二章 危険な受取人(2)
俺も207SWに乗り込み、とっととこの場所から逃れようとエンジンを回した。何しろフロントガラス越しに駅に去っていく少女の後姿が、まだ映っているのだ。さっさと離れて忘れるべきだ。
アクセルを吹かしロケットスタートで駅前地下駐車場の前を左折して急いで離れようとしたが、運悪く赤信号に捕まってしまい一旦停止を余儀なくされる。
「くそっ」
つい、ハンドルを平手で叩いてしまう。207SWが悪くないのはよく解っているし、信号に毒づいても仕方がない。
少女の背中はどんどん小さくなっていく。最初から他人を当てにしておらず自分の力のみで生きていく、そんな決意でもしているのだろうか。
信号が青に変わったので左折してけやき通りを離れる。このまま直進すれば、もう俺は少女の事を忘れて明日の事を考える。金が無いのは仕方がない。明日の事は明日考えるべきだ。
左折してから最初の十字路で207SWが急停止したので、後ろの車、先程のクラウンが大慌てで急ブレーキを踏む音が響いた。そのままウインカーの出さず左折する。
どうして俺は左折するんだろうな。誰か教えてくれないか。
けやき通りと並行する細い路地を時速六〇キロ以上で突き進む。
出来れば自分自身を馬鹿者呼ばわりしたうえ絶縁状を叩きつけたいところだが、そんなことは出来るはずもなく、ただ心の中でくそったれと繰り返すだけだった。
細い路地を通り抜けて、また左折する。
減速せずに飛び出してきた207SWを、慌てて接触しそうになったアクアが急ブレーキを踏む。俺はけやき通りへ向かってアクセルを踏むと、点滅を繰り返す黄信号へ向かって突っ込んだ。
背後で衝突音。
先程のアクアが、俺と同じく出てきたクラウンに横っ面を撥ね飛ばされて半回転するのがバックミラーに映った。クラウンは割れたライトとへこんだボンネットを気にした風もなくこちらに突っ込んで来る。
「何だァ」
俺はすぐさま左折、けやき通りを和歌山駅に向けて疾走する。クラウンも何故か左折して猛ダッシュ。
間違いない、此奴は俺を追い駆けて来た。バックミラーに映るクラウンを操る運転手は駅前で俺と少女を盗み見していた五人組の内の一人だ。となると、だ。
俺の視界に駅へ向かって歩を進める少女の背中と、それに近づく二人の男が入った。一人は金色の竜が刺繍されたスタジアムジャンバー、もう一人が辛子色のジャケットを羽織った男達だ。二人とも髪は短く整えられており、ある職業を連想してしまう。
もうどうにでもなれとばかりアクセルをさらに踏み込む。
少女はいきなり歩道に乗り上げて自分の進路を塞いだ207SWに驚き硬直していたが、助手席のドアを開けた俺が、「乗れ!」と怒鳴ると気圧されたかのように慌てて助手席に駆け込んだ。
俺は助手席のドアを閉じながら207SWを急発進させ、突っ込んで来たクラウンを辛うじてかわす。こうなると彼等の目的は馬鹿でも解る。
207SWは和歌山駅バス停で左折して有料駐車場の細い通路に入り込む。
この道は狭いうえに短い間隔で蛇行しており、左右には駐車された車両が並んでいるので非常に見晴らしが悪く車同士が衝突し易い。
207SWは時速七〇キロでジグザグに進み、通行人とドライバーに罵倒されながら何とか通り抜けた。
問題はクラウンだ。五メートル近い全長はこのような路地では非常に不利で、通り抜けられる直前のコーナーを曲がり切れず駐車中の軽乗用車を引っかけてしまい、そのままバランスを崩す。そこへトドメとばかり横っ面にプリウスが突っ込んで来た。鈍い音と共にへっこむ運転席側のドア。ムチ打ちで済めばいいけど。
俺はそのままスピードを殺さず駅前から離れた。クラウン以外に追って来る車両は見当たらず、このまま振り切ることにしよう。
問題は彼等が何者で、何の目的で追い駆けてきたのか? 別の男達は少女の後をつけていたことから、彼女に何か用があり、彼女と共にいた俺は単に巻き込まれただけかもしれない。
また、逆に俺に用があり彼女が巻き込まれただけかも知れない。残念な事だが、平和に生きたいと願っていてもトラブルが向こうからやってくることも有り、人の恨みを買うことに身に覚えが無いと言えないのだ。
さっきから助手席で驚きのあまり固まっている少女に、取り敢えず身に覚えがないか尋ねることにする。
「君は、援助交際でもしてたのか」
「そんなことしません」
即答だった。
「さっき、君の背後にいた男達はひょっとしたら君に用があったかもしれないが、君は彼等に心当たりはないか」
少女は左右に首を振って「全然知らない人」と言った。となると俺と彼女では無く、消えた奴が関係してはいないか。
「叔父が関係してるかも、借金もしてたみたいだし」
「なるほど、借金取りか。追われているから身を隠したか? それとも捕まって何処かへ攫われたか」
さて、俺はどうするべきか。つい少女を拾ってしまったが、これ以上関わってしまえば、先程のトラブルが再発した場合は巻き込まれるかもしれない。
しかし少女の叔父が意図的に身を隠しているならば、この依頼の目的地に着けば姿を現して報酬を払ってくれる可能性もある。
うん、少しでも希望のある選択肢を選ぶのが人間だ。
「よし、取り敢えず依頼を続行しよう」
そう宣言した俺の顔を少女は目と口を丸くして見返した。
「ひょっとしたら君の叔父さんも、何らかの手段で先に着いているかもしれないし、さっきの男達が借金取りなら、叔父さんの行方が解らないから君を攫おうとしたかもしれない。と、すればだ、君の叔父さんは俺達が目的地に着くまで身を隠しているに違いない」
俺の持論に少女は呆れたような冷めた目で俺を見た。
ん、何か俺はおかしなことを言ったのか?
「ふつう、借金までしてたら、払えなくて踏み倒すと、思う」
「………」
もっと希望を持とうよ子供達。
「で、君は、そこに着いてからどうするかは聞いていないのか? 誰かが待っていると別の逃走用の車があるとか」
何となく大人の威厳が無くなったような気がしたので、俺は慌てて話題をすり替えた。
「知らない。二日前にいきなり引っ越すって、言ってたし。どこに行くとかもいってくれなかったから」
どうやら少女の叔父は自分の都合で、一方的に物事を決めてたようだ。こうなると現地に到着してみないと何も解らない。
まあ、乗り掛かった舟だ。こうなったらとことん行ける処まで行ってやろう。
願わくば救命具のひとつでも積んでいるといいのだが。