表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
運び屋の季節  作者: 飛鳥 瑛滋
第二話 1年目 春 五月
47/196

三章 青い空と緑の大地の祝福を(7)

 湖乃波君はベーグルのサンドイッチとプレーンのベーグルをそれぞれ一個ずつ、カテリーナと美文君に渡した。御手拭用のウエットティッシュはみんなが取りやすいようにテーブルの中央に置いておく。

「いただきます」

「はい、おあがりなさい」

 湖乃波君は自分のベーグルサンドのラップを剥がさずに、じっと二人がサンドイッチを口にする様子を見つめている。

 カテリーナはベーグルサンドを一口齧ると味わう様に目を閉じて咀嚼していたが、口の中の分を嚥下すると嬉しそうに目を細めた。

「美味しい。粗く刻まれたトマトとベーコンが甘くて良い。それにレタスとアスパラも柔らか過ぎない様に食感を残しているから食べ易い」

 レタスやアスパラなどサンドイッチに挟まれる野菜が柔らか過ぎると、サンドイッチを齧った時に噛み切れずに抜け出てくるときがあるからな。

「そうですね。ベーグルだけでも甘くて美味しいですよ。弾力があって食感がいいです」

 美文君からも昼食の出来栄えについて合格点を頂いた湖乃波君は、小さな体を更に小さくするようしてベーグルサンドを食べ始めた。

「これ野島さんの手作りですよね。家でもよく料理をするんですか」

「ほぼ毎日ですね。日曜日の晩は二人で次の日の弁当も作ってますよ」

 恥ずかしいのか、うまく答えられなくなった湖乃波君に変わって俺が答えた。ますます美文さんが感心したように湖乃波君に目を向ける。

「すごいですね。私なんかほとんど毎日、コンビニの惣菜ですよ。いいなあ」

 頼まれなくても、毎日専業主夫として通いますよ。と言い掛けるのを辛うじて堪える。

 折角、湖乃波君と俺の株が上がったところを台無しにするのは避けるべきだ。

「ほら、ママ。野島さんがせっかく作って来てくれたから、一口でも食べようよ」

 カテリーナが右頬をテーブルに付けて寝入っている理事の僅かに開かれた口元にベーグルサンドを近付ける。

 唇に触れてから暫くすると形の良い唇が閉じられ、もきゅもきゅと音を立てた。

 おいおい、寝惚け乍ら食べてるよ。

「ん―—」

 理事長はむくりと身を起してから暫くの間動きを止めていたが、カテリーナの手にしたベーグルサンドへ目の焦点を合わすとポツリと呟いた。

「……美味しい」

「お帰り、ママ」

 富樫理事はカテリーナからベーグルサンドを受け取り食事の続きを始める。

 学校での彼女の印象からは想像つかないよな、この姿。まあ、その気だるげな感じも色気があっていいのだが。

 湖乃波君はベーグルサンドが好評だったことに安心したのか、そんな彼女達の食事風景を今は優しげな眼差しで見つめている。その瞳に僅かな憧憬が混ざっているように感じられるのは俺の気のせいか。

 食事を終えて再び眠りに付いた理事はそのままに俺達は食事後の雑談を楽しんだ。

 湖乃波君も美文さんやカテリーナに話しかけられると首を上下に振って相槌を打つだけだったが、最初のどこか警戒した(かたく)なな様子は無く、少しは打ち解けたようだ。

 話題は何故か俺の服装についてだった。

「でも黒スーツにサングラスと黒手袋は、警備の人達も警戒しちゃいますよ」

「いやいや、仕事上、いろんな処へ出入りするんで失礼の無い様にスーツを着てるんですけどね」

「まるでフランシス・コッポラかタランテイーノの映画みたい」

 カテリーナは有名な映画監督の名前を挙げた。先程のレザボア発言といい、映画好きなのか?

 いや、ほんとにスーツはどこに出入り出来て便利なんだよ。ポケットも多いから武器も隠せるし。

「洋服ダンス代わりのロッカー、白いカッターシャツと黒いTシャツとトランクス、スラックスしかないよ」

 湖乃波君の指摘に他の二人は呆れたような表情を俺に向ける。

 おいおい、服を選ぶのは面倒臭いんだ。迷わないから時間の節約にもなるぞ。第一、ダイ〇ーに行けばカッターシャツなんか五百円だぞ。家計に優しいだろ。

 当たり障りのない会話をただ何と無く続けている。普段は運び屋をしているせいか、他人とこんな会話をすることはない。

 以前は依頼人との会話すら煩わしかったのだが、湖乃波君と日々を過ごすようになったからであろうか、多少は相手に合わせて会話を続ける努力をするようになった。

 湖乃波君と俺はお互い多くを語る人間ではない。

 最初の一週間は俺の質問に湖乃波君が首を縦に振るか横に振るかでコミュニケーションを取っていた。俺は別にそれでも不自由は感じなかったのだが、湖野波君は違ったようだ。

 最初は料理から始まり、買い物や洗濯等の家事もこなす様になった。それは俺の保護者としての能力があまりにも低過ぎた為、そうせざるを得なかったかもしれないが徐々に日々の暮らしにおいて彼女の役割が増えていったのだ。

