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運び屋の季節  作者: 飛鳥 瑛滋
番外編 夏 七月 野島湖乃波の夏休み
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三章 図書館の美女と美男探偵(7)

                    3


 次の日の朝、プジョー207SWは私と狗狼を乗せて再び福井県へと疾走していた。

 ただそのまま同じルートを走るのでは面白くないと六甲道路から六甲北道路へ抜け、中国道へ入る事を選んだ。

 そして今は一昨日の帰り道に使った舞鶴若狭自動車道を北上している。

「……」

 狗狼は207SWを発進させてから一言も口を開いていない。時折、バックミラーへ目を走らせて憮然とした表情を作るだけだ。

 わたしも読書を中断して振り返りたい衝動に駆られるが、運転席の雰囲気を察して敢えて前を見つめ続けている。

「……無視しないで欲しいなぁ」

 後部座席に座る人物から声が駆けられたが、狗狼はただアクセルを踏み込むだけだ。

 私はスピードメーターの針の指す場所を読み取った。 

 時速百四十キロ。

 私の見間違いでなければ、先程道路脇に立てられていた最高速度の標識は時速八十キロのはずだ。

 時間が推しているのでもない限り、速度を出さない狗狼にしては珍しいと言えた。

「……」

 スピード違反で免停になりませんように。

 当初休憩場所として予定していた西紀SA(サービスエリア)を当然のように通り過ぎる。

「なあ、此処でトイレ休憩するんじゃなかったのか?」

 後部座席に腰掛けた人物から疑問の声が上がったけど、当然ながら狗狼は何も答えなかった。

「湖乃波ちゃん、次のPA(パーキングエリア)でトイレに行かせてくれるように(いのしし)に頼んでくれないか」

 猪って、と私は呟きながら隣へ目をやる。

「……」

 狗狼はひたすら前を見つめて運転。

「狗狼」

「何?」

「私も、そろそろトイレに行きたい」

「……」

 流れる風景が緩やかに形を取り戻す。

 胸中で安堵し乍ら私はこれからの行程の長さにため息を吐きたかった。

 六人部(むとべ)PAに立ち寄って後部座席にいた人と連れ立ってトイレに向かう。狗狼は喫煙所へ向かった。何となく肩を怒らせているのように見えるのは気のせいだろうか。

「何だ、あのむっつり運転手。今日は機嫌が悪いのか? 湖乃波ちゃん、心当たりある?」

 私もつい、自称探偵の整った顔を睨み付けてしまう。

「え、どうしたの?」

「……何でも無いです」

 横を通り過ぎた男女のカップルの女性が驚いたように振り返る。きっと横の探偵さんの容姿を目にして驚嘆(きょうたん)したんだろう。

 黙っているとカッコいいのに。つい、そう漏らしそうになる。

 数分後、用を足して207SWまで戻ると二人の姿は無く、売店の入り口で並んで壁に掛かった御品書きを見上げているのが目にとまった。

「……」

 あの黒白の二人って、遠目にも目立っていると私は思った。あの外見で運び屋と探偵が務まっているんだろうかと心配になる。

 二人の元に歩み寄っても二人は私に気付かずにお品書きを見上げて口論していた。

「……やっぱり、ここは鬼ラーメンを食べるべきだよ」

「勝手に食べると良い。俺と湖乃波君は先に行く」

「何! 俺を置いて行ってどうするんだ。朝が早かったから朝食を取ってないんだぞ」

「タルカリサンドはどうした?」

「飲み足りなくてね。帰ってからの酒のお供になった」

「それは自業自得だ。それに勝手に車に乗り込んで来たのはお前だろ。頼んだ訳じゃない。邪魔邪魔」

「ああ、お前だけじゃ人に話を聞く事すら出来ないだろうと気を使って、渋々来てやったんだ。感謝するべきだろ」

「んだと、押しつけがましい野郎だな。俺と湖乃波君は朝食はちゃんと取ってあるし、この後、賤ヶ岳SAで湖乃波君はロッジ焼きを食べる予定だ。今、腹を満たしたら食べられないだろう。鬼饅頭を一個買ってやるから、それで満足するんだな」

