二章 女傑理事と金髪の小悪魔(1)
二章 女傑理事と金髪の小悪魔
1
面談の後、俺は川田教諭の案内で学校見学をすることとなった。殆どの生徒は帰宅しているが部活動に熱心な生徒は、十八時半の下校時間まで残っているらしい。
四階の窓から校庭を眺める。
俺は帰宅部だったが、よく下校の鐘が鳴るまで図書室で時間を潰していたことを思い出す。夕暮れの図書室は赤く染め上げられ、ここが学校だということを忘れさせるほど幻想的であった。
遠い昔の事だ。あの頃は何も知らない馬鹿だったよなと苦笑しつつ窓から視線を外して二人の背中を追った。いや、追おうとした。
廊下には俺ひとり、ぽつねんと静寂の中、立ち尽くしている。
これは、ひょっとするとはぐれたか。
階段と渡り廊下の傍まで移動して周囲を見回す。二人の姿は見えない。
俺はここで待っているべきか。それとも階段を下りる OR 渡り廊下を渡って二人を探す。
ここで待っていた場合、俺を探しに来た湖乃波君はどんな態度を取るだろうか。怒るならいいが、呆れられて迷子扱いされても困る。最悪なのは校内放送で探されることだ。
きっと門番の警備員は「また迷っているのか、あの親爺」と笑い話の種にするに違いない。
よし、決めた。自力で探し出す。決して迷子にはならないぞ。校内放送があの受付の美人の耳に入らないようここは迅速に行動すべし。
それでは彼女等は渡り廊下を渡ったか、それとも階段を下りたか?
普通、人を案内する時は、その場所を隈なく案内してから次の場所へ移る。つまり、彼女達はこの階の渡り廊下を渡って次の場所へ行ったに違いない。
俺は渡り廊下を向こうにある校舎に向かって早歩きで渡った。
渡り終えた先にある校舎は先程まで居た校舎と異なり、廊下がオレンジ色で並んだ教室の引き戸もそれぞれ赤青黄の三原色で色分けされており、この区画があか抜けているように感じられる。
取り敢えず室内から放し声のする教室から覗いてみよう。湖乃波君達がいればそれでよし。居なければ通りかかったかどうか聞くことにしよう。
俺は渡り廊下に最も近い赤色の引き戸に手を掛けた。中からは女生徒の声しか聞こえてこない事から、この教室はハズレかもしれないが、取り敢えずは確認してみよう。
「失礼、済まないが三年B組の担に……」
俺は引き戸を開けたまま硬直してしまった。
如何やら予想外の光景が目に入った為、思考が一時的に止まったようだ、等と解説している場合ではない。
そ、そうだ、取り敢えず戸を閉めよう。
ぎくしゃくと固まった体を無理矢理動かし、中に居た者達を刺激しないようにゆっくりと引き戸を閉じる。
小さい音を立てて引き戸と桟が接触したとき、俺は安堵の吐息をついてその場にしゃがみ込みたくなったが、此処はグッと我慢、踵を返して渡り廊下へ駆け出した。
背後で少女たちの悲鳴が響く。オウ、シット。
わざとじゃないんだ、わざとは。不幸な事故なんだ。それに俺は、ほら、ガキは苦手で特殊な性癖なんて持ち合わせていないんだぞ。俺は二十五歳以上三十五歳以下のボン、キュッ、ボンが好みだし、それ以外と付き合う気なんて毛頭ない。もしさっきの光景が俺の守備範囲だったら、俺は教室に居残って戸を閉めるぞ。絶対だぞ。
胸の内で自分でも訳の解らない弁解を繰り返しながら俺は階段を駆け下りた。校舎内では何故か火災警報器のベルに似た音が鳴り響き、いやがうえにも俺の焦燥感を掻き立てる。
チクショウ、俺は犯罪者か!
二段飛ばしで階段を駆け下りて一階にたどり着いた俺は、胸の内で鬼太鼓と化した心臓の鼓動を治めるべく両膝に手をついて一息吐いた。日頃の運動不足はこんな時に祟るものなのか。
一か月前に決心したエクササイズDVDを観賞しながらのトレーニングは、俺が金髪美女の出て来るシーンになると動きが止まるので効果が無く、また、背後で湖乃波君のあきれ返ったようなため息が聞こえてくるので目下封印中である。
左右の廊下から固い足音が響いて来るので顔を上げると、門番と同じ制服を着た逞しそうな男達が右から二名、左から三名駆け足でこちらに向かって来るのが目に入った。
校舎内に警備員室でもあるのだろうか。
このままでは挟み撃ちに合うのが確実なので、俺は萎えそうになる気力と、既に萎えてしまった両足を奮い立たせ、今度は階段を駆け上がった。しかしながら一段飛ばしで駆け上がるのが限度で疾走感は無いに等しい。
ん、なんで逃げてしまうのかな、俺は?
今度は四階まで上がらず、三階で廊下に出た。
こちら側の校舎は両端に階段があるので俺は反対側の階段に向かって廊下を疾走する。
階段の手前にトイレがあったので、残念ながら女子トイレだったが、掃除道具入れからモップとホースを頂戴した。
これをうまく使えば逃げられるかも。
モップから柄の部分を抜き取り階上から見え難い上から三段目の階段に横たえる。もし急いで降りてくる者が隠れたモップの柄に気付かずにこれを踏み抜けば、運が悪ければバランスを崩して階段を転げ落ちることもある。
ホースは階段の手すりに一方の端を結び付け、階下に垂らしてみた。二階まで届くようだ。
廊下を掛ける足音が近づいて来るのを耳にした俺は素早く手袋を両手に付け、ホースに飛びついて滑り降りた。問題はホースが俺の体重に耐えれるかどうかだ。六十二キログラムだからそれほど重く無い筈だが。
階段を駆け下りるよりも遥かに上回る速度で、俺は二階階段へ到達した。
運悪く、そこに階段を上がる途中の警備員がいた事だ。
おそらく階段を下りてくるであろう俺を待ち構えていたのだろうが、読みが甘かったな。そんな事では学校を守れないぞ。
俺は両足を前後に振り、落下する力のベクトルを斜め前方に変化させた。
今だ、とばかりに両手を放す。
警備員はまさか自分に向かって俺が飛んでくるとは思っていなかったらしく、俺を視認してから動きを止めたまま何も出来なかった。
「デーンジ・エ〇ド」
実際は単なるフライングクロスチョップなのだが気分が大切なのだよ。
哀れ多少は厚い胸板に俺の特攻を喰らった警備員は、ぐらりとバランスを崩すと、階段を一階と二階を繋ぐ階段の踊り場まで逆しまに滑り落ちて行った。
酷いケガをしていなければいいのだが。
踊り場まで下りて警備員の両頬を往復ビンタするとうんうん唸り始めた。
如何やら死んではいないようなので一安心。放っておいても大丈夫と判断して、そのまま逃げる事とする。




