二章 女傑理事と金髪の小悪魔(4)
警備員達の驚愕から憎悪に変わりつつある視線を平然と受け止めつつ一歩を踏み出した。
「ママー、まだ終わらないの」
警備員室のドアが開き、ひょこっと少女が顔を出した。ツインテールに結わえられた癖のあるブロンドと、深い緑の瞳が目を引く美少女だった。
「……」
思い出した。今ハッキリと思い出した。
去年の冬、フランスからのお客が来たので彼等と上手く交渉出来る様に、寛げる純和風の料理店を紹介して欲しいと依頼があった。
俺は依頼通り神戸市に北にある三木市の料亭を紹介すると、案内をするように仰せ付かったので運び屋の料金で彼等を目的地まで運んだ。その時通訳として同行していたのが、このブロンドの美少女だった。
一部の者しか知らないこの料亭は、こじんまりした日本家屋が複雑な路地の奥にあり、滅多に人が来ない事から、囲炉裏や釜戸のある空間で料理と日本酒を静かに楽しみたい者達からの予約が尽きない。
少女もフランスからの客人と共に但馬牛やアワビ等を行儀よく堪能したのだった。俺は別のテーブルでお茶だけを啜っていたが。
無事、料理と交渉を終え、依頼人とフランスからの客人を下ろした後、彼らの姿が見えなくなると、少女は後部座席で凝った肩をほぐす様に廻しつつ「あーっ、緊張したー」と天を仰いだ。それから席越しに身を乗り出して、此処でタクシーを拾うのも面倒だから家まで送れだの、途中でブティックに寄れだの、買った荷物が多いから持ってくれだの散々人をこき使った挙句、自宅に着く前に疲れ果てたのか、後部座席で寝息を立てて横になってしまった。
少女を何とか起こして自宅に送り届けた際、門の前で出迎えてくれたのが、この理事の女性だ。
「あっ、レザボア・ドッグス」
「なんだそりゃ」
少女ははっきりと俺のことを覚えていたらしい。
忘れてくれても構わないぞ。
「カテリーナ、もう少し待てないの」
「だって、ママはすぐ用事が終わるからって出て行ってから全然戻ってこないし。何で警備員室にこの人がいるの?」
カテリーナと呼ばれた少女は無遠慮に俺を指差した。
これこれ、いいところの御嬢さんが人を指差してはいかんよ。
「覗き魔だって」
「いや、不幸な事故だ」
少女に余計な誤解を抱かれぬよう、俺は即座に否定した。
覗き魔になるぐらいなら俺は堂々と見るぞ。俺はこれまでの経緯をこのマイペースそうな母娘に説明しようと口を開きかけた時、カテリーナの背後で警備員室のドアが勢いよく開かれ、和風ロッテ〇マイヤーさんと顔なじみの美少女が部屋に駆け込んで来た。
湖乃波君は警備員室をぐるりと見回してから俺と目が合うと強張った表情を僅かに和らげる。川田女史もほっと胸を撫で下ろすかのように一息ついたのは、俺が何故警備員室に連行されているのか、何処かの誰かから聞いたからだろう。
「あ、クール・ビューティ」
湖乃波君の姿を目にしたカテリーナがそう呟くので、俺は「知っているの」と小声で尋ねた。
「うん、時々廊下ですれ違って気にはなっていたんだ。私は一学年上だから中々会う機会が無かったけど、同じ図書委員だった子の話じゃ、綺麗で可愛い子だけど愛想は全く無いって」
なんとなく想像はつく。
湖乃波君は俺を抗議に満ちた視線で見つめると、つかつかと俺のすぐ前まで歩いてきて俯いた。これは怒られるのか。
だが、次に湖乃波君が口にした言葉は、俺の予想とは異なりか細く弱々しいものだった。
「駄目だよ、急に居なくなっちゃ。すごく、心配するよ」
湖乃波君の両手が俺のジャケットの袖を掴む。
俯いた彼女の表情は見えないが、その声が震えていることから俺には容易に想像出来た。
「本当に、すごく、先生と探したんだ」
湖乃波君のポニーテールに結わえられた髪の先端が揺れている。しゃくりあげるような所作に警備員達はばつが悪そうに視線を逸らした。
酷い事に俺は忘れていた。彼女が一人だということを。
この母親に先立たれ、叔父に見捨てられた少女にとって不幸なことに、頼るべき大人は俺しか居ないのだ。しかもその大人は裏の仕事を生活の糧としており、いつ居なくなってもおかしくないのである。
俺は仕事がら深夜によく帰ってくるが、時々トイレに起きて来た湖野波君と鉢合わせすることがある。ひょっとして彼女はずっと起きていたのではないか。俺が帰って来ると漸く安心して眠れるのではないか。
静かに泣く彼女を見下ろす。
