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運び屋の季節  作者: 飛鳥 瑛滋
第二話 1年目 春 五月
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二章 女傑理事と金髪の小悪魔(7)

                        3


昼食(ひる)はサンドイッチを作ろうと思うんだけど、いい?」

 トーホーストアで朝食用のトーストを選びながら湖乃波君が躊躇いがちに訊いてきた。

「ああ、いいね。食材は現地調達。その場で(さば)いて、その場で焼いて、その場で食べる。ジンギスカンのサンドイッチとは贅沢だな」

「……」

「冗談だって。そんな顔で睨むな」

 休日の六甲山牧場は家族連れでかなり賑わっている。しかし飲食店は北側のバーベキュー&レストラン「シープベル」とレストハウス1F売店、南側の「レストラン神戸チーズ」、「ベーカリー&カフェ・デルパパ」ぐらいでお昼時となるとかなりごった返す。

 以前、観光客を連れて行った時など四十分ほど席が空くまで待っていたから、弁当持参で寛いで食事を取るのは妙案と思う。

 湖乃波君は明日消費することが決まっている事から、賞味期限の近い割引価格の五枚切りを選んで買い物かごに放り込んだ。うーむ、しっかりしているよな。

「前に、旅館で作ってくれたBLTサンドを、作りたいの。ご飯の後、教えて、くれるかな」

 もう少し気楽に教えてっと言えばいいのに、湖乃波君は教えを乞う時には何時も遠慮がちに尋ねてくる。

 まだ共に暮らし始めてひと月だから、そこら辺は日が経つにつれて変わっていくものだろうか。

「駄目?」

「料理を教えるのを断った事は無いだろう。湖乃波君のレパートリーが増えると、夕食の楽しみが増えて俺は嬉しい」

 湖乃波君の顔が明るくなるが、直ぐに俯いて生鮮食売り場へ早足で移動する。

「私は、まだまだだよ」

 世の中には米を洗剤で洗うという馬鹿な話も出回っているから、そこら辺は誇っていいと思うぞ。ほぼ毎日夕食を作るのは大変なものだからな。

「ベーコンはサンドイッチ以外にも使えるから三パックセットだね。トマトはサラダ用に二個あるのを使おっ」

 何故か早口になる湖乃波君の後姿を眺めながら、俺は折角のドライブだからもう少し凝ったものを作って、理事母娘や受付嬢が湖乃波君に一目置くようにするべきか、それとも差しさわりのないBLTサンドにするべきか迷っていた。

