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運び屋の季節  作者: 飛鳥 瑛滋
第三話 1年目 夏 六月
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四章 レッド・バード(3)

 俺はグラスを片手に厨房を出て、俯せで呻いてるマルコ・チャリチャンミの腹を蹴り上げて仰向けに引っくり返す。

 咳き込みながら俺を見上げるマルコの眼は、出会った時の落ち着いた紳士の眼でなく、今、自分が陥った立場に恐怖する被害者の眼だった。

「残念だよ、このジンジャーエールがこの店で飲めなくなるのは」

 俺は厨房で立てた右拳の親指を手首を回して下に向ける。

「金を払うか、それとも死ぬか。どちらを選ぶ?」

 俺の質問が終わる前に腹を抑えたマルコの右手が前に突き出され、そこには黒光りするクロム・モリブデン鋼の小さな凶器が俺を睨みつけていた。

 俺は身体を半回転させながらリボルバーの射線から身を反らしつつ、左手に握ったグラスをその凶器に叩き付けた。

 グラスが割れて、コルト・ディテクティブとそれを握ったマルコの右手にグラスの中身がぶちまけられる。

 そのまま俺がグラスを握った手首をねじらせて割れたグラスのその鋭い切先でマルコの手の甲へ斬り付けると、奴の苦鳴と共に床の上を小型のリボルバーが滑り,、俺の黒い革靴に当たって止まった。

「その銃も返して貰うぞ」

 俺は彼の返答に答えるべく一歩踏み出す。

 全く、命あっての金だと思うが、この手の奴等は自分の命より金の方が大事なんだろうか。たった二百万で命を落とすこともあるまいに。

 男達の苦鳴がこだまする室内を見回してからマルコ・チャリチャンミは両膝を付いて両掌を首の後ろで組んだ。

彼が自分自身の価値を二百万円以上だと認めている行動だった。

 そう思っていた。マルコ・チャリチャンミの左手が襟の後ろに入るまでは。

 マルコが襟の後ろから抜き取った小型の自動拳銃オートマチック・ハンドガンを俺に向けるより早く、俺はその場にしゃがみ込みグラスの底の部分を逆手に持ち奴の首筋へ振り下ろした。

 マルコ・チャリチャンミの左首筋に食い込んだグラスの底は、その鋭い破断面で頸動脈を食い破り、宙に赤い花を咲かせる。

 俺は指先から伝わる死の感触に嫌悪感を覚えながら、体を半身に傾けて返り血が己に掛かるのを避けた。

 赤い命の残滓(ざんし)は頬に僅かにあたり、そのことが俺を更に苛立たせ、また、その選択を選んだ目の前で首筋を抑えて口を大きく開けた初老の紳士に、どうしようもない憤りをおぼえる。

「お互い、損な選択を選んだよな」

 マルコもこんなところで己の終わりが来るとは予想だにしなかったであろう。俺の言葉が終わると共に仰向けに倒れた奴の顔は、首筋を破られた時の驚愕の表情を留めたままこと切れていた。

 いつか俺も、どこかの裏路地でこの様な表情を浮かべて終わっていくのだろうか。それをもたらすのは、この主の死に静まり返った部屋にいる男達の一人かも知れない。

 俺は左手のグラスの底を床に投げ捨てて、代わりにコルト・ディティクティブを拾い上げて踵を返した。

 報酬を貰えない以上、こんなところに長居しても仕方がない。

 暫くの間、寝る前にマルコ・チャリチャンミの死に顔を思い出すだろう予感と、増える酒量に湖乃波君が抗議の視線を向けてくるだろうという確信を抱きながら老紳士の城を後にする。

 あの子が気にするのは酒量が増えることによる俺の体への影響か、それとも家計を圧迫する事か。たぶん、その両方だろう。

 ふと、この店にもウオッカかジンは置いているはずで、それを報酬代わりに持ち帰りたい衝動が湧きあがったが、そんな火事場泥棒みたいな真似は俺のプライドが「よせよ」と(たしな)めたので出来なかった。


 店の外に出てプジョー207SWの傍らで一息つこうと背広の内ポケットからワイルドカードとオイルライターを取り出す。

 口に咥えたところで耳に複数の車のエンジン音が飛び込んで来た。

 マルコチャリチャンミの遅い増援か?

 それとも付近の住人による善意の通報で飛んで来た国家公務員か?  

