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久しぶりの帰省

 夢を見た。


 ゴキブリを素手で潰す夢だ。


 彼女が手を叩いて喜んだ。

(けん)君、すごいじゃん!」

「これで(あや)を守れるよ」

「かっこいいー! 頼りになるー!」


 降り注ぐ紙吹雪。抱きついてくる彩。彼女をお姫さま抱っこして、僕は胸を張った。

 祝福するように音楽が流れてくる。

 ファンファーレでも鳴ってもらいたいところなのに、なぜか電子音。


 聞き覚えがある。

 これは、毎朝聞く……。


 そこで僕は目を覚ました。

「夢か……」

 変わらないのは、アラームが鳴り続けていること。

 ケータイを手探りで探し、ベッドの下に見つける。その拍子に毛布がずれた。


「さっむ!」

 慌てて二度寝しようと布団に潜り込む。

 独り言に応える人はいない。


「なんで、あんな夢を見たんだろう……」

 寝返りをうつ。目を閉じる。

 だけどさっきの夢が……厳密には、リアルの自分との差が思い出された。

 

 僕はゴキブリを殺せない。

「かっこいい」なんて言われたこともない。

 女の子を抱き上げるような筋力もない。 


 何より、今の僕には彼女がいない。

 夢の中の彩と付き合っていたのは、大学の頃だった。


 なんであんな夢を見たんだろう。

 でも、彼女に抱き着かれるのは悪くなかった。


 夢の続きが見れないだろうかと頑張ってみたが、二度目のアラームが鳴る。

「うう……」

 いつもと曲が違う。

 僕はようやく画面を見た。


『帰省! 起きろ!』

 昨日の自分からのメッセージが、そこにあった。


 人生には、現実が予想とガラリと違う顔を見せたり、目からウロコがぼとぼと落ちたり、つまりいつもの日常とは違う日がある。

 何年か経っても思い出すような。

 急に日記をつけたくなるような。


 僕にとって、この37歳の正月がそんな感じだった。



 ぼうっとする頭で、僕は朝食を食べ、支度をする。


「帰ってきなさい」と母がうるさいのはいつものことで、ここ数年は仕事が忙しい、と断っていた。

 電車で2時間半の距離は、いつでも行けるようでいて、実際行くとなるとひどくおっくうだ。帰ったら帰ったで「仕事はどうなの」「いつ結婚するの」と言われるのは目に見えている。


 田舎から出たくて、必死に勉強して、親も説得して奨学金と言う名の借金までして都会に出てきたのに、大人になれば「正月は帰省するよね?」と世間は訴えてきて、自分も「今年は帰ろうかな」と態度が軟化してくる。それが今年だった。


 既に10代の頃のような熱さを僕は持たない。

 あの頃僕がバカにしていた「大人になったらわかるよ」としたり顔で言う大人に、僕もなりつつある。

 

 そんなことをつらつら考えてしまうのは、スマホの充電をし忘れていて、普段なら暇つぶしに見ている画面を惰性で開いては「そうだったバッテリー切れそうなんだった」とまたオフにして、を繰り返しているからだった。

 そんな間の抜けた大人になるとも思っていなかった。


 バスの中も電車の中も街中も、人が多く、皆「正月」というイベントに浮かれていた。

 行き交う人々を目の端で観察しながらキャリーケースを引っ張り、移動する。


 せめて何か楽しみを見つけようと、駅で弁当を選んだ。正月だし奮発するか、と寿司や牛肉入りの弁当を見るが、「クリスマスだから奮発するか」「年末だから奮発するか」と散財したことを思い出した。

 結局、出張のたびに食べている幕の内弁当にした。おかずが一品変わり、値段が50円上がっていた。物価高騰の波がここにも。世知辛い。


 何か忘れている気がして地下街の壁に寄りかかると、「お土産にオススメ!」と書かれた店のポップが目に入った。

 「手土産もいるか」と思い出し、駅弁を縦にしないように気をつけながら土産物を見た。先に土産物を買っとけばよかった。和風か洋風か決めきれず、せんべいの詰め合わせとバウムクーヘンを買った。


 正月の特急は混んでいた。


「お腹すいたー」

「我慢しなさい、おばあちゃんち着いたらごはんだから」と前の座席の親子が話していて、なるべく音を立てずに弁当を食べるミッションが発生してしまった。気を使いながら食べる弁当は、味が薄い気がした。


 隣の席の人は充電コードをつなげてスマホを楽しんでいる。うらやましかった。コードも買えばよかったか、しかし買えば高いし、弟にでも借りよう、とうだうだ考える。

 

 弁当をこそこそ片付けて車窓から外を見る。おぼろげに記憶にあった窓からの景色が、懐かしさを帯びてくる。


 僕の実家は田舎にある。

 田んぼだらけで見通し良いことこの上ない。

 よく田舎の度合いを「バスが〇時間に1本」なんて表現するが、そのバス停だって田舎のメインストリートにある。行き着くまでが遠い。

 車がないと不便極まりない。


 特急を乗り換え実家の最寄り駅についた僕は、バス停の時刻表を見てげんなりした。正月ダイヤで本数が減っている。次のバスは1時間半後らしい。

 

 タクシー乗り場に目をやると、タバコをくわえた初老のドライバーがひょいと片手をあげた。




「あんたぁ、後潟(うしろがた)さんのところの健ちゃんね! はー、大きくなってぇ」


 どちらまで、帰省ですか、と差し障りのない会話からものの5分で、ドライバーは僕の個人情報をずるずる引き出した。すご腕である。


「健ちゃんち言えば、あんた足が速くて県の大会に出てすごかったねぇ」

「それは弟の健二の方ですね」


「そうね、ほいであんた、本を読みながら歩いてて用水路に落ちて、皆で大騒ぎして探したことがあったがね」

「あ、それは小学生の時の僕ですね」


「確かよかとこに就職しっせー、結婚して子供ができて奥さんは事故で亡くして……あら、でも今日は1人ね?」

「……そっちは弟ですね、僕は独身です」

 

 タクシーを降りる頃にはげんなりしていた。

 あの調子だと、弟と僕の情報が結局混ざったまま彼の記憶に残ってしまった気がする。両親を少し恨んだ。健一と健二って安直すぎる。


 あと「後潟健一(うしろがたけんいち)が帰ってきた」というのは広まるだろう。田舎は情報が出回るのが早いのだ。


「……はぁ」

 ため息をつく。

 実家を見る。

 相変わらず広いが、農家は農家だ。草と土のにおいがする。ひんやりとした空気は都会のそれより冷たい。

 僕は息を吸い込み、一歩踏み出した。

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