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運び屋の季節  作者: 飛鳥 瑛滋
番外編 夏 七月 野島湖乃波の夏休み
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二章 眼鏡ともふもふと慟哭と(6)

 私達の様子が尋常(じんじょう)でないことに気が付いたのか、兎と遊んでいた家族連れや、その相手をしていた飼育員や従業員が私達の様子を見ようと集まり始める。

 どうしよう、と困っている私の右肩を、黒い手袋をはめた手が軽く叩いた。

「どんな事情か知らないが、何時までもここで泣いていても迷惑なだけだ。落ち着くまで、そこの喫茶店にでも入っていたらどうだ」

 狗狼の提案に彼は何度も頷いて歩き出した。

 私は彼の後について店に入ろうとしたが、狗狼はもう関係がないとばかりに踵を返してベンチに戻ろうとするので、私はあわてて彼の背広の裾を引っ掴んだ。

「何かな?」

「あの人のことが気にならないの?」

 狗狼は喫茶店の方を向いてから肩をすくめた。

「別に。あそこに入ると何か食事か飲み物を頼まなければいけなくなる。今日は昼に食事を取る処は決めているから、そんな無駄遣いは出来ないな」

「でも、何か事情がありそうだよ」

「事情なんてそこらへんに転がっている。いちいち関わっていると身が持たない」

 さあ、帰ろうとばかりに彼は207SWのカギを手にとって出入り口へ歩き出した。

 どうしよう。このまま帰るとずっと、あの男性の泣いていた理由が気になってしまう。

「……話だけでも聞いてあげた方が」

「話だけで済むのか?」

 狗狼の質問に私は答えることが出来ずに俯く。

「もし話を聞いて、湖乃波君のどうする事も出来ない問題なら、君はどうするんだい? 話を聞いたのは一時の気の迷いでしたと背中を向けて終わりにするのか?」

 何も出来ないなら、最初から関わらない方が良い。狗狼はそう言いたいのだろう。

 彼の言っていることに間違いはない。今の私には何の力も無く、誰かの助けになることなど出来やしない。

 でも、私を見て彼が涙を流したことに何か理由があり、私がそれを聞くことで何らかの助けになるかもしれない。

 ただ、それだけしか出来ないけど、放っておくことなど出来なかった。

「それは、解ってるけど、放っておけないの」

 狗狼は一瞬、宙を見上げて何かを呟いた。

「湖乃波君が傷つく可能性もある。その覚悟はあるのか」

 私はひとつ、頷いた。

「ならいいよ。湖乃波君の気のすむ様にすればいい」

 狗狼は喫茶店の自動ドアをくぐって店内に入った。私はその背中を慌てて追う。

 それにね、狗狼。私は知りたいことがあるの。

 前を行く黒い背中に語り掛ける。

 店内は昼前だがそれほど混んではおらず、あの男の人が配られたおしぼりで顔を拭っているのが容易く見つけられた。

 狗狼はそのテーブルに近付くと「失礼」とだけ口にして彼の対面の席に座り込んだ。私も慌ててその隣に腰掛ける。

 突然の乱入者に驚いたのか、男の人はびくりと震えて狗狼を見返した。

「俺は単なる見物人だ。気にしなくていい」

「あの、それはどういう」

「気にしなくていい」

 狗狼は男の人の言葉を遮る様に、言葉を繰り返した。

 気圧された男の人が救いを求める様に私へ視線を移す。 

 脅してどうするのよ。

「あの、すみません。どうして泣いていたのか気になった、ので」

 私の言葉に男の人は恐縮したように二度続けて私に向けて頭を下げた。

「い、いや、私の方こそ済みません。その、大した理由じゃないので気にしないで下さい」

「そうですか? その」

 素直に話してくれるとは思わなかったけど、大した事の無い理由で気にしないで下さいと言われると、それ以上聞くことが出来なくて私は二の句が継げなくなる。

「……あの」

「はい?」

 会話を始める事すら出来ず歯痒い思いをする私に、男の人は困ったように笑みを向けて立ち上がった。

「御蔭で落ち着きました。じゃあ失礼します」

「ちょっと、待ってくれないか」

 救いの手は意外な人物から差し出された。その人物は男の人へ視線を向けず、独り言のように宙を向いて言葉を続ける。

「この()は貴方が急に泣き出したので人の注目を集めてしまい、此処に退避せざるを得なかった。そんな人の視線に敏感な気の弱い子が勇気を出して声を掛けたのだから、そちらも多少は泣き出した理由を語ってくれてもいいんじゃないか。まあ、迷惑なおせっかいかもしれないが」

