三章 図書館の美女と美男探偵(6)
「ご馳走様」
一番最後に食器を空にした私は、先に食事を終えて奥田さんと自分の使った分の食器を洗っている狗狼に食器を持って行った。
「はい、食器」
「ああ、ホットサンドも作っておくから湖乃波君は寛いでてくれ」
「んー。私も作りたいな」
「そうか。じゃあ冷蔵庫から食パンを出してくれ」
「はい」
冷蔵庫から食パンを取り出して室温に馴染ませる。
「なあ、パンにカレー味を馴染ませる方が良いか」
「ああ、それで頼む」
だとするとパンの片面だけを焼いて、内面はバターを塗らずに水分を吸い込む様にしないと駄目だよね。
狗狼は残りのタルカリの入った鍋を火に掛けて、フライ返しでカリフラワーとかジャガイモをパンに挟み易い様にやや細かく刻んでいく。
次にフライパンを弱火で火に掛けてから、バターを引かずに食パンを一切れ置いて外側を焼き始めた。直ぐにタルカリを上に載せて平らにしてから、もう一枚食パンを乗せる。
フライ返しでタルカリを挿んだ食パンを引っくり返して、フライパンの蓋で上から軽く押さえつける。
「よし出来た」
フライパンから取り出すとアルミホイルで包んでまな板の上に置く。
「どうしてアルミホイルに包むの?」
「パンを切るときに形崩れを防ぐ為だ。こうしておくとパンが上下にずれることなく切り分けることが出来る」
なるほど、勉強になりました。
狗狼はアルミホイルの上から食パンを綺麗に切り分ける。断面も滑らかで、さすがブレード呼ばれているだけあると感心する。
「じゃあ、湖乃波君作ってみて。コツはパンの表面を焼いて堅くする時に焦がさない事」
「はい」
狗狼は切り分けたタルカリサンドを纏めてラップで包んでから奥田さんに渡した。・
「ほれ」
「さんきゅ」
何だかんだと文句を言っているけど、結局、狗狼は奥田さんに作ってあげている。多分あんな言葉のやり取りはこれまで何十何百回と繰り返した挨拶みたいなものだろう。
私も狗狼の調理手順を見様見真似で繰り返してタルカリサンドを作る。
食パンの表面にタルカリを平らに敷くのが意外と難しく、食パンの表面がへにょっと変形してタルカリの厚さに偏りが生じた。それを直している間にフライパンと接している食パンの底面から白い煙が立ち上り、必要以上の焦げ目が出来ていることに焦りを覚える。
「あ、うう」
急いでタルカリの上にもう一枚の食パンを被せて、フライ返しをパンの底に差し込みえいっと引っくり返した。
勢いが付きすぎたのか、先程まで底面だった食パンが斜めにずれ込んで具材がフライパンの上に半分ばかり零れ落ちる。
「オウ、シット」
いつの間にか私の側で見物していた奥田さんが声を漏らして額に手を当てる。
「……」
気が散るので大人しく座ってて下さいとは言えず、気を取り直してこぼれたタルカリをフライ返しで掬って挟み直す。
結局、出来上がったのは両面がこげ茶色になったタルカリサンドだった。
明日の朝、これを食べるのか、と肩を落とす私に狗狼は「いや、カレーパンはこんな色だったな」と慰めているのか貶しているのか判断の付かない感想を述べた。
「大丈夫、食べられる料理は失敗とは言わないね」
奥田さんもフォローしてくれたけど、食べられないものは料理とは言わないと思う。
鍋やフライパン、フライ返しなど使用した調理器具を片付け終えて狗狼と席に着くと、奥田さんは背広の内ポケットから封筒を抜き取ってテーブルの上に置いた。
「頼まれた件について調べておいた。複数の聴き取りだから間違いはないと思う」
狗狼は封筒を手に取り中から一枚の便箋を抜き取る。
「よく手に入れたな。俺と湖乃波君はインターフォンごしでしか話を聞けなかったんだが」
「当然だな。得体の知れない黒背広が同伴してたんじゃあ、同行者が可愛い子でも話はし難いだろう」
「ああ、顔だけのへっぽこ探偵にも使い道があるもんだ」
「……」
「……」
沈黙する二人。
「「外に出ようか」」
「やめなさいって」
全く、仲がいいのか悪いのか?
