自動操縦にしたから」

 女が立ち上がって言い、後ろの彼のいる部屋まで来た。Aはいつもどおり恐怖に萎縮したが、彼女がかなり離れたソファに腰かけたので、多少はほっとした。

 もうすべてがどうでもいいからこうして来たわけだが、この女の星とやらに行っても、どうせまた否定されいじめられるなら同じことかもしれない。が、それでも、あのままあそこにいても死ぬか殺されるだけだったから、今はこの状態のほうがよほどマシに思えた。

「だいじょうぶ」

 それを見通したように、女は微笑んで言った。

「私の星、きっと気に入るよ。坊やには向いてるかもしれないわ」


 女は自分を押し付けずに常にAの気持ちを聞いた。女は待った。Aが意思を持つことを当然の権利だとし、それを疑いすらしなかった。Aを道具のように使うのではなく、心のあるひとりの人間として対した。これは彼にとって革命だった。生き方だけではない。Aには全く知らない未知の世界が、女の手によって次々にひらけていった。


 船は女の星に降りて行く。最初はどこへ行こうが何をしようがこの世は自分にとって地獄だろうと決めつけていたAだった。

 それを正直に話すと、操縦かんを握る女は、また背後に流し目を送って、「そうね。でも、これからは、わかんないから」と、にっこりした。





 そして確かに女の言う通り、星に着いてからのAは地球とは真逆の極楽の人生を送った。やることなすことすべてがうまくいった。財をなし、彼をここへ連れてきた女と結婚し、子供ももうけて幸せの絶頂をむかえた。


 老後を悠々自適に暮らす今では、あの月の晩、自分をもう耐えられないと思うほどに痛めつけてくれた母親に、感謝の念すら持つようになっている。

 おかあさん、死ぬほど不幸にしてくれて、ほんとうにありがとう。(終)

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