 これはゆっくりしている間も無いな。

 俺は火を付けてない煙草を咥えたまま207SWの運転席のドアを開ける。

 ここはとっとと逃げる。金にもならない労働は避けるにかぎる。

 しかし、207SWに乗り込む前にこの駐車場に乗り込んで来た車両は黒と白のツートンカラーに赤い回転灯の乗用車でもなければ、国産のセダンやリベンジに燃えるキャディラックでもなかった。

 真っ先に駐車場に飛び込んで来たのは、そのワインレッドのコンパクトな車体の鼻先に特徴的な逆三角形のグリルとサラセン人を咥えた大蛇の特徴的なエンブレムが目立つイタリア車だった。

 アルファロメオ・ミト クワドリフォリオヴェルテ。

 四・〇七メートルの車体に千四百CCターボエンジンを積む刺激的なこのホットハッチを駆る所有者(ドライバー)に一人だけ心当たりがある。

 ドライバーがミトから身を屈めて駐車場に下りた。その背後でメルセデスベンツのMLクラスが遅れて駐車場に滑り込む。

 俺に向かって革靴の音を響かせて歩いて来るミトのドライバーの姿に、いつも胸中に湧き上がる懐かしさを覚えながら手を上げて挨拶する。

「チャオ、フランコ」

「本当に、元気そうで残念だ。ブレード」

 細身の体に赤に似たマヌール色の三つ揃いを着こなした二十代前半の若い運転手は、挑戦的ともいえる切れ長の目に悪戯っぽい光を湛えて何時もの軽口を叩く。

 この赤毛のショートカットの運転手は自らフランコと名乗っているが、三つ揃いのベストを押し上げる膨らみと凛とした声音から解るように女性である。

 彼女とは、彼女が着古したベストとコート、半ズボンといった海外のストリートチルドレンまがいの服装で新開地の地下道を根城としていた頃からの付き合いで、一時期共にもぐりの観光案内をして糊口(ここう)を凌いでいた。

「で、なんでここに」

 煙草に火を付けて尋ねるとフランコは肩をすくめて首を振った。

「さあ、私はただ相談役(オストリコ)から、この場所でブレード絡みの騒動があるから行って火事場泥棒でもして来ればどうだと持ちかけられたんだ。ただ、そう言われたら行かざるを得ないから、暇している者に声を掛けて覗きに来た。全く、こんな夜中に迷惑だよ」

 ぷっと憤慨したように頬を膨らます。その仕草に彼女が幼く、共に過ごしたころの面影が重なり、俺は僅かな寂寥(せきりょう)と懐かしさを覚えて口元に微かな笑みを浮かべる。

「そうか、それは残念だ」

「何が、だ」

「てっきり心配して駆けつけて来てくれたと思ったのだが」

「お前相手にそれは無いよ」

 信頼されていると受け取っておこう。

「で、カタはついたのか、それともこれからか?」

 フランコはマフィア【仮面舞踏会(ラ・マスケーラ)】の幹部に相応しく表情を引き締めて尋ねた。

 彼女が若くして幹部となったのは、荒事を多く引き受け場数を踏んでいることにある。これから事を始めるのなら彼女が先頭に立って兇刃を振るうのであろう。

 俺としては彼女に荒事に関わって欲しくないのだが、彼女自身がその生き方を選んだので口を挿むことは出来ない。

 まあ、今回は俺が先に手を下したことを幸いとするしかないか。

「もう終わったよ」

「そ、そうか。で、相手は」

 俺は何も言わず吸い終えた煙草を吸殻入れに納めずに地面に落として、そのまま靴底で踏みにじって消した。

 それで答えを察したのか、フランコは僅かに表情を曇らせて「そうか」と呟く。

「じゃあ、後始末は俺達に任せて、さっさと帰って眠っててくれ」

 軽く俺の背中を叩いて彼女は背後の男達へ「行くぞ」と声を掛ける。

 これから中に居る男共を文字通り叩き起こしたり、事務所の書類をあさって、この店の権利書やファミリーの利益になりそうな書類を探し出すのだ。

「フランコ、来てくれて助かった」

 俺は彼女の背中に声を掛けた。店に入ろうとドアの取っ手に手を掛ける直前で彼女の動きが止まる。

「久しぶりに顔が見れて気分が良くなった。有り難う」

 フランコは振り向かずそのままドアを開け店の中へ消えて行った。

 フランカと呼び掛けるべきなのか、それともフランコとして付き合うべきなのか、俺にはまだ判断が付かなかった。

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