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運び屋の季節  作者: 飛鳥 瑛滋
第二話 1年目 春 五月
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三章 青い空と緑の大地の祝福を(6)

                       3


 丘の中腹まで下ると湖乃波君とカテリーナの並んでしゃがみ込んでいる背中が見えた。寝そべった羊の腹を二人で掻いている様で、羊が気持ちよさそうに全身の力を抜いて完全にだらけきっている。

 俺は羊を驚かせないように足音を忍ばせて二人の背後から近付いた。羊が驚いて立ち上がると二人が怪我をするかもしれない。

「野島さんって、いつも独りだよね」

ふとカテリーナの呟きが俺の耳に入り、俺はつい足を止めてしまった。

 湖乃波君の手が一瞬止まるが、直ぐ何事も無かったかのように作業を再開する。

「私も此処に来てからは暫く一人だったの。ただ私のママが理事長って解ると、いつの間にか取り巻きが出来ていた。私が友達になろうと話しかけてもいないのに、何故か集まって来て。私はそんなに偉い訳でも、人の為に何かしたわけでもないのに」

 俺から見ても、彼女は、カテリーナは遠目でもかなり目立つ。

 ブロンド、長身、深い緑色の瞳と多分同年代の少女からすれば憧憬、崇拝するべき対象なのだろう。しかもあの学校に通うとなると頭は良いに違いない。

「三学年の終わり頃には女帝扱い。私もそれに応えるように振る舞うしかなかった。とても堅苦しい模範的生徒を演じ続ける。ママに迷惑を掛けたくなかったし」

 カテリーナは羊のお腹を見つめたまま手を止めて話し続ける。

 湖乃波君は羊のお腹を掻き続けているが、それは傍目にも気の入っていない機械的な動きと判るものだった。

「家でも歳の離れた三人の兄がいるけど、一緒に居ると会話のひとつひとつにも気を使わないといけなくて、息が詰まりそうになる。唯一、ママだけが気兼ねなく話せるの」

 湖乃波君がカテリーナの横顔を不思議そうに見つめる。

 何故、家族なのに一緒に居ることが辛いのか、それを疑問に思っている様だ。

「あの、一緒に、いることが辛いのかな? 私は、すごく羨ましいよ」

「だよね。でもね、私は養女なんだ。フランスで一人になった私を、将来一番下の兄と婚姻させるためにパパが引き取ったの」

 困惑して眉を寄せる湖乃波君。彼女は、どう言葉を掛ければ良いのか解らないようだ。

 中学生でしかない湖乃波君には、カテリーナの境遇に対して差しさわりの無い言葉を返すには人生経験が圧倒的に足りなさ過ぎる。

「だから授業が終わり、学校が閉まるまでの二時間。図書室で授業の予習、復習をしたり、本を読んだりするのが唯一の楽しみだった」

 カテリーナの告白に湖乃波君の表情が僅かに動いた。彼女は何かに思い当たったようだ。

「うん、そう。野島さんは二年の四月から図書委員をしていたから知っているよね。下校の鐘が鳴り響くぎりぎりまで粘っていたから。野島さんは、よく本に熱中してて下校の鐘にも気が付かなかったけど」

 湖乃波君の顔が赤くなる。

 今でも料理をしていると周りの物事が目に入っていないことがたまにある。何事にも真剣なのが湖乃波君らしい。

「だから、去年の夏から徐々に姿を見せなくなって、今年から殆ど図書室で姿を見掛けなくなった時、すごく心配したんだ。ずっと声を掛けたかったから」


 カテリーナは言葉を止めた。彼女は虚空を見上げて、息を、吐く。

 カテリーナにとってそれは己の本心を明かすための儀式だったのか、それから彼女は湖乃波君の横顔を見つめる。

「私は夕方の図書室で野島さんを見て、ああ、綺麗だなって思ったの。夕日に浮かんだ黒髪とか目に焼き付いて」

 湖乃波君はカテリーナを見て慌てて顔の前で手を振る。

 きっと貴女ほどじゃないとでも言いたいのだろう。

「私は、そんな、綺麗じゃ、無いし、その」

「その、私もどう言えばいいのか解らないけど、その、学校での私と違って、服装もこんなのだし、驚いているかもしれないけど、私は行動的な自分を目指しているから」

 二人とも黙ってしまったので俺はそっと二人の背後から離れた。

 取り敢えず助け舟を出すべきかどうか。あの二人はきっと似た者同士なのだろう。

 俺は丘を大回りして、二人の前にゆっくりと丘を上がって行った。

 先程の会話は聞かなかったことにしよう。

「二人とも、そろそろ弁当にしようか。早くしないと飲兵衛の理事が潰れちまうぞ」

 二人とも顔を上げると同時にホッとした様な表情を浮かべた。お互いどうすればいいのかまだ判断がつかないのだろう。

「もう、ママは何してるの?」

 照れ隠しか、憤然と立ち上がってチーズ館に向けて歩き出したカテリーナの後を、湖乃波君もバスケットケースを片手に追って行った。

 寝そべったままのヒツジは二人の会話にどんな感想を抱いたのであろうか。

 全てを聞いて、敢えて何も語らず、何も干渉せず草を()み続けるのだろうか。

 そんな生き方を俺は望むが、きっとそんな境地に達することは出来ないであろう。せめてサングラスでも掛けて表情を読まれ難くするのが、俺の世界に対する抵抗なのだ。

 俺達三人が富樫理事の元へ戻ると、一人の酔っ払いがテーブルに突っ伏していた。

「遅ーい。チーズとワインでお腹が膨れちゃったわよ」

 富樫理事は半ば夢の国に入り込んでいるのか、間延びした口調で俺達を非難した。

 テーブルの上に転がる空のボトルと、跡形も無くなっている神戸チーズ及びチーズフライ。

 お腹が膨れるのは自業自得だろう。

「先輩、ホラ起きてください。みんなでご飯を食べに行きましょう」

 美文さんが理事の両肩を持って優しく前後に揺するが、理事はテーブルから顔を上げなかった。

 カテリーナはしょうがないなあと苦笑して理事の隣に腰掛ける。

「ママはこうなったら中々動かないから、三人で食べに行ってて。私はママが目覚めてから食べに行くから」

 そう言われて、はい、そうですかと置いて行ける性格ではないのだろう。美文さんは困惑したように俺と湖乃波君を助けを求める様に見た。

 普段の俺なら放っておいて、さっさと食べに行くのだが、今日はその問題を解決出来る用意が湖乃波君の手に中にある。

「あの、お昼は弁当を用意して、来たから。良かったら、一緒に食べてくれるかな」

 おずおずとテーブルの上に置いたバスケットケースの蓋を開いた湖乃波君は、自信無さげにうつむいた。

 バスケットケースの中にはベーグルBLT(ベーコンレタストマト)アスパラサンドが五個と何も挟んでいないベーグルが五個並べられていた。トマトソースが垂れないようにラップで包んでいる。

「ホント、ありがと。すごく助かる」

 カテリーナの表情が明るくなり湖乃波君の両手を取って上下に振った。

「う、うん」

 圧倒されている湖乃波君。美文さんもほっとしたように一息吐いて笑みを浮かべる。。

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