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運び屋の季節  作者: 飛鳥 瑛滋
番外編 夏 七月 野島湖乃波の夏休み
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一章 ご褒美ランチとベトナム料理(5)

 ワイルドカードを火を付けずに咥えたままソファーから立ち上がる。

「で、何の用?」

「ちょっと、VIPを迎えに行って欲しいんだ。俺が迎えに行くつもりだったけど、急遽ジョルジュが欠勤で私が店に入らないといけなくなった。今日は本国のお客さんが視察に来るので、皆、準備に手が塞がっている。済まないけど信頼できる送り迎えの運転手が必要だから仕事に入ってくれないか」

「ふーむ」

 狗狼は即答せず宙を仰いだ。

「そのVIPが店に居る間は駐車場で待機か?」

「ああ」

「……」

 狗狼はガラステーブルの上の荷物へ視線を向けた後、火に掛けられたコッフェルへ向けた。

「……」

 諦めたように息を吐いた後「まあ、フランコの頼みなら仕方ないか」と呟いた。

「済まない」

「構わんよ。仕事があるのは有難いしな」

「そうか」

 狗狼はソファーの背もたれに掛けた黒色のジャケットに腕を通してから私を振り返る。

「済まないな、湖乃波君。先に食事を済ませてくれないか。多分帰りが遅くなる」

 私は気にしていないと手を振った。

「ううん、仕事だから、仕方ないよ」

 私の仕草に何を思ったのか、狗狼は苦笑して「出来るだけ早めに帰れるよう努力する」と背を向けた。

 本当は一緒にご飯を食べて、夏休みの事、今日の昼ご飯の事、中等部卒業後の進路の事、いろいろ話したいことがあった。

 でもそれは仕方ない事だと判っている。

 狗狼は自分一人では無く、私を養う為にお金を稼がなければならない。だから私は我慢出来るところは我慢しないと。

 倉庫のドアが開いてお客さん、フランコさんを追う様に狗狼が外に出る。外には濃い赤色、ワインレッドの少し小振りな車が止まっていた。フランコさんの車だろうか。そうならば彼女には良く似合っていると思う。

 後に狗狼に聞いたけど、その車がアルファロメオのミトという車だと教えて貰った。

 ドアが閉じて暫くそれを見つめていた私は、気を取り直して料理の続きに取り掛かる。

 中華鍋に菜種油を入れて火に掛ける。油用の温度計で一五〇度に達したところで春巻きを中華鍋に放り込む。低温から徐々に温度を上げていって中まで火に通すと美味しく出来上がるって狗狼が教えてくれた。

 薄い茶色に揚げられた春巻きを、中華鍋から引き揚げてキッチンペーパーの上に並べる。これで揚げ春巻きは出来上がり。

 レモングラス、生赤唐辛子、大蒜(にんにく)をみじん切りにして、鶏のモモ肉に塩と一緒に刷り込む。それを一時間ぐらい寝かせて味を馴染ませる。

 ブロッコリーは軽く茹でて、人参と玉葱、ピーマンは細切りにして軽く炒めて胡椒(こしょう)で味付けをして下準備をした。

 寝かせた鳥のモモ肉をフライパンで皮の方から焼いて、しっかりと焦げ目をつけてから引っくり返して裏側も焼く。

 それをある程度覚ましてから適度な大きさに切って、皿に持った御飯の上に胡瓜とトマトと一緒に盛る。はい、鶏のレモングラス御飯出来上がり。

 茹でたフォーをブロッコリーなどの茹で野菜と一緒に碗に入れて、出来上がったスープを注ぐ。ヌクマム(東南アジアの魚醬(ぎょしょう))を数滴、半分に切ったウズラ卵を添えて野菜のフォーの出来上がり。

「……」

 出来上がったけど、何か足りない気がするのは何故だろう。

 二人分の食事の用意を終えて私は席に着く。

 狗狼は時間があるときには、私が学校に行っている間に夕食の準備をしてくれる。そんな時、彼も今の私と同じ気分を味わっているのだろうか。

 今、十八時五十二分。夕食にはちょうど良い時間。それとも學校から出された夏休みの課題に取り組んで狗狼の帰りを待とうかな。

 うん、明日から夏休みだから多少食事が遅くなっても問題ないし、狗狼を待つことにしよう。

 倉庫の奥の自分お部屋から通学用の鞄を取って来て、今日配られた課題のプリントに目を通す。

 (フランス)語講師拳受付嬢の美文(みふみ)さんから配られた課題に目をやって私は目を疑った。

 古文の兼代(かねしろ)先生と英語担当のキャロル・カーバイン先生の名前もそこに書かれており、「源氏物語と枕草子の共通点を探し出し、それを英語と仏語でそれぞれ四百字詰め原稿用紙一〇枚以内に纏めて提出する事。ワープロソフト及びネットでの提出不可。手書きのみ提出を受け付ける」と記載されていた。

