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運び屋の季節  作者: 飛鳥 瑛滋
第三話 1年目 夏 六月
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三章 着払いは高くつく(1)

 三章 着払いは高くつく


                    1


 ミニは速度を時速百十キロまで落として次の土山SA(サービスエリア)に寄る事とした。ミニの損傷が今後の走行に耐えれるかどうか調べる為と、俺がトイレに寄ることを声高に主張した為だ。

 しかし、ひとつ問題がある。俺の右手首にはとても邪魔な爆発物付のジェラルミンケースに繋がったコードと手錠がはめられている。よって右手は使えない。

 そうすると俺は左手でチャックを下ろし、左手でナニをトランクスの内側から取り出して用をたし、左手で上下左右に振って水切りした後、左手でナニを納めなければならない。

 意外と難しいかも知れない。それが俺の脳内シミュレートした結果だ。

 まず、左手でチャックを開ける。これは容易(たやす)い。

 次に左手だけでトランクスからナニを取り出す。これが問題だ。

 通常はチャックを下ろして開いた社会の窓を、片手で開いた状態に保持しておき、もう一方の手でナニを下着から取り出す。これがナニをトランクスもしくはブリーフから取り出す際の一般的な作法だ。まあ作法というにはいささか大袈裟(おおげさ)すぎるが。

 つまり左手一本では社会の窓が閉じない様にしっかりと指を奥まで突っ込んで、ナニを確実に取り出差なくてはいけない。

 もしそれが迅速に行えず蛇口のバルブが限界まで水圧に耐えてる場合だと、トイレの小便器の前で華麗なるフットワークを披露することになるだろう。そんな事で目立つの本意ではない。

 そして射撃シークエンス。

 男たる者、確実に小便器内に命中(ヒット)させねばならない。このスナイピングには頼れる観測手(スポッター)はいない。その銃の持ち主が風向き、発射する時の銃の角度、目標までの距離、射撃開始から終了までの所要時間を見極めるのだ。

 それを俺は片手で遂行する。もし失敗すれば後に続く男達の任務達成に支障をきたすことになるであろう。

 最後に撤収作業だ。

 ナニを確実に所定場所に納めなければならない。僅かにでもずれていれば歩行に支障をきたす者も現れる。

 待て、その前に残弾確認だ。ケースに収まる前に銃に弾が残っていない事を確認しなければならない。

 発射の際の残りカスがあると、ケースに収めた後、暴発する恐れもある。古い銃ともなると残りカスがケースに収めた後で暴発し易くなるらしいが、幸い俺はそのような事は起こっていない。

 俺が危惧するのは片手ゆえ、清掃不十分でケース内で暴発してしまいそれが第三者の目に触れることだ。

 俺は黒スーツの為、暴発の痕跡は判別しにくいのだが、その暴発したという事実は男のプライドをズタズタにすること確実であろう。こうなっては仕方がない。俺は迷うことな懐のアップルゲート・コンバットフォルダーでジェラルミンケースから手錠に繋がるコードを切断して、暴発の痕跡もろとも己の身を消すであろう。

 やはりこれは難易度の高い作業だ。それを打開する道具もあるが、それをこのミニのドライバーである彼女が持っているかどうか。

「済まないが、この車に尿瓶(しびん)は積んでいないのか」

「何?」

「いや、何でもないんだ、気にしないでくれ」

 何を馬鹿な事を言っているんだ、この男は! と内心思っているかのような目で睨まれたので諦めよう。これ以上質問すると車から蹴り落とされかねない。

 ミニがSAの駐車場に乗り入れると、物珍しそうに数人のドライバーとその家族が振り返った。

 まあそうだろう。珍しいミニのオープンカーに赤い皮ジャンを着た美女と夜なのにレイバンのサングラスをかけた黒背広の男が乗っているんだ。

 しかもそのミニは左サイドミラーが無く、フロントグラスは完全に割れ落ちている。

「じゃ、トイレに行ってきます」

「さっさと済ませてよね。時間が無いんだから」

 ジェラルミンケースの液晶表示は61:54を表示しており、これからの行程が厳しい事を物語っていた。いよいよ蹴り落とされるかな。

 俺は男性トイレの洗面所の前に足を止め、左手で右手の親指を強く握り締めた。

 ひょっとしたら無事に空港に到着して、カードキーでこの忌々しい荷物から解放されるのかもしれない。だが俺は無事に済まないだろうという確信が頭の中を占めている。

 あのXTSは誰に雇われていたのか。敵はいったい誰なのか、このジェラルミンケースが狙われる理由は解らないが、俺達を襲う黒幕であろう人物は大方予想がついている。その予想が間違っていれば、俺の未来はケースを抱えたまま爆死するしかないのだ。

