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運び屋の季節  作者: 飛鳥 瑛滋
第三話 1年目 夏 六月
58/196

二章 依頼品、俺様(4)

                     2


 店の外は六月とはいえ、七時を過ぎれば薄闇が世界を支配している。俺達の仕事は大抵、こんな時間から始まるのだ。

 日の当たる場所での生活からずっと背を向けて生きていかねばならない宵闇の住人。駐車場の片隅に停めた愛車に向かう彼女は、何故この世界の住人と成ったのか。ふとそんな疑問が頭の隅をかすめたが、俺は頭を振ってその疑問を追い出した。

 何も訊かない。それがこの世界で生きる最も賢い生き方だから。

「俺は助手席に座ればいいのか」

 決して広いとは言えないBMWミニJCWGPのコックピットを覗き込みながら俺は質問した。

「私は荷物専門の運び屋で生き物お断りなのよ。だから貴方の場所はここ」

 彼女の指差した場所は運転席の後ろに誂えられた極太のタワーバーの下だった。かなり狭い、というより人が入るスペースではない。

このJCWGPは2シーター仕様のカブリオレモデルであり、シートの背後には電動式の幌が収納されている。したがって大きな荷物は助手席に置くしかない。

「……済まないが助手席に乗せてくれないか」

 俺が懇願すると彼女は宙を仰いで嘆息した。

「仕方ないわね。隣に人を乗せて走るのは好きじゃないけど」

 彼女にとって、俺は荷物以下の存在かもしれない。他人がある一定以上の距離より近くなると不快に思う類の人なのか。

「それじゃあ失礼して」

 俺は助手席のレカロシートに腰掛けてシートベルトを締めた。うん、腰をしっかり固定してくれて、急なハンドリングにも身体がぶれない様に保持してくれるようだ。感心感心。

 彼女も運転席に腰掛けエンジンを始動させる。腹に響く咆哮と共に僅かな振動が伝わって来る。

 彼女の細い指がシートベルトを引き出し右肩から左脇に掛けて引き下ろす。金具の固定される金属音と共に、彼女の胸の谷間に食い込んだベルトが彼女の豊かな胸を強調させた。

いや、すごい光景だよ。

 俺は前を向いたまま、出来るだけ彼女の整った横顔や素晴らしい胸の谷間に意識がいかないように努めた。あまりじろじろ横目で眺めていると、気づかれた瞬間車から放り出されかねない。

 いや、これまでの彼女の行動から推測すると絶対に放り出すだろうな。

 つくづく今日は運転席に座っていなくて良かったと思う。もし運転していたら隣りが気になって蛇行運転を繰り返した挙句、事故を起こしかねない。

 アクセルを踏み込み出発するかと思われたが、彼女は不意に俺へ顔を向けて念を押した。

「もし、何かのトラブルでセントレアに着けなくても、九時五十分になったら容赦なく車から蹴落とすから」

「出来れば道端に停めて欲しいな。ちゃんと自分で降りるから」

 俺は引きつった笑みを頬に浮かべ、彼女に出来るだけ譲歩してくれるよう頼んだ。いきなり高速道路で外に放り出されて車に()かれて一度、爆発してもう一度死ぬ事態は勘弁して欲しい。

 彼女がアクセルを踏み込むと共に小型車にあるまじき轟音をエキゾーストより掃き出し乍ら、ミニJCWGPが動き始めた。

 赤と黒に統一された室内のインテリアと点灯する速度計やタコメーターのデザインが、この車の他のミニと異なる高貴な獰猛さを俺に印象付け、その運転手である彼女に非常に似合っていると思えた。

「時間が無いから飛ばすわよ」

 軽量小型車の利点か、道路に出ると半端無い加速力で街中を疾走する。

 長田から阪神高速道路に乗り入れる。

 この時のジェラルミンケースの表示は158:44、夜十時までの残り時間はどんどん減っているが、俺が今出来る事といえば隣りの運転手が無茶な運転をして途中で事故に遭い、時間切れで命を落とすことが無いように祈る事ぐらいだろう。

 しかし彼女の運転はかなり乱暴だ。右車線に僅かでも隙間があると、ウインカーを点灯させた後に直ぐ隣の車線に移っている。そして追い抜き車線の前を走行する車両が百キロ程度の速度だと、走行車線の隙間に車体をねじ込んで、追い越し車線の車より前に出ると直ぐ追い越し車線に復帰した。

