二章 女傑理事と金髪の小悪魔(2)
一階まで下りると非常口らしき扉が目に入ったのでそこから外に出るとしよう。
まず、細めにドアを開けて周囲に人影が無い事を確認する。
どうやら裏庭の傍らしく左手に愛車207SWを停めた駐車場が確認された。
湖乃波君には悪いがこのまま帰らせてもらおう。
俺は花壇の植え込みに駆け込もうと一歩踏み出したが、ふと、何者かの視線を感じてその方向に目を向けた次の瞬間、目に飛び込んできた何かを、身を仰け反らせて避ける。
その飛来物が足元に鈍い音を立てて突き刺さった。
「……」
それは和弓で使われる長めの矢だった。まず当たればケガどころでは済まない。
その矢が飛んで来た方向へ目を向けると、見覚えのある四階の校舎の窓から、日本人形の様なおかっぱ頭の少女が弓を構えて俺を睨み付けていた。
不幸な事に俺はその少女の容姿に見覚えがあり、俺が矢を射掛けられる理由についても多少心当たりがあった。
まあ、ほんの数分前だから忘れるはずがないのだが。
だが、ひとこと言わせてもらうなら、君はもう少し牛乳でも飲むべきだ。
こちらまで聞こえてきそうなくらいぎちぎちと引き絞られた弓は、指を放されると同時に解放された喜びをもって矢を放った。
第二射は、先程まで俺が突っ立っていた地面に突き刺さる。
くそっ、裏庭に燻りだされた。
続けて飛来する矢を、裏庭を前後左右に駆け巡りながら躱していく。
誰か止めてくれないとホントに死んじまうぞ。しかも矢の飛んでくる間隔が狭くなってるし。きっと避ければ避けるほど向こうもムキになっているんだろうな。
その様な幸運がいつまでも続くわけは無く、俺は駆けだそうとした右の爪先が地面に引っかかるのを感じて戦慄した。
風切り音を伴った矢は、確実に体勢を崩した俺の首筋へ向かうコースを進んでいる。
これはまずい。
俺は前へ崩れる姿勢のまま偶然足下に刺さっている矢を拾い上げた。その勢いのまま体を半回転させ右足を踏み出す。矢の羽より拳ひとつ分上を握り、鏃を斜め膝前に半身で構えた。
向かって来る矢は今まさに俺の正面、斜め上。
矢を振り上げる。全てがコマ送りの様にもどかしい。
俺の持つ矢の鏃は、俺に突き刺さろうとする矢の鏃を跳ね上げて、俺の背後斜め上へ軌道を逸らす。
「團馬流甲冑刀術、笙」
本来は近距離から放たれた矢を、懐剣や脇差で鏃を跳ね上げて、そのまま一息で距離を詰めながら振り下ろした一撃で射手を打ち取る技だ。
実際は鏃を狙わず横に払う方が矢を落としやすいのだが、次の動作まで移り難い事から團馬流はこの技を伝承している。
名の由来はこの技の練習に使う鏑矢が放たれたとき、技の名の笛の立てる音に似ていることからつけられたものらしい。
俺の技に射手が驚いたのか、矢が途切れた隙に俺は裏庭から裏門まで一気に走り抜けた。
警備員詰所の壁に背を付け、校舎から俺が見えない様に姿勢を低くする。
やはり学校という場所は、俺の様な日陰者には似つかわしくない場所なのだ。次からは何とか出席しなくてもいい方法を考えなければ。
「全く、学校というのは大変な場所だよ」
「本当にねぇ」
ぼやく俺の左肩を誰かが優しく叩いてくれた。
左横を見上げると門番の警備員が恵比寿の様な笑みを浮かべて俺を見下ろしている。
「解ってくれますか。良かった。じゃあ僕はこれで」
解ってくれませんでした。




