二章 女傑理事と金髪の小悪魔(5)
富樫母娘と連れ立って学校内の駐車場まで歩く。
こうして理事と一緒にいれば不審者と間違われないだろうとの配慮らしいのだが、俺としては「あんたは何もしてなくとも不審者だ」と暗に言われている様で面白くはない。
裏門を抜ける時、警備員詰め所の門番とその相方は、理事である富樫さんとその娘であるカレリーナには恭しく一礼していたが、湖乃波君が通り過ぎ俺も続いて抜けようとしたとき「待って下さい」と右掌を突き出して俺を制止した。
「何か?」
「この用紙に出て行った時刻を記入して下さい」
苛立ちの混ざった俺の視線など意に介さないのか、警備員詰所の門番は俺が此処を訪れた時に記入した用紙の空欄をボールペンで指し示しながら要求する。
何となく高圧的なのは俺の気のせいだろうか。
「はいはい」
別に逆らう気も無いので素直に書いておく。あの受付嬢にまた会う為には、これ以上問題を起こすわけにはいかない。
「それじゃあ、また寄らして貰うよ」
フレンドリーに片手を上げて挨拶すると、門番と詰所の警備員は露骨に眉を顰めた。
くそ、詰所に胡椒を放り込むぞ。
湖乃波君達に僅かに遅れて駐車場に着くと、富樫理事は彼女の愛車であろう黄色の小型車の前で俺を待っていた。
「おっ、トゥインゴだ」
「あ、可愛い」
湖乃波君も、この独特の丸みを帯びたデザインをした小型車に興味を持ったらしく、優しい眼差しで眺めている。
「そう、このデザインが気に入っちゃったのよ。真っ正面から見た時の小動物っぽさにやられたのよね」
富樫理事はそう言って、トゥインゴの正面に回り込んで俺達を手招きした。
初代ルノー・トゥインゴ。全長三千四百二十五ミリ、全幅千六百三十ミリ、全高千四百十五ミリ。外観のみならずヘッドライトやドアノブ、速度などを表示するセンターメータなども丸い。
この小型車を作り上げたフランスのルノーは、昔、ラリーで活躍したルノー5ターボやFF車最速を誇るメガーヌ等の硬派なスピードモデルから、日本で目にすることの多いカングーやこのトゥインゴといった女性受けのするファミリーカー等の幅広い車種を展開するメーカーだ。
トゥインゴに積まれた直列四気筒千百四十八CCのエンジンは最高出力五十八PSと非力だが、車体が軽い事と小回りの良さから意外にもキビキビと走ってくれる。
発売された一九九六年頃は取り回しの良さより、エリートやKENZO、ベネトン等、ファッション性を重視したコラポレーションモデルが注目された。
「しかし、ここら辺は急な坂が多いからパワーが足りない時もありませんか?」
兵庫県神戸市は前方は海、後方は六甲山などの山に挟まれた地形なのでとにかく坂の上り下りが多い。少々設計の古いこの車では、母娘二人が乗るとかなり負担ではないだろうか。
「その時はエアコンを切って、根性で登りきってるわよ」
富樫理事は誇らしげに豊かな胸を張って言い切った。
オーバーヒートしてなければいいが。
「去年は鵯越の途中で湯気出したよね。いい加減、私は買い換えて欲しいんだけどな」
同乗する娘としては広い室内で寛ぎたいのか、カテリーナは呆れた様にぼやいた。
ちなみにカテリーナの言う【鵯越】とは、源平合戦で有名なあの鵯越である。
「ふ、ふん。私は可愛い車が好きなの。もし動かなくなったら次は三代目のトゥインゴを買ってやるから」
気の強そうな、というか実際に気の強い女性だろうが、車は可愛くないと嫌なのだろう。俺としては二代目のRSあたりが、この女豪傑には合いそうな気がするが。
三千六百十ミリのコンパクトな車体に千六百CCのNAエンジンを積んでいるから、素直な加速を楽しむことが出来る。
残念な事は初代や三代目と比べてデザインが普通だということだ。
「あなたの車は確か……」
「プジョー207SWです。同じフレンチカーですね」
俺は愛車である藍色のコンパクトワゴンを親指で指し示した。
全長四千百五十ミリ、全幅千七百五十ミリ、全高千五百三十五ミリの車体は曲がり角が多く狭いこの町の道路を速度を落とさずに曲がれるコンパクトさを持っているし、運び屋として必要な収納スペースにも余裕がある。
また直列四気筒NAエンジンの最高出力百五十馬力は同じ207SWのGTタイプと比較してもそれほど出力に引けを取ってはおらず、使い勝手は上々の車と言えよう。
富樫理事は腕組みをしてうーむと形の良い顎先に指を添えてプジョーを睨み付けていたが、いきなり、ポンと手を鳴らして俺を振り返った。
「よし、ドライヴに行きましょう」
「へ、いきなり何を?」
高らかに宣言する富樫理事を、俺は半ば警戒の混じった視線を向けた。
湖乃波君も同様のようで整った眉を僅かに顰めている。
「ここで知り合ったのも何かの縁だし、保護者として親交を深めていきましょうか。あなたには学校についてあれこれ説明が必要そうですし」
「いや、まあ、そうですけど」
確かに学校については一応書類に目を通したが大して頭に入っておらず、俺としては誰かに解りやすく説明して欲しいのも確かである。
気の強い美女が説明してくれるなら確実に暗記出来るぞ、きっと。
「そうね、美文も誘おうかしら。暫くあの子と出かけてなかったからね」
「運転手でも荷物持ちでも、何でも申し付け下さい、マダム」
隣では湖乃波君が、ものすごく冷たい視線を送っているのだが俺は気にしないぞ。
「カテリーナはどうするの」
え、ガキ連れですか。
「私も行くーっ!」
ちっ、遠慮しろよ。子供の寝る時間まで粘れというのか。
「野島さんはどうするの。行く?」
カテリーナが湖乃波君に近づきその顔を覗き込む。二人が並ぶとカテリーナは湖乃波君より頭一つ分背が高い。
「……行きます」
にこにこと笑いかけるカテリーナの顔を見つめた後、直ぐに目を伏せて湖乃波君は返事をした。
湖乃波君は人見知りはかなり強いのだろう。自分から話しかけることはあまりないかも知れないが、明日、押しの強そうなカテリーナと一緒に居たらある程度は打ち解けてくるかも知れない。
「よし、きまりー。ママ、六甲山牧場に行っていい?」
「六甲山牧場? まあ、別にいいけど。でも、最近丸ちゃん調子悪いから」
「丸ちゃん?」
「これの事」
富樫理事はぴっと傍らに佇むトゥインゴを指差した。まあ、結構年数経ってそうだしな。
いざとなったらプジョーには五人乗れるから、まあいいか。
非常に強引な富樫母娘により明日十一時、この学校の駐車場に集合することが伝えられた。
「じゃ明日、遅れないように」
「野島さん、また明日」
明日の再開の約束をして、彼女等はトゥインゴで走り去った。
駐車場を出た途端、勢いよく加速して見えなくなる。
「……」
「……」
俺は彼女等の乗った黄色い車体の後姿を見送っていたが、つい、その母娘に対する感想が口を吐いてしまった。
「……嵐の様な母娘だよな」
「……」
コクリ、と湖乃波君も頷く。