「何だと、饅頭一つで……、でかっ!」

 狗狼が手にした一個入りの箱を目にして、奥田さんが驚愕の声を上げた。私もびっくりした。

 一個入りの箱の中に饅頭が入っているけど、それが中型の林檎(りんご)程の大きさなのだ。

「私、これは食べきれない」

 当然、甘いものが苦手な狗狼も食べれない。

「これでお腹が膨れるだろう。感謝しろ」

「お……おう」

 饅頭を受け取る奥田さん。心なしか、その表情が引き攣っている様に見えたのは私だけだろうか。

 私達三人は207SWに乗り込みドライブを再開する。

 奥田さんは後部座席で鬼饅頭を食べている。うわ、ダイナミック。

「丸ごと齧り付くか」

 隣で狗狼が呆れたように声を上げた。

「ふぁふぁふぁしい」

 奥田さんは抗議している様に聞き取れるのだけど、意味が解らない。

 表情を失くして鬼饅頭を咀嚼(そしゃく)している奥田さんがいきなり固まって「う、う、う」と声を上げる。

咽喉(のど)に詰まったかな」

「え」

「死んだら道路脇にでも放り出しておくか」

「お、奥田さん。はい、お茶!」

 慌てて振り返ってペットボトルのお茶を渡す。カクカクと奥田さんは前後に頭を振りならペットボトルを受け取って口を付ける。

 上下する喉仏に安堵を覚えて私は胸を撫で下ろした。

「ふう、生き返った。有難う」

「気を付けて下さい」

「はい」

 奥田さんからペットボトルを受け取った私は、奥田さんに注意して前に向き直る。

「うわー、これ腹膨れるな。昼迄に消化されるといいが」

「なあ、奥田」

「何だ」

「昼はフィッシャー○ンズワーフで海鮮丼を食べるから」

「何だと!」

 狗狼から昼食の予定を聞いた奥田さんの表情に絶望の影がよぎる。

「うわー、そんなに腹が空かないぞ。食べるんじゃなかった―っ」

「はっはっは、ざまあみろ」

 狗狼が楽しそうに声を上げる。如何やら狗狼の機嫌は良くなったようで私も安心した。ゴメン、奥田さん。

 私は助手席で再び読書を再開する。

「湖乃波ちゃん、その本は?」

 奥田さんが後部座席から身を乗り出す様にして、私の読んでいる文庫本を覗き込んできた。

「この本ですか? 昨日、図書館から借りて来たんです。一昨日に聞いた難民問題とか少年兵の問題に興味を持ったので」

「へえ、勤勉だね」

 奥田さんは感心したように口元を緩める。別に読書しているだけだから、そうほめられるような事じゃないと思う。

「昨日、借りてきたもう一冊の本、緒方貞子さんの著作は昨日読み終えたので、今日はこれを読んでおこうかなって。ひょっとしたら、あの海外で亡くなった女性(ひと)が何を思っていたのか、そのヒントになるかもしれないって」

「なるほど」

 もう一冊の本はこれも日本人女性の著作で、日本で武装解除を超えた紛争予防組織を立ち上げた人だった。

 彼女が海外の大学で学んだ頃は、まだDDRという単語が存在しなかった。DDRとは兵士の武装解除(Disarmament)、動員解除(Demobilization)、社会復帰(reintegration)の単語の頭文字を並べて作られており、兵士の社会復帰を目的とした方法について説明した単語である。

 この本の著者は、大学三年生の頃にルワンダホームステイしたことを皮切りに、シラレオネ、アフガニスタン、ネパール、コートジボワール等を転々としながら、国連PKOや外務省、NGO団体などの職業に付き、どうしなければならないかを模索して方法を立ち上げて行った事がこの本に記載されている。

 この著書にはその当時の活動以外に、武装解除から始まるこの活動における元兵士への支援活動の矛盾や葛藤も書かれていて、その活動の難しさについても触れられていた。

「でも、ニュースで見たり聞いたりしていたけど、本当にそれだけで、実際私は何も知らなかったんですね」

「そうだね。海を挟んで起こっている現実なのに、僕等は同じ日本人が殺害されていてもそれを映画の様に捕えてしまっているね」

「私達は関係が無い、私達にはこの問題に対して責任が無い、そうではない。それでは世界は成り立たない。そう気付かないといけないんと思うんです」

 ふむふむ、と奥田さんは頷いた。

「じゃあ、湖乃波君はどうする?」

 ハンドルを握っていた狗狼が前を向いたまま問い掛けて来た。

「うん、それなの。私はどうすれば、何が出来るんだろうって。読みながら考えてる」

 奥田さんはそんな私を見つめてから苦笑して宙を見上げた。

「まあ、僕等の世代は内側の繁栄ばかり気にして、外の出来事には無関心だった世代だからね。結局、今を生きる君達の世代に大きくなりすぎた問題を押し付ける事になってしまったんだ」

「今、そこにある危機。誰の言葉だったかな」

 狗狼の呟いた言葉が胸に残る。

「今、そこにある危機」

 私はその言葉を繰り返す。短いけど重い言葉だった。

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