一章 最後の依頼(7)
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関西空港自動車道と合流するへ泉佐野ジャンクションを通り抜けて和歌山県に入った頃、助手席の親爺が低く呻いた。
「済まねえ、次のSAで止まってくれねえか。トイレに行きてえんだ」
どうやら先の岸和田SAでトイレに寄らなかったのか。それとも歳で尿が近いのか。幸い次の紀ノ川SAまで十分程度で到着する。予定としてはこのまま印南SAまで走り、そこで車中泊するつもりだったが、自然が呼んでいるんじゃ仕方がない。
二十二時四十分、紀ノ川SA到着。
このSAは和歌山の入り口に位置する場所柄、和歌山県特産品を使用した食事メニューが豊富に用意されている。
俺としては財布が温かければ【まぐろカツ膳】千四百八十円を味わいたいところだが、残念ながらあれは和歌山を出て行く側の上りSAでしか食べれない。
親爺は限界が近かったのか、早歩きでトイレを目指している。走ると漏れるのかな。ついでらしく連れの女もトイレへ発った。仲の良いことで。
少女は車内で待つらしく退屈そうに車外を眺めている。実際、ただ乗っているだけだから退屈だろう。
運び屋の中には一旦口を開くとマシンガントークの止まらない女もいるが、俺はそんなに面白い人間でもないので、俺と話をしたところで少女も退屈だろう。
俺もぼんやりと車外を眺める。この時間帯では家族連れなどはまず見掛けられず、ほとんどがトラックか、配達業者のワゴン車、ミニバンが立ち寄っては出て行く。
今、トイレ前から出て行った軽乗用車は、俺の様に夜通し走り続けるのだろうか。
しかし長いな、二人とも大なのか? 先程食べたラーメンに当たったのか? だとすれば大変だ。車内で下痢でも起こされたら阿鼻叫喚の坩堝となるぞ。
当然、車は廃車で買い替えだ。あの二人に即金は期待出来るのか。其れより、どうやって三人を目的地までいいんだ。一般道に下りてタクシーでも拾うか、それともリヤカーでも買って少女と女を荷台に乗せて、親爺と二人で引っ張るか。
俺がつまらない事を考えているうちに時間はどんどん過ぎて行く。十五分を過ぎたので俺は「遅いな」と口にした。少女も同様の意見らしく、窓の外を見回し二人を探している。何かのトラブルで帰って来れなくなったのか、それとも帰るつもりが無いのか。
あらかじめ教えられていた携帯電話番号をプッシュして相手が出るのを待っていたが、留守番電話サービスに繋がることもなく、ただコール音が続くだけで誰も出る事は無かった。
仕方なく俺は車外に出て、男子トイレへと歩を進めた。少女も気になるのかプジョーを下りて、ちょこまかと俺の後ろをついてくる。
俺は男子トイレへ、少女は女子トイレへ二人を探しに二手に分かれた。今度は少女がいなくなる可能性もあったが、俺が女子トイレに入るわけにもいかず、少女へ女の捜索を一任するしかなかった。
男子トイレには夜遅いためか二,三人しかおらず、大の個室ものぞいてみたが、何れも無人であり、下痢で苦しむ親爺を目にすることもなかった。
男子トイレを出て女子トイレの前で少女を待つ。出来れば三人とも揃って女子トイレから出てきて欲しかったが、出てきたのは少女だけで、彼女は無言で左右に首を振るだけだった。
SAの店内に入ってぐるりと見回してみたが、荷物の二人の姿は無く、ただ配達業者らしき男達が黙々と食事をするだけだった。
こうなると薄々逃げられたのではと疑いたくなるが、何故、少女が残されたのか想像がつかなかった。
「あの二人が別行動を取るとか、急に目的地が変わったとか聞いていないか?」
俺は念の為、少女に心当たりを訪ねたが、少女も全然思い当たることが無い様で、静かに首を左右に振ってよこした。
「そうか」
困ったものだ。問題はこれが、最初から予定されていたことなら依頼のボイコットと判断して、このまま神戸に引き返すのだが、予期せぬ事情で彼らがいなくなったのなら、二人を探すか、それとも時間通りにこの少女だけでも届けるか判断しなくてはならない。
俺は腕時計で現在の時刻を確認した。二十三時四十分。これ以上探しても、今日は見つから無い様な気がする。
「取り敢えず朝まで待ってみよう。帰って来なければこの依頼はキャンセル扱いにする」
俺は自分に言い聞かせるように呟いて少女を見た。
少女は自分に保護者がいなくなったにも関わらず、出会った時のまま人形のような表情を崩さずこちらを見返した。
「悪いが車の中で寝てもらう。後部座席を倒せば何とか寝転べるスペースが出来るから、クッションを枕代わりにして休んでくれ」
俺は207SWの後部ハッチを開け、洗車道具や旅行ガイドブックを助手席にの床に置く。それから後部座席の背もたれを前に倒すと後部座席が沈み込んで平坦な空間が出来た。前後で約百六十センチのスペースは、少女なら多少は窮屈な思いはするものの一晩寝る程度なら我慢出来るはずだ。
とりあえず寝ころべるスペースが出来たので、少女に後部座席の三連クッションを重ねた即席の枕を渡した。
「あ、ありがと」
小さい声で礼を言って少女は寝転ぼうとするが、やはり床が固いのが気になるのか、仰向けになったり、横向けになったりごそごそと姿勢が安定しない。が、疲れが勝ったのか横向きにクッションを抱きかかえるようにして寝息を立て始めた。
俺も二時間程、仮眠を取ることにする。朝までにあの二人が戻れば良し。戻らなければ高速を下りて、近くの駅にでも少女を下ろすことにしよう。後の事は俺の知った事では無い。
他人の人生に関わって重荷を背負うのは、その余裕のある奴に任せるべきだと俺は思う。