二章 依頼品、俺様(2)
すらりとした体型に胸の大きさが目立つ女性の背後には、俺をこの店まで案内した運転手が控えていた。一見すると魅力的な女性の背後に控える召使といっても差し支えは無いが、それには女の首に巻かれた運転手の左肘と、女性の右こめかみに突きつけられた運転手の右手に握られた小型の自動拳銃が無ければの話だが。
そしてその女性は昨晩のBMWミニ・ジョン・クーパー・ワークスGPを駆るもう一人の運び屋に間違いなかった。というか、あの魅力的なロケットおっぱい見間違うわけがない。
更に二人の背後から五人のベスト姿の男達が現れ、オーナーと運転手の傍に付いた。如何やら形勢は俺が一気に不利となったようだ。
運転手に銃を突き付けられたまま、彼女は店内にゆっくりとした足取りで入って来た。
彼女の表情は硬く、顔色もやや青ざめている。頬を叩かれたりしたのか唇の端に血が滲んでいるのが俺の目に留まった。
「彼女にナニをした」
俺は最も気になることをオーナーに問い詰めた。
服はそれほど乱れておらず赤い皮ジャンもきちんと羽織っているが、彼女がこの店に来たのは俺に電話のかかって来た三時間前とすれば、その間に何があってもおかしくは無い。
「ほんの少し口論をした程度だよ。私は紳士だからね。ただ、君の答え次第では彼女に何があってもおかしくは無い」
気丈にも彼女はオーナーを睨み付けるが、オーナーは気にした風も無く俺に向かって最終宣告を放った。
「さて、君は私の依頼を引き受けてくれるのかね。引き受けてくれなくとも私は構わないのだが」
オーナーが右手をベスト姿の一人に向けると、そいつは右手に持った白い布の塊を開いて中から俺の見覚えのある短銃身のリボルバーを取出しオーナーに手渡した。
コルト・ディティクティブ。三十八口径六連発の黒光りする凶器は、昨晩、今こめかみに銃を突き付けられている彼女が持っていたものだ。
「古いが、良い銃だな。とても手入れが行き届いている」
言い終わると同時に、俺に叩きのめされて床に這っている男達の一人へ銃口を向けて無造作に引き金を引いた。
男の後頭部がはじけ店の床に赤黒いのやらピンク色やらの頭の中身がはじけ飛んだ。
「……貴様」
「さあ、次は彼女だ。君の答えは何だ。五つ数え終わるまでに聞かせてもらうぞ」
さて、どうする。引き受けなければ彼女は死ぬ。この業界に身を置いている以上、死ぬ覚悟は出来ているだろう。後は俺が彼女の命を見捨てる覚悟があるかどうかだ。
「ひとつ」
彼女を傷付ける事も無く、ナイフで運転手を黙らせることは出来るか。いや、駄目だ。彼女の背が平均より高い為、運転手の急所である首が彼女の頭の影になっている。これではナイフで喉の動脈を傷つけることは出来ない。
「ふたつ」
それに運転手を始末してもオーナーの銃口が彼女に向けられている。かといってオーナーを始末すれば運転手が彼女のこめかみを打ち抜くだろう。二人同時に始末する方法、オーナーに腰の後ろのナイフポーチに納まった刃渡り八センチのナイフを投げて、運転手には接近しての斬撃を浴びせる方法は失敗時のリスクが高い為却下とする。下手すりゃ彼女を死なせた上、俺も殺されるかもしれない。
「みっつ」
ん、彼女の右手が、彼女の首をロックしている運転手の左腕から離れて胸前で僅かに前方へ突き出される。軽く握り拳を作ってタイミングを図っているように感じられた。
これはまずい。
「よっつ」
「引き受けよう」
俺の返答に、それを訊いた彼女が運転手の腹に肘打ちを打ち込む事を止めた。良かったよ、もし肘打ちが運転手の腹や鳩尾に入ったら、運転手の人差し指が本人の意思とは関係無く動いてしまい、彼女のこめかみを銃弾が打ち抜くことになったのかもしれない。
オーナーは破顔して銃口を彼女から外す。
「例の物を持って来い」
それを運ぶのが俺の仕事だろうか。オーナーに指示されたベスト姿が再び俺達の前に現れた時、その両手には、昨晩、彼女が逃走資金として運んで来た逃走資金の入ったジェラルミンケースに良く似ていた。爆発しないだろうな。
あと紛失防止の為か、ジェラルミンケースの取っ手からコードが伸びて電子ロック式の手錠のように見える輪っかがその先端についていた。
「手を出せ」
指を二回廻してオーナーに向かって掌を突き出す。オーナーのこめかみに血管が浮き出てくる。この程度の冗談は大目に見て欲しい。
ベスト姿はジェラルミンケースから伸びた輪っかを開いて、俺の右手首に内側を当てると一気に勢いを付けて閉じてくれた。
ちょっときつい。
「これは何かな」
俺の問い掛けにオーナーは背広の胸ポケットからカードを取り出すと、ジェラルミンケースの取っ手の下にある液晶パネルのスリットに差し込んだ。
液晶にLOCKの文字と180:00と数字が表示されて直ぐに179:59と変化、どんどん数字が減り始める。
俺は何となく予想はついたのだが、敢えてオーナーに再度問い掛けた。
「……これは、何だ」
「解るだろう。運んでもらう荷物だよ」
訊き方が悪かったようだ。
「この表示は何だ。0になると何が起こる」
オーナーは嬉しそうに口元を吊り上げると、先程俺が奴にしたように右手を突き出して掌を上に向けて、ぱっと開いた。
おいおい、予想通りだよ。
「やっぱり鳩が飛び出すんだな」
「二十二時だ。二十二時に爆発するんだ!」
解っているさ。ただ認めるのが嫌だっただけだ。
「言っておくが、コードを切断したり手首のロックを無理にこじ開けないようにな。ロックが閉じることで爆発しない様に信号が出されている。もし途絶えると、その瞬間に君の体は木端微塵だ」
俺はどんどん減っていく液晶パネルの表示と、手首をがっちりと固定している輪っかを眺める。
こんな手の込んだ手段を取るぐらいだから、このジェラルミンケースの中身は相当大事なものに違いない。
いや、待てよ。そんな大事な物が時間切れで俺達と共に吹き飛んでも構わないのだろうか。ひょっとしたらこの依頼を受けさせる為の方便だとしたら。
俺は背広の左懐へ右手を差し込んで愛用の折り畳みナイフ、コンバットフォルダーを取り出した。
俺の周囲の控えるベスト姿の男達が一斉に俺へ銃口を向ける。俺は相手を刺激しない様にジェラルミンケースを盾代わりに掲げた。
「どりゃ」
コードに向けてナイフを振り下ろす。
その時のオーナーの動きは見事としか言いようがない。
見たところ五十代後半から六十代前半といった年齢だと踏んでいたのだが、その予想を覆すかのようなスピードで床に伏せ、直ぐにテーブルを倒して後ろに隠れた。
「……」
「……」
テーブルの影に隠れたオーナーに、寸前でナイフを止めた事を示す様にケースを高々と掲げる。オーナーの慌て方から予想すると間違いなく爆発するようだ。誰かがため息を吐くと同時にベスト姿の男達も一斉に力を抜く。