「遅い! ってどうしたの?」

 用を足し終えて戻って来た俺に、彼女はせっかちにブーツの踵を鳴らしながら抗議してきたが、俺の右手を目にして目を丸くした。

 トイレから戻った俺の右手はジェラルミンケースの取っ手と、そこから伸びたコードの手錠ごと包帯でぐるぐる巻きにされていたのだ。

「いや、男のプライドを取り出す時に手首を捻ってしまったんだ。全く、人より大きいのも考え物だよな。取り敢えず取手を掴もうとしたら激痛が奔ったんで、コンビニで包帯を買って取っ手を掌に括り付けたんだ」

 俺の説明に彼女は額に人差し指を当てて頭痛を堪えるような表情をしていたが、何かを諦めるかのようにため息を大きくひとつ吐くと踵を返して歩き始めた。

「時間が無いから急ぐわよ。危なくなったら放り出すからね」

「アイアイサー」

「……」

 土山SAを出た俺達は四日市ジャンクションから伊勢湾岸自動車道へ乗り入れた。

 長嶋スパーランドの傍を通るので温泉に寄りたい誘惑に駆られるのだが、そんな余裕などあるはずも無く、俺はぼんやりと夜の工業地帯の、人によっては幻想的だと評される風景を眺めるしかない。

「……ひつまぶし」

 気のせいだろうか、隣りから切実な呟きが聞こえたような。

 まあ、ご飯ぐらいは美味しく戴きたいよな。先立つものの持ち合わせが無く、今は想像で補うしかないのが悲しくもある。

「えびふりゃー」

 俺も呟いてみる。呟くだけならタダだからな。

「此処まで人を苦労させておいて、食事が海老フライ定食っていうのも酷くない?」

「今、ウナギは絶滅の危機に(ひん)しているんだ。種の保存に貢献しようという気は無いのかね」

「折角、名古屋まで来たんだから、それぐらい奢ってくれてもいいんじゃないかしら? 何なら必要経費として請求してもいいけど」

「名物ならあんトーストがあるじゃないか。それなら腹いっぱいまで奢ってやるぞ」

 何ならあんバタートーストでもいいんだぞ。俺はあんな甘くて脂っこいものは遠慮するが。

 こうして益体も無い会話を楽しめるのも、現在ジェラルミンケースの取っ手の表示は35:22で何とか時間までには中部国際空港セントレアに到着出来そうだからだ。

 着いてから一波乱あるかもしれないが、その時はその時、今は途中のトラブルにも拘らず時間内に間に合わせたこの女運び屋(ドライバー)を労ってやるべきかもしれない。

「分かったよ。折角、名古屋に来たんだ。このまま何事も無く仕事を終えたら、ひつまぶしでもうな重でも焼肉でも好きなものを奢ってやるよ」

「へえ、言ってみるものね。御馳走になるわよ」

 いつもの仏頂面と異なり、目を細めて嬉しそうに笑う彼女の横顔は年相応の輝きに満ちていて、この笑顔の為なら俺は、ひつまぶしでもうな重でも手羽先でも何でも奢ってやるぞと決心した。

 セントレア大橋から空港周辺道路に乗り入れる。

 中部国際空港セントレアの二つある立体駐車場の内、手前側がP2駐車場だが、入り口は一方通行道路の駐車場を挟んだ反対側にある為、P1駐車場を回り込んで行かなければならない。

 回り込むついでに駐車場内に怪しい人影が無いか見回しておく。外側から見る限りでは怪しそうな人物は見当たらない。外から見えない様に駐車場の奥に潜んでいるか、それとも最初からいないか。その場合、俺は木端微塵となる運命なんだが。

 周辺道路の人影はまばらで、それは空港内が二十二時で閉鎖される事と無関係ではあるまい。

 空港内の刀削麺の店とカフェが二十三時まで開いているから、ひと仕事終えた後で、刀削麺を喰っても良いだろう。出来る事なら【まるや本店】で彼女にひつまぶしでも奢ってやりたいところだが二十一時三十分が閉店時間なので諦めるしかない。

 ゲートを潜って発券機から駐車券を抜き取る。それほど余裕のある到着時間ではなかった。さっさとK駐車場へ上ってこの忌々しいジェラルミンケースから解放して貰おう。

 K駐車場のほぼ中央あたりに車を止めてあたりを見回す。

 人影は、無し。

 受取人は何処からやって来るのであろうか。

 本当に相手が几帳面で十時きっかりに姿を現す可能性だってある。

 出来ればせっかちで五分前には必ず待ち合わせ場所に相手も自分もいなけらば気が済まないような、普段の付き合いなら遠慮したいような奴でも今日に限っては大歓迎だ

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