「……」

 文の最後には「皆、夏休みだから頑張って」と付け加えられている。

 私は人差し指を額に当てた。

 枕草子は小学校の頃、呼んだことがある。

 源氏物語は小学校の教科書に一部記載がされていたものに目を通しただけだ。

 多分、この課題の発案者は美文さんと思う。

 彼女は亜麻色のセミロングの髪にレンズの大き目な銀縁の眼鏡を掛けたふんわりとした微笑みをいつも浮かべている人で、この学校の理事の一人でカテリーナの母親である富樫(とがし) 久美(くみ)理事とよく行動を共にしている。

 問題は美文さんの出す宿題は古文の兼代先生曰く「外見菩薩、中身は明王(みょうおう)」と言わしめるほど難易度が高く、クラスメイトの恐怖の対象となっている。

 この夏休みの課題を片付けるには次の作業が必要となり、非常に手間が掛かるに違いない。

 まず、枕草子と源氏物語の古文を読破して内容と文体を理解しないといけない。枕草子と源氏物語の文章の内容の共通点か、書かれた時代背景についてか、それとも古文の文体に付いてか、それについては一切記載されていない。

 次に英訳する事。内容の共通点についてなら、それぞれの英訳本が発行されているのでそれを参考にすればいいけど、時代背景や古文仮名遣いについてなら難易度はぐんっと跳ね上がる。

 更に仏語、こうなると内容の共通点の記載だけでも手間取ってしまう。古文についてはどうするの? と言いたくなる。

「……」

 美文センセ、容赦が無いよ。

 取り敢えず明日は図書館に寄って枕草子と源氏物語を借りてこよう。

 私は今直ぐ出来る数学のプリント取り出してそれに没頭した。

 倉庫をライトが照らして車のエンジン音とブレーキ音が響いたのは一〇時過ぎ、三時間程宿題に専念していた私は、科学のプリントを脇にどけてソファーから腰を浮かせる。

 ん、一寸待って。

 私は一旦、動きを止める。

 このまま玄関まで迎えに出たら、私はまるで主人の帰りを待っていたペットの犬みたいじゃないか。それはちょっと恥ずかしい。

「えーと」

 どうしようか迷い、取り敢えず料理を温めておくことにした。偶々、料理を温めている最中に狗狼が帰って来た。そういう事にしておこう。

 スープを火に掛けると共にフライパンに油を引いて、レモングラス御飯の鶏のモモ肉に火を通す。

「ただいまー」

「んっ、おかえり」

 ドアをくぐった狗狼へは視線を向けず、私は手元の鶏肉へ目を落としたまま返事した。

 沓脱(くつぬぎ)の簀の子の手前で足音が止まる。

「ん、晩御飯まだだったんだ」

「うん、先に、夏休みの宿題してた。晩御飯は食べた?」

「いや、お客が帰るまでずっと駐車場で待機さ。向こうで(まかな)いを勧めてくれたけど車の中で食事をすると、革シートに匂いが移るんで遠慮したよ」

 よかった。これで狗狼が先に食事を済ましていたら、待っていた私がまるっきり馬鹿になってしまう。

 温め直した晩御飯を二人分ガラステーブルの上に並べる。

 狗狼は紙袋をガラステーブルの上に置いてから無造作にジャケットをソファーに引っ掛けたので、私は無言で壁に掛けられたハンガーを指差した。

「はーい」

 狗狼はハンガーにジャケットを掛けてから黒のごみ袋で作ったジャケットカバーを被せる。これは料理の匂いが背広に付くことを防ぐ為に私が作ったものだ。だからちゃんと活用して欲しい。

「その紙袋、何?」

 私は先程から気になっていた事を席に着いた狗狼に聞いた。

「御土産」

 狗狼は紙袋の折り畳まれた口を広げ、中からアルミホイルに包まれた人差し指ぐらいの大きさのものを四個取り出した。

「今日の晩御飯がベトナム料理だから、ティエンさんに電話して仕事帰りに受け取って来た」

 アルミホイルを開くと、細長い表面が薄茶色のものの表面に砕いたピーナツがまぶしてある。私はそれが何であるか一目で見抜いた。

「あ、揚げバナナ」

 私の好きなもののひとつだ。

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