一章 そういえば俺は保護者だった(7)
成り行きを傍観する俺と湖乃波君に、また副担は何か含みのありそうな険のある視線を向けた。
はて、俺はこの初対面の副担に恨みを買う覚えはないのだが。
俺の疑問は、副担の次に吐いた言葉でおおよそ見当がついた。
「それに野島さんの保護者、確か彼女の叔父でしたか。彼はクラスメイトの父兄に、絶対損はさせないからと融資を持ちかけていたんですよ。特に資産を持っていそうな御両親へは頻繁に連絡を取っていたらしく、学校にも苦情が来ているのはあなたも知っているでしょう」
「それは、野島さん本人の学業には関係のない事です」
それは初耳。あの野郎、借金になりふり構っていられなくなったか。
俺は先月一度だけ会った男の顔を思い出しながら、憮然とした。成程、そんな男の遠縁だと湖乃波君との関係を説明している俺は、副担からしてみれば同じ穴の狢、同類でトラブルの種としか見えないのかもしれない。
ひょっとしたら湖乃波君を追い出したいのかもしれないな。それは、この副担と融資を持ちかけられたクラスメイトの保護者だけか? 川田教諭は違うようだが。
「いいですか、他の生徒の保護者が胡散臭いクラスメイトの保護者を疎んじて、何の非も無い自分の子供を転校させる可能性もあるのです。野島さんに非は無くても、庇い立てしたら、一人の生徒を依怙贔屓していると受け取られても仕方ありませんよ」
副担の言葉は本当に容赦ない。じっとそれを聞いている湖乃波君の顔色は血の気が引いて蝋人形の肌のようだ。
俺と湖乃波君の叔父は同類だと言われてもその通りだと認めるしかないが、湖乃波君がその叔父の企てに加担したんじゃないだろう。湖乃波君の前でする話では無い筈だ。
俺は更に言葉を続けようとした副担の胸元に手を伸ばし、青のストライプ模様のネクタイを引っ掴んだ。そのまま手前に引くとその衝撃で、副担の首が仰け反った。
「あうっつ」
俺は引っ張る力をを面談用のテーブルに向きを変えて、勢いよく拳を表面に打ち付ける。続けて副担の額もテーブルの板にぶつかり鈍い音を立てた。
「お前は、少し黙れ」
俺は机から副担が上体を起こさないようにネクタイを引っ張り続けたまま、奴の耳元で低く言い聞かせる。
突然の俺の暴挙に、川田教諭は掌を口に当てて、銀縁眼鏡の奥の目を丸くしていた。湖乃波君も呆然と口を半分ほど開いて目を見開いたまま微動だにしない。
手が出たことに内心、早まったことをしたと思わないでもないが、それ以上にこの副担を黙らせたかった。
「確かに、叔父があんたとあんたの生徒に与えた迷惑には本当に済まないと思う。だが、その問題でこの子を批判したり、攻撃の対象となるのを庇わないのは、生徒の見本となるべき教師のする選択ではないんじゃないか」
「し、しかし、野島さんを庇えば、他の大勢の生徒の保護者が……」
「あんたのやるべき事は事実を明確にすることで、湖乃波君を責めたり、他の生徒や親の批判から学校を守ることでもない。湖乃波君は事前に、叔父がこの学校を資金集めにる要することを知っていたのか。また自分の学校の生徒からお金を借りるように唆したのかどうか。彼女が学校を休んだのはそのことが辛かったからなのかどうか。それを確認して生徒に説明するのが教師の役目だろう」
俺は空いている左手の親指で湖乃波君を指した。
「あんたは、叔父の行動を、この子が責任を負うべきだと思うかい」
副担は、はい、も、いいえも口にせず、押し黙ってしまった。
「あんたのやっているのは、自分の逃げ道を本当の通り道だと自分自身に納得させようとしているだけだ」
俺が握り締めたネクタイを放すと、副担は勢いよく起き上った反動で椅子を引き倒しながら床に尻餅をついた。
俺を見上げる副担の目には、俺への反発と僅か乍ら恐れが浮かんでいる。
まあ、好かれようとは思っていないから別にどうでもいいが。
「それに、俺は毎月、授業料を払うだろうし、この子もこれからは無断欠席しないだろう。それでも俺やこの子に非があるのなら、遠慮なく言ってくれ」
俺は話は終わったとばかりに背後のドアへ顎をしゃくった。
副担は床に尻餅をついたまま、ドアを見て、それから救いを求める様に川田教諭へ頼りない視線を向ける。
川田教諭と目が合うとそれに何を感じたのか、副担は項垂れるとゆっくりと腰を上げてドアへ力なく歩き出す。
湖乃波君は副担を気遣っているのか、声を掛けようとしたのか唇が動いたが、それはドアの閉まる音にかき消された。
「不愉快な思いをさせたようですね。申し訳ありませんでした」
「いいえ、俺も言葉が過ぎました」
露程も思っていないが、取り敢えず社交辞令を口にした。
少しは川田教諭に印象を良くしておかないと、湖乃波君の学生生活に支障をきたすからな。