 小型軽量のミニならではの加速力を生かした運転だが、俺としては運び屋がそんな乱暴な運転をして、運ぶべき荷物を壊したことは無いのであろうかと心配になる。

 それとも彼女にとって運び屋という職業は、ミニを走行(ドライヴ)させる為の方便なのであろうか。

 俺もプジョーを思いっきり飛ばすこともある、が仕事では非常の場合を除いて法定速度プラスマイナス一〇キロで走行することをルールとしている。運び屋はやたらと目立ってはいけないのだ。

 俺は携帯電話を取出し、ある知人のダイヤルを呼び出した。

 何時もはなじみの情報屋の仲介で連絡を取り合っているが、今回はそんな悠長な事はしていられない。

 数回の呼び出し音の後、低い男の声が俺の耳に響いて来た。理知的な氷の鋭さを持った、場数を踏んだ静かな男の声だった。

「スィニョール・アッコルテラトーレ。御久し振りですね」

「今はスパッローネですよ。コンシリーエ・オストリコ」

「それは残念」

 俺の訂正に電話の向こうの相手、神戸市長田区を拠点とするイタリア、シシリアンいわゆるマフィア【仮面舞踏会(ラ・マスケーラ)】の相談役(コンシリーエ)を務める男は少しも残念そうでない口調を返す。

 アッコルティラトーレはイタリア語で刺客、刃物で刺す人を意味する。スパッローネは運び屋だ。

 ちなみにイタリア語では麻薬などの運び屋は別の呼び名があったはずだが、何だったか忘れた。まあいい、俺は麻薬は運ばない。

党首(カーポ)に変わりは無いですか」

「貴男は仕事以外では顔を出さないとぼやいていましたよ。たまには食事にいらして下さい。夏向きのメニューに切り替えてますから。ワインもファーロ・パラーリを数本取り寄せました」

「貧乏暇なしでね。余裕が出来たら食事に行くよ」

 この相談役の表の仕事はリストランテ・イルマーレの給仕長(カメリエーレ)で、このリストランテには彼の細い銀縁眼鏡を掛けた端正な顔立ちと、注文を取る時の微笑みや慇懃無礼(いんぎんぶれい)な物腰にすっかりやられてしまった女性客がひっきりなしに来店する。

「それで、相談役の貴方に訊きたいことがあるのだが、いいかな?」

「何でしょうか。私が答えられるのであればいいのですが」

 相談役は謙遜してそう答えるが、このコーサノストラの治める地区でこの相談役の知らない事は、そう多くは無いのではないか。俺はそう思っている。

「貴方のところか、コルシカの縄張りか知らないが、最近出来たばかりのショーバブで、イタリア系の大企業の重役に見える初老の男が仕切っている店を知らないか。もし知っているなら、その男は貴方のところの身内か?」

「ショーバブですか。情報が漠然とし過ぎていますが店の特徴とか教えて頂けませんか」

「壁一面に半裸の女性が右足を上げて踊っている絵で少々下品な、どぎつい色彩で塗られている」

 携帯電話の向こうでは彼の記憶の中から該当者を探っているのか、暫く沈黙が支配していたが、不意に「ひとり、心当たりがあります」と答えが返ってきたとき、俺は「よしっ」と携帯電話を握り締め快哉を叫んだ。

「ファミリーの一員?」

「いいえ、店で二度ほど見掛けまして。二度とも名は明かせませんが数人の名士と同席していましたよ。マルコ・チャリチャンミと予約カードには書かれておりましたが。彼が何か?」

「依頼を引き受けてね。彼の仕事については何か耳に入っていないか」

「さて、私共の生業の邪魔や、あまり派手な仕事をしない限りは黙認する心算でして」

「彼は良き隣人でも悪い間借り人でも無いと」

 相談役の言葉を信じるなら、あの男は「ラ・マスケーラ」の庇護も受けていない独立した組織を率いており、彼等の不利益になる騒ぎを起こさない限りは何がどうなろうと黙認するらしい。

 よし、無事にここへ戻って来れたら、借りは気兼ねなく返させてもらうとしよう。

「グラツィエミッレ、コンシリーエ」

 携帯電話を閉じた俺に運転席の彼女は整った顔を前に向けたまま、視線を俺にちらりとよこした。どうやら先程の会話の中身が気になるらしい。

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