一章 最後の依頼(5)
吹田SA到着は二十時四十六分、ここで一旦休憩を取ることにする。
「十五分間の休憩だ。その間にトイレなり水分補給なり好きにしてくれ」
車から降りてトイレに向かう三人の後姿を俺は車内から観察した。
三人に近寄ってくる人影もなく、走行中に尾行されている気配もない。親爺と女はトイレで別れる前に会話していたように見えたが、少女はさっさと二人を追い抜いて女子トイレに消え去った。全然喋らなかったのは、ひょっとして自然の欲求を我慢していたのか。
トイレ休憩時間というのは男と女では「大」なら同程度だが、「小」では倍近く違いがでる。男は非常にスムーズに事を終えるが、女性は時間が掛かるものだ。
以前はトイレ休憩を五分と決めていたが、あるオバちゃんを運んだ時、十分では短すぎると抗議された為、十五分取るようにした。
最近では男が家庭用洋便器で小便をするとき、わざわざズボンを下ろして座り小便するらしい。理由は便器に貯められた洗浄用の水が小便にはね飛ばされて便器に付着するのを嫌った為と聞いたが、俺は何となく理解したくなかった。どうしてわざわざ時間のかかる方法を選ぶのか。
俺は洋便器で座り小便は絶対にやらないぞ。立派に立ちションを成し遂げて、人差し指と親指で自慢のモノを振ってやる。効果音はブルース・リーが燃えよドラゴンで披露したヌンチャクの旋回音だ。
後部座席のドアが開く音と共に少女が車内に帰ってきた。経過時間は七分。どうやらトイレはそれほど混んでいないようだ。
親爺と女が返ってきたのは約十二分。缶コーヒーでも飲んで来たのだろうか。それなら娘の分も買って来ればいいのに。
二十一時頃、吹田SAを出発。次は岸和田SAで夜食を取ることにしよう。
吹田ジャンクションで右側の近畿自動車道に乗り換える。乗り換えずに真っ直ぐ行けば京都、滋賀方面だ。そういえば、滋賀県彦根城には兜を被った猫の御当地キャラクターがいたよな。かなりの人気者でキャラクターグッズも多かったはずだ。
俺はバックミラーで、ずっと仏頂面で窓の外を眺めている少女の横顔を眺めた。もし明日の朝、彦根城に立ち寄ればこの少女は喜ぶのであろうか。しかし、車は近畿道を南下しており、目的地以外に立ち寄ることは無いだろう。柄にも無いことを考える事は無い。最後の仕事だから気が緩んだのだろうか。
隣の親爺は退屈そうに生欠伸を噛み殺し、背後の女はすでに舟を漕いでいる。この三人の家族が何の為に目的地へ向かうのか知らないが、このまま何事も無く仕事を終えれたら幸いだ。
車外の風景を見飽きたのだろうか、少女がシートに深く腰掛け目を閉じた。そのまま眠るつもりだろうか。
俺の相棒である207SWのベーシックモデルである207は乗り心地を「固い」と評されることもあったが、207SWでは改善されており猫足の名に恥じないものとなっている。また、後部座席は一番高級なシートに交換してあり、見た目は標準仕様と同じファブリックと変わりないが、幾分か柔らかく作られており長時間の搭乗にも疲労を感じさせないようにした。
後は運転手の配慮次第。プジョー207SWは近畿道を時速九十キロで走行している。
時折、背後の車が時速百キロ以上で抜かして行くが、それにムキになるほど若くもない。運び屋がスピード違反で捕まっては、コメディ映画の悪役になってしまう。
近頃は映画の影響で運び屋はスーツを着て外車を乗り回していると想像している奴らもいるだろうが、実際は目立たず軽トラやハイエースで輸送するのが一番正しい。
俺がスーツを着てプジョーに乗っているのは、服装を考えるのが面倒臭く、日本車より個性の強いコンパクトな外車が好きだからだ。
以前はメルセデスベンツのA190に乗っていたんだぞ。個性的で気に入っていたのだが、横から追突されて廃車となった。
しかし、さすがはベンツ。運転手は怪我も無くピンピンしている。
松原ジャンクションで近畿道から阪和道へ移る。荷物の三人は完全に眠っており、車内はとても静かだ。
金曜日の晩だからだろうか、平日の阪和道は、車両の通行量が二十一時を過ぎれば少なくなるのだが、今日は結構多い。単身赴任のサラリーマンが家族の下に帰るからなのかと、自分に無縁な世界を想像する。
だが、どうしてもマイホームパパの姿が思い浮かばない。結局、隣で眠っている親父のほうが、社会人としては上なのかもしれない。
岸和田SAに二十一時四十五分到着。少しペースが遅いが配達指定時刻の明日十時まで時間はかなり空いており、実際、時間つぶしの方法に頭を悩ましているほどだ。
とりあえず荷物には食事に出てもらうこととする。二十四時間営業のフードコートもあることだし、食事に不満を抱かれることは無いだろう。ただし、俺は残念ながら、不測の事態に備えて売店でサンドイッチを買って、車内で食べることとする。
「起きろ、ここで食事にする。時間は三十分だ。俺はすぐ車に戻るから、何かあった場合は携帯電話へ連絡するか、何とかして車まで走って来い」
三人はのろのろと体を起こして車外に出る。
春とはいえ、この時刻はまだ肌寒く、少女が薄茶色のブレザーの前を左手で掻き合わせて震えた。しかし、と俺は少女を数人のSA利用客が背中越しに顧みるのを目の端に捉えながら思った。
この時間帯に制服姿は、ひどく場違いではないのだろうか。
SA内のコンビニで俺は中華サラダサンドとペットボトルの玄米茶を購入する。出来ればミックスサンドかハムサンドが食べたかったのだが、売り切れてでは仕方がない。初めて中華サラダサンドを食べるのだが、一見すると、これに三百二十円の価値があるとは俺には思えなかった。
フーズエリアを通りかかった際、テーブルで向かい合ってラーメンを食べている荷物の親爺と女を見掛けた。
親爺は携帯電話に向かって身振り手振りで話しかけているが、俺には会話までは聞こえず、ラーメン鉢の前で踊っているようにしか見えない。女は女でラーメンを啜る度に飛び散るスープが気になるのか、啜っては跳ね返って顔に付いたスープを拭い、また啜っては同じことを繰り返していた。顔に厚塗りしたファンデーションが剥がれないのだろうかと気にはなったが、見て目が潰れても困るので、さっさと車に戻ることにする。