 それにしたがって湖乃波君との会話も増えていった。最初はスーパーで何が安かったとか、あれが安かったから今日の料理はこれだとか、彼女独特の、ポツリポツリと区切った口調で夕食時に話しかけてきたのだが、今では「疲れてるのは、判るけど、カッターシャツとスラックスのまま寝ちゃうと、皺になるんだ、よ」と、ソファに寝転んだ俺を両手を腰に当てて、むーと唇を尖らせながら注意するようになってきた。

 いつかは学校での物事を嬉しそうに話す日が来るのかもしれない。

 正直言って、一緒に暮らし始めてもうすぐ二箇月になろうとするが、彼女の成長のほうが、俺の保護者としての成長よりはるかに早い気がする。

「そろそろ閉園時間ですね」

 ぼんやりと会話を続ける彼女らを眺めていると、俺はいつの間にか眠ってしまったらしい。美文さんの声で目が覚めた。

 五月日中の日差しは既に夏と言って差し支えないぐらい眩しいものであるが、新穂高や水晶山に挟まれた六甲山牧場の夕刻の風は心地よく優しげなものに感じられた。

「じゃあ、帰るとするか」

 結局、持ち帰り用のワインボトルも飲んでしまい完全に潰れている理事に肩を貸した。

 ここが夜中のバーなら送り狼にでもなるのだが、そうは世の中上手くいかないものだ。今後に期待しよう。

 駐車場に停めてあるトゥインゴの後部座席に富樫理事を押し込んで俺は背後の三人を振り返った。

「じゃあ、帰りは美文さんが運転するんですね」

「はい、でも私はスピードを出すのが苦手なので、よく先輩から怒られるのです。後ろからもクラクションを鳴らされちゃいますし」

 そんな気がしてました。

「別に問題ありませんよ。このトゥインゴはゆっくり走っても様になる、そんな車なんです。癒し系とでもいいますか。だから気に病む必要はありません。むしろエンジンを労わってこの貴重な車を長持ちさせてほしいですね」

「それは先輩に言って下さい」

 美文さんはくすりと笑って眼鏡の奥の目を細めた。

 うん、いい笑顔だ。今日の俺の苦労の報酬は今の笑顔だな。

「野島さん、今日は有り難う。昼ご飯美味しかった。また、機会があったらピクニックに行きたいな」

 カテリーナは湖乃波君に微笑むと、長身を屈めてトゥインゴに乗り込もうと背を向けた。

「あの……」

 湖乃波君がその背中に聞き取りにくい、しかし、いつもより大きな声で声を掛ける。

 その両掌に握り締められたバスケットケースの取っ手がギュッと音を立てる。

 身を起して振り返ったカテリーナの足元を見つめて、湖乃波君は意を決したように早口で、途切れ途切れに話し始めた。

「私、も、美味しいって言ってくれて、とても、嬉しかったです」

「うん」

 カテリーナは頷いて、その湖乃波君を見守るように優しく見つめた。

 カテリーナと湖乃波君は似た者同士だ。だから、カテリーナには湖乃波君が、今、どれだけの勇気を振り絞っているのか解るのだろう。

「私は、作った料理を食べてもらうのが、その、ママと狗狼以外は初めてだから、美味しく出来ているか解らなくて、でも美味しいって言ってくれて、あの、とても嬉しいです」

 美文さんも俺も口を挟まず、ただ湖乃波君の言葉を聞き続ける。これは彼女の自ら踏み出した一歩、これから生きて行く上で何度も繰り返す一歩だ。

 そして、昔、俺が踏み出さなかった一歩でもある。

「あの、その、私は、普段、食堂で昼ご飯を食べてるんです。でも月曜日は、日曜日に狗狼とお弁当を作って、それを食べているの。富樫さんも、食堂で、他のお友達とお昼御飯を食べているけど」

 湖乃波君は、此処で息を吸い込みゆっくりと吐く。

 意を決した様にカテリーナの緑色の瞳を見上げた。

 夕刻の風が湖乃波君の結わえられた黒髪とカテリーナの鮮やかな金髪をなびかせる。

 湖乃波君は次の一言を言い終えて、優しい微笑みを浮かべた。とても嬉しいと、そんな思いの詰まった微笑みだった。


「良かったら、月曜日、一緒にお弁当を、食べませんか」

 



                         

                         運び屋の季節 1年目 春 五月 完

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