一章 そういえば俺は保護者だった(6)
川田教諭は安心したように笑みを浮かべると、少し身を前に乗り出しきた。
「あと、聞きたいことがあるのですが」
「何でしょう」
俺のスリーサイズ程度なら答えても良いが。
「野島さんとは家庭内ではどのような会話をなさっているのか、お伺いしたいのですが」
「?」
俺がよく解らないなと眉を寄せると、川田教諭は困ったように机の上で組んだ両手の親指を左右に振った。
「先程申しました通り、野島さんは学友に話しかけられれば、単語で答えてくれるのですが積極的に話しかける事は致しません。教師に対しても同じです。はい、いいえ、あとは頷くか左右に首を振るだけで会話が終わってしまいます」
俺との会話も同じようなもんだが、問題あるのか。
「休み時間も気になって覗いてみたのですが、誰とも会話せずに本を読むか、最近は料理の本をよく読んでいるのですが、あとスーパーのチラシを真面目に読んでいます」
「スーパーのチラシですか」
「はい。チラシをじっと見つめて、時々、腕組みしたり電卓を弄ったりしています。私が話しかけても気が付かずに没頭していることもありました」
俺は再び湖乃波君の横顔を盗み見た。俯いた姿勢はそのままだったが、顔が赤くなっている。
今の話が事実なら、日頃の食生活と財政問題は彼女の学業を阻害していることにならないだろうか。
俺としては、湖乃波君には孤高の一匹狼ではなく、年相応の学生生活を送ってほしいのである。まあ、キャッキャウフフ等、湖乃波君が其処ら辺の中学生と同じことをし始めたら、それはそれでたまげてしまうが。
「家でも俺とこの子は、そう積極的に会話する訳ではないのですよ。食事時に時々、学校の事や日頃の生活で必要な事を連絡しあう程度ですから。どうも世代間のギャップが大きいと共通の話題が無いもので」
俺は頼りない保護者の回答を返した。
実際、湖乃波君と俺の会話は一言二言で終わることが多い。大抵は俺の質問に彼女が頷くか、首を横に振るかで事足りてしまう。それに俺の冗談は、湖乃波君には無視されているので会話など続かないのだ。
まだ、湖乃波君が同居して一か月。まだ彼女も俺に対して警戒しているのかもしれない。
まあ、こんな得体のしれないおっさん、信用しろというのが間違っているのかもな。
「そうですか、内気そうな生徒でもご家族との会話ではその反対というケースもあるのですが、野島さんはその例には当て嵌まらないようですね。野島さんには、もう少しクラスメートに心を開いてほしいのですが、こればかりは無理をしてどうにかなるわけでもありませんし。ひょっとしたら、夏休み前に友達が出来ている可能性もありますから。見守っていく事にしましょうか」
何となく、湖乃波君から他人に話しかける事はあまりないような気がするんですけど。
おそらく、湖乃波君に興味を持った子が話し掛けても、彼女の感情の起伏の少ない表情で、「何?」と返答されると気後れするんじゃないだろうか。
不意に面談室のドアをノックする音が響き、それに続いて長身の青年が身を屈めるように室内に入って来る。
紺の背広はボタンが閉じられ、細面の顔にかけられた細いフレームの銀縁眼鏡から、この青年が担任に負けず劣らず堅苦しそうな印象を俺に与えた。
「失礼します。遅くなり申し訳有りません」
つかつかと早足で机の前にきた青年は素早く俺達に一礼すると、すっと椅子に腰かける。本当にせわしない。
「彼は副担任の久枝畑と申します。どうしても私と生徒の間では世代が広がり過ぎているので、彼には生徒との相談役とホームルームのサポートを担当して貰っています」
川田教諭の紹介を聞きながら、俺は副担任に一礼した。
ただその副担の青年の銀縁眼鏡から覗く細い目が、腰掛ける瞬間に俺を睨み付けたように見えたのは気のせいなのか?
久枝畑と呼ばれた副担任は、小脇に抱えた青いファイルを机の前に広げると、抑揚のない口調で湖乃波君に確認を取るように内容を読み上げ始める。
生徒の顔を見ずにファイルに視線を当てたままなのが、まるでこの副担任がデーターを相手にしている様で、僅かに俺へ副担任への不信感を抱かせた。
「野島湖乃波さん。君は昨年の夏まで上の中ぐらいの成績で悪くはなかったんだが、それから上の下まで下がっています。それに今年に入ってから学校をを休むようになっており、どんどん成績は下がり順位を三十番まで落としました」
副担任はファイルから目を離し、射ぬくように湖乃波君に目を据える。
「母親が亡くなったのは御気の毒に思いますが、いつまでもそれを引き摺って学業を疎かにしないようにお願いします。特にこの三学年に上がってから半月程、不登校でしたので、正直に言って授業について来られるのか疑問に思っています」
おいおい、どう聞いても御気の毒に思っているとは聞こえないぞ。
「それに授業料も滞納していたようですね。三学年に上がるつもりが無かったのかもしれませんが中学までは義務教育です。休まず登校するように。このまま授業について行けず再来週の期末テストで成績が落ちていたり、来月の授業料が払えなくなるのなら早い目に公立校へ転校することをお勧めします」
「久枝畑君」
担任の川田教諭が、副担の物言いを咎めるように叱責した。
副担は担任に叱責されたことに気分を害したのか、川田教諭に一言一言、言い聞かせるように反論した。
「言い方はきついかも知れませんが、普通、成績が短期間でここまで落ちるのは、滅多にない事なんです。あなたは様子を見ましょうと言ってればいいですが、他の教師からは放置していいのかとか、指導の仕方が誤っているのかとか、貴女に言わずにまだ若い私に言って来るんです」
若くて堪え性が無いのか、場数を踏んでいないのか、副担任は川田教諭に鬱憤を晴らすように噛み付いた。
確かにこの一見してベテランと解る川田教諭に意見しようとする同僚などいないだろうから、矛先が副担任に向くのも仕方がないか。
しかし、そういうことは俺達の居ない所で討論ってくれ。




