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運び屋の季節  作者: 飛鳥 瑛滋
第二話 1年目 春 五月
44/196

三章 青い空と緑の大地の祝福を(4)

                     2


「で、これからどうする」

 俺の問い掛けにカテリーナは湖乃波君の手を取って北入場口に歩き出した。

「あ」

「野島さん、羊を触りに行こう。もふもふよ、もふもふ」

 まあ、湖乃波君は引っ込み思案だから多少強引な子の方がいいかも知れない。それに湖乃波君も動物は好きで、散歩中の犬を時々撫でていたりする。

 大人達も二人に遅れないようにやや歩調を速めて受付を潜る。

 入場料は大人五百円、子供二百円。入場料が安いから休日の家族サービスにはもってこいの場所と言えよう。

「ところで富樫さんも羊を触りに来たんですか?」

 美文君なら似合うかもしれないが、この人がやるとジンギスカンの食肉探しになりそうな気がする。それはちょっと失礼か。

「違うわよ。私はチーズとワインを楽しみに来たの」

 富樫理事は受付横の六甲牧場MAPに南エリアを指差した。

 そこには【六甲山Q・B・Bチーズ館】があり売店やらチーズ工場が紹介されていた。

「ここでチーズと神戸ワインを買って、野外でのんびりと味わうの」

 成程、俺か美文さんは帰りのドライバー役で声が掛かったわけだな。

「先輩、今日は思いっきり飲んで帰るつもりですね」

 美文君は何かを諦めたかのように肩を落として呟いた。

「私も少しは飲みたいんだけどなァ。運転しないといけないし」

「大丈夫、二時間くらい此処で寝ていたら、アルコールなんか抜けるわよ」

 此処、午後五時には閉まるんですけど、いまちょうど十二時だから直ぐに酒盛りを始める気ですか。

 とんでもなくフリーダムな理事を半ばあきれながら見返しつつ、俺はどうしようかと考えた。

 子供ら二人と羊見物としゃれ込む。これは却下。

 子供同士で楽しもうとしている所へ水を差すように割り込むのは良くない。

 ここは子供は子供同士、大人は大人同士で有意義に休日を楽しむべきだ。

 結論。美女二人と休日を楽しむ。

「湖乃波君、俺は二人と一緒にくつろいでいるから、君はカテリーナ君と一緒に羊やウサギと戯れてなさい。あ、バスケットは邪魔になるから俺が持っておこう」

 湖乃波君は俺にバスケットケースを渡す際、来ないの? とでも言う様に首を傾げて俺を見た。

 俺としては勘弁してほしい。子供を連れて牧場を散歩するのにも抵抗があるのだから、羊と戯れて遊ぶ趣味なんかないことぐらい察してくれ。

 もし俺が嬉しそうに羊の毛をもてあそんでいたらかなり怖い光景だ。

 黒背広のサングラスを掛けた男が羊に対して嬉しそうにするんだ。きっとそいつは女性にプレゼントする毛皮のコートの事しか考えていないぞ。

 俺はそう言って湖乃波君の誘いを断っておく。

 湖乃波君は僅かに俯き、「そう、だよね」と言ってそれ以上は俺に無理強いする事も無く、一時間後にQ・B・Bチーズ館の傍で昼食を取ることを取り決めてカテリーナと「羊ふれあい広場」へ歩いて行った。

 大人達はQ・B・Bチーズ館一階の売店で神戸チーズとチーズフライと呼ばれる棒チーズを揚げたもの、ワイン、しかしワインを嗜むのは一人だけで俺と美文君はそれぞれ炭酸水とオレンジジュースを購入して売店前に並べられた白い円テーブルの前に腰掛ける。

「それじゃ、さっそく頂きますか」

 富樫理事はワインボトルをテーブルに置いていそいそと包装を解きに掛かったが、ワインボトルの口が露わになると、ピタリ、とその手が止まった。

「しまった」

 小さく理事が呟く。

 美文さんと俺は顔を見合わせてからどうしたのかワインボトルを覗き込んだ。

「先輩、どうかしたんですか」

 ゆっくりと理事の顔が上がる。無念そうに一言二言、区切るように説明した。

「これ、コルク。開けられない」

「……」

 美文さんと俺は二人同時にため息を吐いた。

 ワインを飲むつもりなら、せめてコルク抜きくらい持ってこようよ。

「どうしよう、美文。私の今日はここで終わったのよ」

「そんな大げさな」

 暗い顔をして落ち込む理事を慰めるようにわざと明るい表情で元気付けようとする美文君だが、どうやら効果は無いようで、理事はいじけた様にテーブルのワインボトルを転がし始めた。

