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運び屋の季節  作者: 飛鳥 瑛滋
第三話 1年目 夏 六月
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一章 女運び屋 BMW MINIを駆る(4)

 俺は腰を上げ彼女の足元から、おそらくジェラルミンであろう銀色のアタッシュケースを持ち上げた。

「?」

 意外と重い。何円(いくら)入っているんだ、これ。

 俺は内心首を傾げつつ、横たわった口髭の前にアタッシュケースを置いた。

「じゃあ、こいつを開けて払ってもらおうか。君にはいくら払えばいい」

 俺は振り向いて運び屋の女性に尋ねた。彼女は油断なくディティクティブを腰だめに構えたまま報酬を答える。

「二十五万」

「俺は八十万払ってもらうぞ。それ以上要求するつもりはない、ビジネスライクで行こう」

 口髭は何とか上体を起こして膝立ちになると、アタッシュケースを立てて取っ手の下のダイヤルを廻し始めた。

 しかし、此奴等は銀行に入ったのに金は奪わなかった。奴等が持っていたボストンバッグに金は入っておらず、逃走資金は別に手配されている。

 銀行から金は奪われていない、もしくは彼等が銀行に押し入ったタイミングで奪われたと思われた金は何処かへ振り込まれている。

 そして関わった運び屋は始末される。後残るは……。

 俺は思案の結果、簡単に浮かんだ結論に顔を上げて口髭の手元を見た。

パチンと鍵の外れる音。

重いアタッシュケース。

「伏せろ!」

 俺は運び屋の女に飛びかかり、両肩に手を掛けてそのまま押し倒す。彼女の手からディティクティブが落ちて銃声が響く。

 む、撃鉄が起きたままだったのか。

 地面を滑り込みながら俺は彼女に覆い被さろうとするが、それより早く俺の左手を払い除けた彼女が右拳を突き上げる方が早かった。

「何よ、この変態!」

 見事に俺の右頬へ入ったストレートに、俺は顔が半回転しそうになるのも堪えて、強引に彼女を俺の体の影になるように下に押し込んだ。

 俺の胸板の下で潰れる幸せな感触に意識を持って行かれそうになるのも堪えて予想される衝撃に備えた。

 右斜め後ろ、俯せに地面に伏せた俺の右足側から腹に響く轟音と体が浮きそうになるほどの衝撃が押し寄せてくる。

 ほぼ同時に靴底と背中、肘を曲げて彼女の頭を覆った右手に何かが突き刺さる感触があった。

 これは釘だろうか、彼女に突き刺さていなければいいのだが。

 一分程、俺は彼女を押し倒して抱え込んだ態勢のまま耳鳴りと格闘していたのだが、体の下から「苦しいんですけど」とぶっきらぼうな抗議を受けたので、俺は靴底の釘を抜いて渋々立ち上がった。

 出来ればもう少し味わいたかったのだが、まあ、いい。感触は(しっか)りと脳裏に焼き付かせてもらったからな。

 俺は振り返って口髭達三人組の寝転がっていた辺りに目をやる。

「うわっ」

 モザイクがいるな、これは。特に至近距離にいた口髭が特に酷い。

 運び屋の彼女も多少よろめきながら立ち上がった。如何やら無事のようだ。

「何が、あったの」

「逃走資金が破裂したのさ。バブルの比じゃないねぇ」

 ひょい、と俺の肩越しに背後の惨状を覗き込む。

 ああ、胃袋は空っぽか?

「……」

 如何やら運び屋の彼女は豪胆らしく、その鋭い視線で惨状を見つめている。死体を目にして吐くような柔な精神は持っていないようだ。

「どうやら奴等も使い捨ての駒だったようだな。後は君の依頼人が、こうなることを知っていたのかどうかだが、どう思う?」

「……うえ」

 おおーい、俺は彼女の前から飛びのき、吐瀉物を咄嗟に避けた。

 うーん、晩御飯はサラダだったか。

 夏の夜空に全然ロマンチックでない独特の音が響き匂いが立ち込める。

 もうこの空地はすごい有様だな。俺はそう呟いてワイルドカードを口に咥えて火を付ける。

 如何やら彼女は一息ついたらしく、手の甲で口元を何度か深呼吸をして息を整えようとした。

「死体を見るのは初めてか?」

「初めてじゃない」

 彼女は俺を潤んだ目で睨みつけると吐き捨てるように反論した。

「ただ、これほど酷い状態の死体は初めてだったから驚いただけ」

「成程」

 顔を赤くして反論する彼女の仕草が可愛らしく思えたので、つい俺の口元が緩む。

「何よ……って釘が刺さっている! 痛くないの?」

「ああ、大したことは無い」

 俺は黒の背広(ジャケット)を脱いで二,三度叩くと釘が抜け落ちて地面で跳ね返った。カッターシャツの白い生地に、僅かに赤い点が滲む程度で済んだのは運が良かったとしか言いようがない。