 男の人は黙って私達を見返していたが、何かを諦めたかのようにため息を吐くと再び席に着いた。

「……本当に大した理由じゃないんです」

「可愛い娘を見ると感動のあまり泣き出すんだな。良かったな湖乃波君、この男はとんでもない性癖持ち(ヘンタイ)だぞ」

 いきなり何を言い出すの。

「ち、違います。僕にそんな性癖は有りません」

 当然、男の人も慌ててそれを否定する。ただでさえ気の弱そうな小さな瞳を不安そうに左右に震わせ店内を窺う。

「なら話すんだな。話さないと次に俺はテーブルに突っ伏して、お前、俺を捨てるのか、って叫ぶからな」

 やめて、隣にいるのが恥ずかしくなるから。

 私は別の手頃な席が空いていないかなと探していると、男の人は諦めたように溜息をついてくしゃくしゃと癖毛を掻きながら話し始めた。

「すみません、実は昨年にひとり娘を失くしまして、此処が娘とで遊んだ最後の場所なんです」

 私は予想しなかった男の人の告白に、私は掌を口に当てて声を漏らさない様にするのが精一杯であった。

「私と妻は娘が小学生の頃に離婚していたので、一年に一回の割合でしか会えませんでした。娘がやっとやりたかったことが出来ると、これまで勤めていた児童施設を辞めて海外に行く数日前に、娘は此処で兎と遊んでいました。娘は此処に来ると、どんなに辛くても癒してくれると。そんなお気に入りの場所でした」

 その当時の事を思い出したのかテーブルの上で握り締められた彼の両拳の上に、ポタリと雫が落ちる。

「娘が亡くなって一年になりますが元妻から一周忌の知らせも無く、私なりに娘を弔おうと此処へ寄ったのです」

 そこまで語って、彼はテーブルのおしぼりで顔を拭う。

「娘も小さい頃は髪も長く伸ばして頭の後ろで結わえていたので、御嬢さんを見て娘の小さい頃を思い出して涙を堪えることが出来ませんでした。その、申し訳ありませんでした」

 彼はもう一度、私に頭を下げる。

 私はその彼に対して何も言えなかった。

 彼に大切な人はいなくなって、もう二度と会うことが出来ない。

 既に終わってしまった出来事で、私の一五年程度の乏しい人生経験では彼にかける言葉など見つかる訳が無かった。

 狗狼がこの店に入る前に問い掛けて来た「話を聞いたのは一時の気の迷いでしたと背中を向けて終わりにするのか?」、その言葉の意味を痛感する。

 この人が亡くなった子に出来る事。それを考える。

「あの」

「はい」

 私の呼び掛けに男の人は顔を上げる。

「一周忌の知らせが無いって言われていたけど、お墓参りは、もう終わらせたのでしょうか」

 終わってなかったら、せめて狗狼に頼んで送ってもらうとかして、せめて何かしたかった。

 私の問い掛けに男の人はゆっくりと首を振った。

「どうして?」

「場所を知らないんだ」

 私と狗狼は男の人を見返した。

 男の人にとって、大切であっただろう一人娘の墓所を知らないのは、何かおかしい。

「僕の元妻、親権のある母親は僕が娘を殺したと言って、葬式にも出席を断って来たし、娘の眠る場所の連絡もしてくれなかった。僕は憎まれているんだ」

「え……」

 私は彼の言葉に言葉を失った。横で狗狼が「聞くなよ。聞くと後戻りできなくなるぞ」と小声で私に警告する。

「何故、でしょうか」

 胸の内で「御免なさい、狗狼」と謝りつつ私は男の人に訊かずにはいられなかった。

「……娘は、その、紛争国といえばいいのかな。そこで和平の後に武装解除した兵士達にこれからの生き方、その、復旧の為の職業施設を作ったり、そこで実際に技術を教えたりする仕事をしていたんだ」

「素晴らしいお仕事ですね」

「うん、僕もそう思った。だから、娘にやりたいことをやればいいと送り出した」

 男の人は自嘲するように片頬を歪めて、テーブルの上の組み合わせた両手に力を込める。

「ああ、そうだ。僕も娘の語る紛争の起こった国に住む人達の、子供達を笑顔にしたい。その夢に共感したよ。その素晴らしい夢を叶えてきなさいって。でも、それは叶わなかったんだ」

「あの、御嬢さんがお亡くなりになったからですか?」

「そう。だけど病気や事故なら運命の悪戯とか、運が悪かったとかまだ救いがあったかもしてない。でも娘の場合は違うんだ。娘は、娘は殺されたんだ」

 私の問い掛けに対する男の人の答えは、多分、男の人にとってあってはならないことだった。

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