「はーあ、空手家でも辻斬りでもいいから、これを開けてくれないかな」

 二階のレストランでコルク抜きを借りるという発想がこの人には無いのであろうか。

 それにいちいち借りに行かなくても別に良いものを俺は常日頃携帯している。

 俺は背広の胸ポケットからビクトリアノックスの多機能折り畳みナイフ【マネージャー】を取り出した。その中かららせん状に曲げられた鉄棒を起こす。

「富樫さん。ボトルを貸してくれないか」

 富樫理事と美文さんの視線が俺の右手に集まる。

 ビクトリアノックス【マネージャー】は缶切りやプラスとマイナスドライバ、やすり、そして今起こしたコルク抜きが備わっているが、それに加えて刃渡り六センチ程のナイフも付随している。

 今の日本では刃渡り五センチ以上のナイフは携帯することが制限されており、人目に触れることはあまり良くない。しかし、せっかく持ってきているのに使わないはおかしくもある。

 さて、この目の前の二人は教育者だからどんな反応を見せるか。警察でも呼ばれなければよいが。

「ナイスよ、乾さん!」

「……」

 それでいいのか教育者。

 俺はワインを体温で温めないようにワインボトルをハンカチで巻いてからしっかりと掌で支えた。コルク抜きを傾けた状態でコルクに刺すと途中でコルクが割れる恐れがある。

 コルク抜きをしっかりと刺し込んだ後、息を止めて一気に引きぬくと小気味のいい音と共にコルクが抜け出てきた。

 富樫理事と美文さんが何故か拍手をしてきたので(うやうや)しく一礼して富樫理事の紙コップにワインを注ぐ。

「有り難う。それでは改めて」

 紙コップが傾き、富樫理事の白い喉が蠢動する。

「ぷはー。美味しい」

 ビールを飲んだ親爺か、あんたは。

「さて、次は」

 富樫理事はテーブルの中央に鎮座するカマンベールチーズを少しの間意味ありげに眺めてから、乾さん、と生真面目な口調で声を掛けてきた。

「これを等分すればいいんですね」

「ホント、助かるわ」

 俺は【マネージャー】を胸ポケットに仕舞ってから、背広の左懐のポケットに右手を突っ込み、中から折り畳みナイフを取り出した。

 カマンベールチーズの塊を切るには。ビクトリアノックスの六センチ程度の刃では短いと判断したからだ。

 折り畳みナイフは黒い樹脂の柄尻に行くほど細くなるグリップで、その中から引き起こされた刃は刃渡り十一センチほどの諸刃の短剣のような形状をしている。

 このナイフはアメリカの老舗ナイフメーカー「ガーバー」より世界初の戦闘用折りたたみコンバット・フォルダーナイフで、名を【アップルゲート・コンバットフォルダー】という。

 当然、必要もないのに持ち歩くのは法律違反だ。

 しかし富樫理事も美文さんもそんなことを気にしていないのか、六等分に切り分けられる円形のチーズを子供のように目を輝かせて見降ろしていた。

 俺は六等分に切り分けたカマンベールの一切れを口に運ぶ。

 うむ、口の中で溶けて程よい酸味と甘味が同位している。これは美味い。

 テーブルの向かい側では富樫理事もカマンベールチーズを一口かじり、ワインを口に含んで堪能していた。

「……」

 その光景を美文さんが意味ありげに眺めている。

「どうしてでしょうね」

「はい?」

「同じカマンベールチーズを食べているのに、何となく敗北感があるんです」

 それは同感だ。

 俺は自分の手元の紙コップに注がれた炭酸水に目をやった。そして美文さんの手元の紙コップも見る。オレンジジュースの甘い香りが漂っている。

 そして富樫理事。ワイン。幸せそうだ。

「……」

 せめてジンジャーエールぐらいは欲しかったよな。

「飲んだら、乗るな。だよな」

「ですね」

 チーズフライをかじる。ジンが飲みたくなってきた。

「しくしくしく。ビールが」

 隣の美文さんも同感のようだ。

「どうしたの二人共。食べないの?」

 にこにことカマンベールチーズとチーズフライをこちらに押しやる富樫理事。

 解ってやっているんだろうと言いたくなるほどの善意だ。

「先輩、酷い」

「何で!」

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