「それは、何?」
私が狗狼に受け取った便箋について聞くと、狗狼から帰って来た答えは予想しないものだった。
「あの昨日であった夫婦の亡くなった娘さんが保育施設で働いていたって聞いたから、ひょっとしたら辞める時に、ガキ共と一緒にお別れ会を開いたんじゃないかと思ったんだ。それなら、彼女がこれから何をするのかみんなに説明したんじゃないかとね」
「で、人にものを聞く態度が全然良くない運び屋に変わって、僕が現地で聞き込みをしたわけだ。それで手に入れたのが、彼女が保育施設を辞める前日に、自分の受け持った園児に配った手紙だよ」
私は息を呑んで狗狼と奥田さんの顔を見返した。
なぜ狗狼が奥田さんからその手紙を手に入れたのか。それより彼はこの件は既に終わっていると言って関わることを良く思っていなかったはずだけど。
「少々あの年齢の子には早い話題かも知れないが、彼女が海外で何をして何を園児に伝えたかったのか、それが書かれている」
私は狗狼から手紙を受け取ると、子供でも読みやすい様に大きな文字で書かれた手紙に眼を落した。
「あの夫婦、この手紙の事を知ってると思うか?」
「父親はともかく、母親の方は知っているだろうな。娘の遺品として誰かから受け取っていてもおかしくは無い」
奥田さんの疑問に狗狼が答えた。
私は読み終えた手紙を折り畳み封筒に戻す。
「でも、この手紙を読んだのなら、あのお母さんは、あのお父さんが反対しても、きっとあの仕事を選んだと解る筈だけど」
私は手紙を読んだ感想を狗狼に述べた。
その手紙には昔、母親から買ってもらった内戦の続くリベリアで生きる少年達を写した写真絵本の内容に衝撃を受けて、似たような文献を読み漁っていたこと。そして海外のそんな境遇に置かれた子供達の助けになれるように保母の資格を取る傍ら、語学の勉強にも力を入れていたこと。
そして児童施設で子供と接しながら、この国の子供達に、いかに自分たちが恵まれているか、海外の一部では同じ年頃の子が想像出来ない様な酷い境遇に置かれていることを教えて上げたいと書かれていた。
子供達が関心を持ち行動することによって、彼らを救うことが出来る。その方法を帰ってきて一緒に考える為に、彼女は外国へ旅立つのだと、そう文章は締め括られていた。
「娘を思い出すのが辛くて読んでいない。いや、それは無いな。もし、そうならなら、児童施設には近寄らないはずだ」
腕組みして考え込む狗狼。
「奥田。この手紙は誰から手に入れたんだ」
「保母さんの一人から受け取ったんだ。これと同じものが園児全員にも配られているよ」
「遺品として、あの両親に同じものを渡したかどうかは確認は取れないか?」
「まあ出来るが。一寸待ってくれるか」
奥田さんは携帯電話を取り出すと何度か番号を押してから耳に当てる。
暫くして相手が電話に出たのか奥田さんは後頭部に手を当てたり、胸ポケットのボールペンを指で挟んでぐるぐる回したりしながら会話している。
「いえいえ、また顔を出して欲しいなんて、そんな」
一体、何を話しているんだろう。
「いやいや、そんなことありませんよ。ええ、ええ」
「……」
「……」
一〇分程携帯電話越しに会話をしているけど、手紙については訊いてくれるのだろうかと些か不安を抱き始めた頃、ようやく「前に訊ねた手紙の事ですが」と切り出してくれた。
それから短いやり取りの後、奥田さんは満足したように頷いて、携帯電話から耳を離す。「父親にお渡ししただって、て、何だその不満そうな表情は?」
「いや、別に」
狗狼はぶっきら棒に答えると宙を睨みるける様に見上げる。
「父親が受け取っていたか。なら、何故甘んじて非難を受ける?」
あのお父さんも手紙を読んだなら、彼女が小さい頃から海外での子供を救う仕事がしたかった事に気が付いているはずだ。あのお母さんの買った絵本を読んだ時からの彼女の願いだったから。
「……狗狼」
「ん」
「お母さんを、傷付けない為かも。あのお母さんの買った本を読んだときに興味を持ったなら、あの人は内心、本を買い与えた事を後悔している。そう思って何も言わないんじゃないのかな」
うーんと狗狼と奥田さんは腕組みをして首を捻った。
「ならあの母親は黙って耐えると思うな。現に彼女は父親が同意したせいといってるからなぁ」
奥田さんの意見に私は表情を曇らせる。
「やっぱり、もう一度、行って話をさせるしかないか」
「え?」
「え?」
狗狼の言葉に、私と奥田さんは同時に声を上げて狗狼を見た。
「お前が? 面倒臭がっていなかったか」
「気が変ったんだ。湖乃波君、明日の予定は?」
「明日は何の予定も入れてないけど。狗狼、仕事は?」
「安心しろ。明日は何の予約も入っていない」
それは別の意味で安心出来ないんですけど。私は今月の家計に思いを馳せる。
「よし、湖乃波君には済まないが、また福井県まで付き合ってもらおう。このまま放っておいても寝覚めが悪いからな」
いきなりの狗狼の宣言に私は目を丸くした。
「昨日、旅行に行ったばかりだけど、また行くの?」
「そうだ。それとも留守番をするか?」
「行くよ」
私の言葉に狗狼は僅かに口の端を緩める。ん、私何かおかしなことを言った?
「まあ、がんばれ。可愛い娘の為だろ」
狗狼の背中を叩きながら奥田さんが茶化すように言った。
む、娘って。私は慌てて狗狼に視線を向けると、狗狼は別に動揺した風も無く「俺が気になっているだけだ」と答える。