ただパンに挟んだだけにならないように何かいい手は無いか。

「パンを焼くか」

「え?」

 俺のつぶやきが聞こえたのか、湖乃波君は一個七〇円のレタス見切り品を抱えて振り返った。

「いや、折角だから明日のサンドイッチは手作りのパンを使ってみようか」

「出来るの?」

「出来る。それほど手間のかからないパンの作り方を教えてあげよう」

 コクコクと湖乃波君は頷いて期待に満ちた目で俺を見上げた。

 ホントにこの子は料理が好きなんだなと思う。

「じゃ、食パンを売り場に戻して。代わりに東急〇ンズで小麦粉と酵母菌を買って行こう」

「うん、でも安いから今日買って、冷凍室で凍らせて保存しておくね」

 東急ハン〇ではいろんな種類のパン用小麦粉が販売されており、その中のひとつ「ハルユタカ」は弾力のあるパンを作るのに適している。

 東急ハ〇ズ2Fの調理器具売場に来た俺達は、ハルユタカと白神こだま酵母ドライ、米飴を購入した。  

 米飴は和菓子などでよく使われる甘味料のひとつで、砂糖とは違い素材の味を損なわない程よい甘さが特徴である。

 湖乃波君は売り場の様々な調理器具を眺めていたが、ステンレス製の500CCまで計れる計量カップの前で立ち止まった。

「それがあるとけっこう便利なんだな。湯煎にも使えるし、割れる心配が無いのはとてもいい。買うかい?」

「でも、ちょっと高い」

 値札とにらめっこ。

「あれば毎日使うだろ。此処はひとつ、将来への投資ということで」

 俺は陳列棚から銀色に輝く計量カップを二個取り上げ、レジに向かう。

 清算を済ませた後、計量カップを受け取った湖乃波君の瞳は、計量カップのステンレスの光沢に負けないくらい輝いていた。

 自宅の倉庫に帰り着きトマトやレタスなどの食材と小麦粉などの材料をテーブルに並べる。

 夕食は湖乃波君が早く作りたそうなので、予定していた麻婆豆腐は明日の晩に回すとして、出来上がったパンを食べることにした。

「自分で、パンを焼いて食べるのは初めてだから、とても楽しみ。うまく作れるといいね」

 湖乃波君は自分用のエプロンを身に付け乍ら言葉通りとても楽しそうだ。

 小麦粉が飛び散るといけないので学校のジャージに着替えて貰っている。

 勿論俺は白のカッターシャツと黒のスラックス。黒のエプロンを身に付けている。

「これは信州長野県の会員制旅館赤羽屋で教えているベーグルの作り方だ。他のベーグルの作り方と材料が異なるのでちゃんとメモをして取っておくように」

 俺は小麦粉【ハルユタカ】六百グラムをふるいにかけて滑らかにしておいてプラスチック性のボールに移した。

 湖乃波君にはリンゴジュース三百二十CCを、買ったばかりのステンレス計量カップに注いで貰い、湯煎に掛けて三十から三十五℃になるまで温めてもらう。

 この温度なのは熱くし過ぎると酵母菌が死んでしまうし、低すぎるとうまくパン生地の中で発酵してくれないからだ。

 次に白神酵母ドライ六グラムをカップに移して、それに温めたリンゴジュースの内、三十六CCを注ぐ。通常五分ほどで発酵して膨れてくる。

 残りの温めたリンゴジュースには米飴大匙四を加えて溶かしておくこと。こうしておくと強力粉ハルユタカと混ぜ合わせた時、米飴が塊になるのを防げるのだ。

「すごい、本当に膨れてきた」

 カップの縁ぎりぎりまで膨れてきた白神酵母ドライを見て、湖乃波君が感嘆の声を上げた。彼女にとっては作業一つ一つが初めてで興味の対象なのだろう。

「学校の調理実習でパンは焼かないのか」

「クッキーぐらいならあるけど。調理実習はそんなに凝ったものは作らないよ」

 ハルユタカに小さじ二杯の塩と発酵した白神酵母ドライを入れて混ぜ合わせる。

「このとき、塩と酵母菌は別々の位置に入れる事。塩の塊に酵母菌が触れると死ぬことがあるからね」

 パン捏ね用のリンゴジュースを少しずつハルユタカに加えながらヘラでかき混ぜる。リンゴジュースを注ぎ終えてある程度固まると、弾力が出てくるまで手で捏ねる。

 これは湖乃波君にやってもらう。

「パン作りって、けっこう大変だね」

「表面が滑らかになるまで、潰しては捏ね、潰しては捏ねの連続だからな。その作業が無いとパン生地が膨れないんだから仕方がない」

 弾力が出てパン生地が滑らかになると、三十分ほど置いて発酵させる。つまりパン職人の休憩タイム。

「手が、手が震える」

 湖乃波君は俺が淹れた紅茶を飲もうとして、カップの取っ手を掴もうとするが指が震えて悪戦苦闘している。

 うーん、ベーグル八個分はちょっと初心者にはきつかったかな。

「次は俺が捏ねるよ」

「まだ捏ねるの」

「安心しろ、男は大人になると捏ねるのが上手くなるんだ」

「?」

 湖乃波君の表情を見る限り、その意味は解らないようだ。あの齢で解られても困るが。

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