全く、独りで生きることに慣れているから、そんな事にも気が付かなくなっている。
「ごめん、湖乃波君。本当にごめん」
もう、そうとしか俺は言えなかった。
その後、俺は理事である富樫久美とその娘であるカテリーナ・富樫の立会いの下、校舎内での追い駆けっこの原因となった三人の女生徒にひたすら謝り許して乞うた。
カテリーナは高等部一年生でありながらかなりの人望があるらしく、彼女が一言二言その女生徒達と会話をすると、俺はすんなりと許して貰えたので、俺と湖乃波君は唖然とカテリーナを見返すしかなかった。
ただおかっぱ頭の小柄な女生徒は俺の武道の心得はあるのかとか弓道場を見学しに来ないかとかしつこく食い下がって来たので、いずれそのうち見物しに行くということで何とか解放して貰った。もう子供の相手は勘弁してほしかった。
ようやく昇降口に辿り着き、この厄介な三者面談がようやく終わったと実感出来た。富樫母娘と川田女史と共に校舎外に出ようとすると、左手の受付からとても懐かしい声が掛けられた。
「あら、野島さん。無事探し出せたんですね」
受付から面談室の案内をしてくれた女性が顔を覗かせる。うん、若い大人の女性に久し振りに会ったような気がする。
「あ、有り難う御座います」
湖乃波君が慌てて一礼する。如何やら湖乃波君は俺が薄情にも帰ったものと判断したのだろうか。
きっと一生懸命受付の女性に説明したんだろうな。
「駄目ですよ、いい大人が迷子になっちゃ。大人はシッカリしてないと」
おまけに俺が迷子になっていたと勘違いしている。運び屋が道に迷ったら話にならんだろう。
「違いますよ。不幸な出来事が重なって足止めを食らってただけなんです。誤解です」
俺は彼女の誤解を解こうと口を挟んだ。
背中に突き刺さる四対の視線は取り敢えず無視する。
「え、でも迷子で警備員室に保護されてたんじゃないですか。野島さんは保護者が迷子になったて、慌てて此処に来ましたよ」
「全然違う」
しかし、本当の理由を説明するとこの受付の子に嫌われそうな気がするな。此処はグッと我慢の子だ。
「美文、この男はね学校の警備員を張っ倒して警備員室に連れて行かれたの。迷子とか可愛らしい理由じゃないのよ」
富樫理事長の指摘に美文と呼ばれた女受付嬢は、目を丸くして俺を見つめてきたので、俺はレイバンを外してウインクと百万ドルの微笑みを浮かべてみせた。
「え、じゃあ仲良くして駄目じゃないですか、先輩」
先輩? この受付嬢は理事の後輩? とすると、
「富樫さん、今何歳ですか?」
「女性に齢を訊くもんじゃないわよ。と言いたいけど、あんたが何を言いたいのか解るから答えてあげる。三十四よ」
え、御嬢さんが高校一年だから……。
「私は此処のOBなのよ。此処を卒業してフランス留学した年に結婚したの」
手の早い旦那だったんだな。ということはこの受付嬢の年齢は、まさか。
「二十九よ。見た目は大学出たてのひよっこに見えるけど、三年のキャリアがあるわ」
俺は二十五ぐらいと見積もっていたが、うーむ外国人が日本人の年齢が解らないとぼやいていたところを目にしたこともあったが、日本人も日本人の年齢が解らないぞ。
「もーっ、先輩、人の年齢をばらさないで下さい。これでも気にしてるんです」
三十路手前であることか、それとも見た目が年齢より低く見られることを気にしてるのか? しかし俺の守備範囲である事が判明したので、ここは美文君が二十九歳であったことを神様に感謝しておこう。
「警備員の方々とは偶々、不幸なめぐり合わせでこのような結果になってしまいましたが、僕は仲間内では紳士で通っているんですよ」
「はあ」
受付台の前に陣取って更に言葉を続けようとする俺のジャケットの裾を誰かが引っ張っているので、俺は仕方なく振り返った。
湖乃波君は右手でジャケットの裾を摘まんで控えめ引っ張っているだけだったのだが、その隣で金髪の子供が新しい玩具で遊んでいる子供の様な笑顔を浮かべて容赦なくジャケットの裾を鷲掴みして引っ張っている。
皺になったらどうするんだ。
「帰ろう、家に」
「早く帰らないと迷子になるよ」
当然、先に喋ったのは湖乃波君で、余計な一言を付け加えたのはカテリーナだ。
「じゃ、また今度、ゆっくりとお話しましょう」
俺はマイケルジャクソンのムーンウオークの様に二人に引っ張られ後退りしながら、昇降口を後にした。受付嬢が曖昧な笑みを浮かべて手を振って見送ってくれる。




