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運び屋の季節  作者: 飛鳥 瑛滋
番外編 夏 七月 野島湖乃波の夏休み
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二章 眼鏡ともふもふと慟哭と(11)

「ご馳走様でした」

「ご馳走様」

 両掌を合わせて礼を述べる女性に私達も同じように両掌を合わせて唱和する。

「でも私がご相伴(しょうはん)にあずかって良かったのでしょうか」

「構いませんよ。珈琲が刺身に変わっただけですから」

 女性が申し訳なさそうに首を垂れると、狗狼は気にするなとでもいうかの様に手を振った。私も同意するように頷く。

 私達はアカアマダイの切り身を購入して、それを食堂横の厨房で捌いてもらい刺身にした。珈琲の代わりに女性を誘って三人で刺身を味わったのだ。

 アカアマダイの身は水分が多いので軽く塩を振って締めてから調理するのだと、厨房のオバさんが教えてくれた。そのアマダイを三枚に下ろす手付きは目を奪われるほど鮮やかで、狗狼も声を漏らしたほどだ。

 口に運ぶとアカアマダイの身は甘くて柔らかく、あまり刺身を食べた事の無い私でも抵抗無く食べることが出来た。

「それで、あの児童施設で働いていた女性について聞きたい事は何でしょうか?」

 お茶を飲んで一息ついた女性が質問を促して来たので、私は兎の観光名所で出会った男の人の事や、その彼の語った娘さんの事について語った。そして、私は彼女の海外の仕事について興味があることを付け加える。

 私が話している間、女性は時折、テーブルの上に置かれた湯呑のお茶を口にするだけで、口を挿まずじっと聞き入っていた。

 ただ、私が話し始める前は柔和な光を湛えていたその瞳が、ひと通り話し終えた頃には駐車場にて声を掛けた時同様、僅かな不信と警戒を浮かべていのを見て、私は彼女に対するある予感を再び抱く。

 彼女が軽く息を吐き、湯呑がテーブルの置かれる固い音がした。

「……偶然ってあるものですね」

「?」

「私があの男の離縁した妻であり、あの可哀想な子の母親です」

「!」

 私は驚きはしたけど、内心、ああ、やっぱりと思う自分がいた。

 駐車場からあの児童施設を見つめる視線には、ひたむきな何かが含まれていたから。

「あの、それで、お父さんはお子さんを失くして、傷つき苦しんでいます。そして貴方に憎まれているからと言って、貴女と会って、その、お子さんの事に付いて話すことも恐れています。会って話し合うことは、出来ないでしょうか」

 女性は静かに左右に首を振る。

「……何故、ですか?」

「あの男が、あの子を殺したからよ」

 テーブルの上で祈るように組み合わされた女性の両掌に力が籠る。

「それは、貴女の希望に反して、彼がお子さんの海外で働くことを止めなかったから、ですか?」

「ええ、私はあの子に海外での希望する仕事の内容を聞いて驚きました。海外の紛争地帯に出向いて武装解除された元兵士に職業訓練をする。私は大丈夫なのと訊ねました。元兵士だから優しい貴女の手に負えないのじゃないかって。あの子は、危険なのは覚悟している。でも、何もしなければそのままだって。その国を危険じゃ失くす為に私は行くんだって、そう言いました」

「……」

「だから私は、あの子に言ったんです。今努めている保母の仕事も立派な仕事だって。でもあの子はそれでも行きたいって言ったんです。だから、離婚した夫に説得を頼みました。あの子を止めてくれって」

 私は兎の観光施設で会った男の人の顔を思い出す。

「でもあの男は、娘を止めるばかりか、娘の夢に同意して背中を押したんです。君の夢は素晴らしいって、そうお父さんが言ってくれたって娘が話しました」

 多分、あの優しそうなお父さんは娘さんが危険な場所に行くことは解っていたけど、どうしても止めることが出来なかったんだろうなと思った。

「その数日後に空港で娘を見送ったのが、生きている娘を見た最後です。その後に会ったのは喋らない娘の姿です」

 そう女性は言い終えて顔を伏せる。僅かに上下する肩と、白いテーブルに落ちる雫が彼女の塞がらない心の傷を露わにしていた。

 狗狼はサングラスをしたまま沈黙して何も語らない。

「……でも、あの人は子供の夢を叶えたかったんだと、思うんです」

 私がそう言い終えると、女性が顔を上げて私を睨み付けた。哀しみと怒りが混じった視線が私を貫く。

「まだ子供の貴女に何が解るんですか。あの子を育てた何月と、あの子がこれから生きていく筈の年月が全て消えてしまったんです。何故、私は娘を失わなければならなかったのですか? ある人はあの子の命を奪った人達も被害者だと言います。別の人はそんな人たちを生み出したのは私達で、あの国は悪くないと言います。なら、私から娘を奪った(とが)は誰にあるのですか!」


 私と狗狼を乗せた207SWは舞鶴若狭自動車道を南下して帰路についている。

「帰りは西紀SAで黒豆パンを買って帰って、それを晩御飯にするか」

 運転中はあまり喋らない狗狼が声を掛けてくれた。

「あ、うん」

 私は思考の迷路からようやく浮上して、意識を現実に戻す。

 何も言えなかった。ただ悔いだけが残った。

 悲しみに暮れる女性の問い掛けに、人生経験の乏しい私が答える事が出来る訳ないのだ。

ただ私のした事は、無責任なお節介で女性の心の傷を露わにしただけ。

 泣き続ける女性の運転する軽自動車が駐車場から走り去るのを、無力感を味わいながら見送るしかなかった。

「誰に罪があるの、か」

「それを明確にしたところで、あの女性が救われるとは思えないが」

 助手席で呟く私に、狗狼は素っ気なく答えた。

「……もう手遅れ? 冷たいね」

「君も気付いているだろう。これは終わってしまった事だ」

「……」

「どうにかするには不幸な娘さんが生き返るしかない。不可能だがな」

「そうだね」

 大切な誰かを失った悲しみが中々癒えない事は私が良く知っている。

 夜の舞鶴若狭自動車道は意外と街燈が少なく、時折、ヘッドライトを上向きにしないと見晴らしが悪くなった。

「暗いよね。どうすればいいのかな」

「……」

 今度は狗狼からの返答は無く、ただ私の声だけが空しく車内に響く。

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