 まあ、神に感謝するような信心は持ち合わせていないが。

 爆発で乱れた癖のある髪を後ろに撫で付け黒背広を羽織る。

「黒の背広に、真夜中でもサングラスを掛けた運び屋」

 彼女は何かを思い出すかのように目を伏せて呟いた。暫く沈黙した後、視線を上げて俺の表情を読み取ろうとするかのように真剣な眼差しを俺を見据える。

「まさか、ブレード」

 当たりなのだがどう答えるべきか。

 ひょっとすると昔に恨みを買っていて、実はそうなのだー、と答えた途端、鉄拳制裁されるのは勘弁して貰いたいし、その右手のスナプノーズリボルバーでズドンってことになると笑い話にもならない。

 この業界、感謝される事より恨みを買うことの方が多い。中には依頼人とは顔も合わさずに仕事を引き受ける者もいるらしい。指定されたコインロッカーへ取りに行って、報酬は銀行振り込み。己の安全を第一とした機械の様なプロフェッショナル。

 俺はそんな仕事は勘弁したいな。銀行口座なんか最近作ったのだから。

 さて、どう答えるか。実は過去に関わっていて、俺の仕事ぶりに感激して運び屋になったとか。それでもって仲が良くなるとか……、いや、それは無いな。こんな日陰仕事を選んでいる以上、この女性も詮索されたくない過去があるかもしれない。

「まあ、そう呼ぶ奴もいる」

 俺の無難な返答に彼女は僅かばかり口元を緩めてくれた。

「本当に噂通りのスタイルなんだ。噂じゃ関わったらロクなことが無いって聞いてたからもっとゴツイ奴と思ってた。それに何、プジョーの小型車か。趣味としては嫌いじゃないけど出力不足じゃない?」

「確かに君の趣味には負ける。よく、あんな暴れ馬手に入れたな。感心するよ」

 あんな小さく軽い車体だと、ゴーカートのごとく振り回されるのではないだろうか。

「まあね、前はクーパーSに乗っていたけど、メンテナンスに持って行った店であれが飾っていてね。一目惚れで試乗させてって頼んだら、店の人も了承してくれて、つい降りると直ぐにローンで契約しちゃったのよ」

 店の罠に嵌ったのか。

「ホント、可愛くて凶悪ね。良い車よ」

 彼女は誇るように胸を張って笑った。

 本当に凶悪だよ、胸が。

 何処からともなくパトカーのサイレン音が響いて来た。先程の爆発音が通報されたのかもしれない。

 くそっ、美女とのおしゃべりを楽しみたかったのだが仕方ない。掴まっては元も子もないので、此処は素早く引き上げよう。

「さて、逃げるか。どうする、何なら俺が囮になってもいいが」

「必要ないよ。じゃあ、また、縁があったら」

 彼女は運転席のドアに手を掛けると小鹿の様に飛び跳ね、ドアを越えて運転席にすっぽりと収まった。

 間髪入れずに響くエンジンの咆哮と共に、ミニの後姿がどんどん小さくなる。

 じゃじゃ馬だな。仲良くなっても俺の手に負えるかどうか。

 苦笑しつつ俺も207SWのイグニッション・キーを回してエンジンに火を入れる。

 さて、これからどうするべきか、今回の仕事は依頼人があの世に行ったから、当然違約金はそいつらの上役、もしくはその仕事を依頼した奴に払わせるのが筋なのだが。

 しかし、爆薬を用意したり、関わった奴を皆殺しにしようとする厄介な奴だから、これ以上関わり合いになりたくないのが本音なのだ。

 つまり、金より命が大事。向こうが俺を放って置いてくれるなら、今回は俺も関わり合いにならないようにしよう。

 そう結論し、207SWを走らせた俺だが、ある重大な事に気が付いた。

「しまった。あの()の名前と電話番号を聞いていない」

 この縁が続くことを天上の何故か偉い人に頼めればいいのだが。

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