二章 眼鏡ともふもふと慟哭と(4)
九時五三分、プジョー207SWは鯖江眼鏡ミュージアム左横の駐車状に滑り込んだ。
「一寸早かったか」
「早くない、早くない」
「依頼時間プラスマイナス五分が理想的な時間なんだ」
狗狼は小箱を片手に207SWを下りる。私も狗狼の後に続いてビルの屋上の巨大な眼鏡が目立つ眼鏡ミュージアムに向かう。
受付で用件を伝えると二階のカフェに案内されて暫く待つ事となった。
狗狼は珈琲、私はオレンジジュースを注文してテーブルに腰を落ち着ける。
オレンジジュースに口を付けて一息つく。
「間に合って良かったね」
「まあな」
屋内なのに狗狼はサングラスを掛けたままだ。
「お菓子まで売られているんだね」
私は正面入り口直ぐの売店に並べられていたお菓子の数々を思い出した。ネーミングも凝っていて「メガジュレ」や「アメガネ」「サバエイトチョコレート」など洒落っ気が強い。
ここでお土産を買って行こうか、それともこの後に向かう予定の場所で買うべきか悩んでしまう。
「お待たせしました」
背後から声が掛かり振り返ると、初老のYシャツと紺のスラックス姿の男性が恭しく一礼していた。
「どうも、これがお預かりしていた品物です」
狗狼が立ち上がり小箱を渡すと男性はカッターナイフを取り出して、その場で蓋を開けて中身を改める。
「はい、確かに受け取りました。これが報酬となります」
狗狼が封筒を受け取り背広の内ポケットへ収めようとするのを、私は背中を突いて掌を差し出した。
「ん」
「ん」
狗狼が僅かに嫌々をする。
「ん」
駄目だよ。狗狼は無駄遣いするよ。
「んーんー」
狗狼は諦め悪く封筒をひらひらと左右に振る。
「あのー何か」
眼鏡ミュージアムの人が不思議そうに私達に問い掛けて来たので一旦、この勝負は御預けとなった。
「さて、品物も渡した事だし、一寸眼鏡を見てくるか」
「? 何か買うの」
狗狼はサングラスの上から自分の眼を指差して苦笑を浮かべる。
「いや、老眼が進んだんでね。この機会に老眼鏡をつくってもらおうかなって」
そうだった、狗狼は四〇代後半に差し掛かるオジサンだった。
二人で一階の眼鏡ショップに向かうと、白いテーブルに無数のメガネフレームがならんでいて私はその光景に軽い驚きを覚えた。
「いらっしゃいませ」
小柄でショートカットの丸レンズの眼鏡を掛けたボーイッシュな店員が私に声を掛けてきた。快活な眼鏡美人といった印象の彼女は、私の様な人見知りでも話し掛けやすい笑顔を浮かべている。
「あの、たくさんの」
「ものすごい眼鏡の数ですね。一体何本あるのですか」
あれ、私、狗狼の背中に話し掛けているよ。
「三千本程並んで居ります。あの、メガネフレームを探しているのでしょうか」
いきなり眼前に現れた黒服に圧倒されながらも店員さんは狗狼に用件を尋ねた。
やっぱり狗狼は女好きだと思う。
「実はですね」
狗狼が懐から出したメモ用紙を手渡された店員さんは、そのメモ用紙をしばらく眺めていたけど何かを思い出したかのように「少々お待ちください」と奥に引っ込んでしまった。
「老眼鏡?」
「の、ようなものだ」
暫くすると店員さんが戻って来たけど開口一番「申し訳有りません」との言葉を聞かされた。
「この商品は先月に売り切れてしまってもう在庫が無いんです」
「一本も?」
「はい」
店員の返事に狗狼は額に手を当てて、ヨロリと上体を揺らした。
「そ、そんな。何の為に俺はここまで来たんだ」
仕事の為と思うけど。
それ程、目当ての老眼鏡が無かったのが堪えたのか、狗狼は私を手招きすると「帰ろうか」と声を掛けた。
「私、行きたい処が、あるの」
「……」
狗狼がぴたりと動きを止める。
「昨日、福井と石川県で、行きたい処を決めておくよう言ってたよ」
「……」
狗狼は、ぽんっと左掌に右拳を打ち下ろす。
「ああ、思い出した。つい眼鏡が手に入らないショックで忘れていたな」
簡単に忘れないで、駄目保護者。
不信の視線を向ける私に引き攣った笑みを返した狗狼は、「それで、何処に行きたい?」と聞いて来た。
私はナップザックからガイドブックを取出し、そのページを人差し指で指し示す。
「此処だけど、いいかな?」
狗狼はそのページを覗き込んだ後、もう一度私の顔へ視線を戻して見つめて、もう一度ガイドブックのページを覗き込む。
「なあ、湖乃波君」
「何?」
「俺は外で待っていてもいいか? こういうのは少々苦手なんだが」
「私は、一緒に、楽しんでほしいな」
「……どうしても?」
「折角の家族旅行だし、駄目かなァ」
私は宙を見上げる狗狼の返事を待った。




