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子守唄専用楽器

作者: 村崎羯諦

「こちらがお客様がお探しの子守唄専用楽器です。お亡くなりになった大事なお母様の歌声を再現し、いつでも昔のような子守唄を聴くことができる人気の商品になってます」


 路地裏にひっそりと店を構える楽器店。来客である男に楽器の説明をしている店主は四十代後半くらいの男性で、すらりと細身の体型が品の良さを感じさせる。ただ、その顔の右半分を覆うように大きな火傷跡が残っていて、説明をしながら時折、店主は無意識にその火傷跡を触っていた。


「人間の声というのは、その人の声帯や声道、顔の形など様々な要因で決まります。複雑であることには変わりがないのですが、逆にデータが揃っていれば人工的に再現可能なんです。お亡くなりになられたお母様の喉や口の中を、死後に解剖して徹底的にスキャンする必要はあるのですが、それさえできるのであれば、この楽器は作成可能なのです」


 説明だけ聞いていてもあまりピンとこないでしょうから、実際に使ってみましょうか。店主は男に穏やかに微笑みかけると、机の下から瓢箪のような形をした金属製の道具を取り出した。店主は男が見守る中で電源を入れ、小さな液晶パネルを操作する。


 すると、楽器のスピーカー部分から若い女性の優しい歌声が聞こえてきた。その歌声には慈愛が込められていて、男はそれを聞いているだけで胸が暖かくなるような気がした。男が目を閉じると、はるか昔の子供時代の思い出が蘇ってくる。母親の膝枕でうとうとしており、母親が自分の額に手をそっと乗せてくれている。そんな懐かしく、心温まる思い出。


 これは私が愛する母親の声を再現したものなんです。店主がスイッチを切り、それからにこりと微笑みながら説明してくれた。男はこれは本物だと確信し、店主に前のめりになって問いかける。


「実は母親があまり先がなさそうでして……可能であれば、声だけでも残すことができたらと思っているんです」

「ええ、そういう人は多いですよ。他にも、配偶者であったり、子供だったり、いろんな事情を抱えた方がいらっしゃるんです。私としてもあなたのような方の助けになれるのであれば本望ですし、聞きたいことがあればなんでも聞いてください」

「ありがとうございます。では、ちょっとお伺いさせてください。先ほど声帯を再現するとお話しされてましたが、それはつまり子守唄以外も流すことができるということでしょうか?」

「ええ、まさにその通りです。この楽器が作られた一番最初の動機が子守唄だからこんな名前がついていますが、もっと簡単に言えば、故人の声を再現することができる機械なんです」


 男が満足そうに頷く。では、子守唄以外についても聞いてみてください。そう言いながら、店主がスイッチを押す。


『あらあら、シュウちゃん。どうちたの? ママはシュウちゃんのことが大好きだからね。ほら、いい子いい子ちてあげるから、泣かないで。シュウちゃんは私の宝物だよ。可愛いねー』


 機械から大音量で聞こえてくるのは先ほどと同じ若い女性の声。この機械は死んだ時の声だけではなく、その人の昔の声も再現することができるんです。店主は液晶パネルを操作しながら補足を加える。


「声帯を再現しているので、流す言葉も自分で自由に決めることができるんです。つまり、その人が実際に言っていた言葉以外も流すことができる」

「ということは、今のは……?」

「ええ、今のは私の母親の声で、私が言って欲しい言葉を再生しているんです。この音声は私のお気に入りでしてね。少なくとも毎日10回は聞いてます」


 こほんと店主が咳払いをする。それから男の方をみて、楽器の購入申し込みをしていかれますか?と尋ねる。男はゆっくりと頷き、購入の意思を店主に伝えた。


 購入ありがとうございます。それから店主は奥の部屋へと男を案内する。その部屋で細かい手続きや契約、今後の流れについて説明を始めた。同意書や法的に必要となる様々な書類にサインを行い、疲れ切った様子の男に店主がこれで手続きは終わりですと告げる。


「それではお母様が死亡されたら、葬儀屋よりも前にご連絡ください。お母様の声帯や声道を解剖するための専属医をすぐに派遣しますので」


 男はお礼を言い、それから帰宅の準備をする。分厚い書類をカバンに詰め込みながら、男はもう一度、先ほど実演してもらった楽器へと視線を向ける。


「店主さんのお母様もさぞかし優しい方だったんですね。決して安くない金額だろうに、息子がこうして声だけでも子守唄専用楽器として残すくらいですから」


 男の言葉に店主は穏やかに微笑み、それから首を振った。


「それがですね、息子の私が贔屓目に見ても、あまりできた母親ではなかったのかもしれません」

「というと?」

「私の母親は私が小学生の時に不倫相手の男と駆け落ちしてしまったんです。それから何十年もの間、母親とは連絡がつきませんでした。ですが、ちょうど二年前、駆け落ち相手からも捨てられ、ボロボロになって亡くなった母親と病院で再会したんです。ただ、何十年も前に別れたとは言え、私は母親を愛していましたから。せめて、声だけは残しておきたいと思って楽器を作ったんです」


 店主が男と共に店の入り口まで歩いて行く。そして、店の玄関の扉を男のために開けながら、思い出したように男に話す。


「あ、そうそう。私の顔右半分を覆っているこの火傷なんですけどね、これは母親から6歳くらいの時につけられたものなんです。『産まなきゃよかった』って言われながら、熱湯をかけられちゃったんですよね。今となっては笑い話ですが」


 ではまた、お客様のお母様がお亡くなりになられてからまたお会いできるのを楽しみしております。店主は爽やかな笑顔を浮かべたまま、男を見送った。一仕事終えた店主は肩を回しながら、店に戻り、椅子に腰を下ろす。それから背もたれによりかかりながら、深いため息をついた。そして、近くにあった子守唄専用楽器のスイッチを入れ、音声の再生を始める。店主は目を閉じ、楽器から聞こえてくる母親の声を聞きながら、ゆっくりと眠りに落ちて行くのだった。


『あらあら、シュウちゃん。どうちたの? ママはシュウちゃんのことが大好きだからね。ほら、いい子いい子ちてあげるから、泣かないで。シュウちゃんは私の宝物だよ。可愛いねー』

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