一章 そういえば俺は保護者だった(5)
3
受付の美人に訊いた通り第二面談室の前で待つ。面談の指定時間まで残すところあと五分だが、まだ担任は来ていないようだ。
正直、廊下にソファーでも置いてくれれば、待つ方も所在無げに突っ立っている事もなく気分的に楽なのだが、生徒がそこで寛ぐかもしれず、災害避難時の妨げにもなるので置いていないのだろうか。
ぼんやりと廊下の奥を眺めながら待つ。どうも白い壁の建物、特に学校やら病院とかは好きになれない。
その廊下の置くから四十代後半から五十代半ばぐらいのグレーのスーツを着た女性がすたすたと歩いてくる。そのきびきびとした足運びと持っているファイルから、この学校の事務員でも偉い人なんだろう。銀縁の眼鏡がその女性の纏う堅苦しそうな雰囲気をよりいっそう際立てていた。
ちょっと苦手なタイプだよな。この人のことはロッテン○イヤーさんと心の中で呼んであげよう。
そのロッテ○マイヤーさんは俺の手前で立ち止まると、まっすぐ俺の顔を見据えて「失礼、野島さんの保護者の乾 狗狼様?」と俺に尋ねた。
「はあ、そうですが。あなたは?」
俺はある予感に囚われつつも辛うじて返答した。そんな俺をロ○テンマイヤーさんは満足そうに見返してから一礼して、俺の今、聞きたくない自己紹介を始める。
「私は野島さんのクラス、3年B組の担任を受け持たせていただいております川田と申します」
「そうですか、それはどうも……」
萎えていく気持ちを自覚しつつ俺は湖乃波君の担任である彼女の顔を見返した。
確かに女性だよ。でも、出来れば二十年前、遅くても十五年ほど前に会えたら良かったよ。
何となく騙されたような気がするのは、俺の被害妄想だろうか。
「乾様? 何か、御加減が優れないなら別の日取りに致しましょうか」
悄然と肩を落としている俺の態度を不審に感じたのか、担任の気遣いに俺は首を振って答えた。
「いいえ、大したことですけど、私の都合ですのでご心配なく」
「そうですか、其れなら無理強いは致しませんわ」
担任は俺に背を向けて面談室のドアを開けた。室内は少し大きめの机が一つと、それを挟んで椅子が二つずつ並べられている。うーん取調室?
「すみません、遅くなりました」
背後から聞き慣れた少女の声が掛けられた。湖乃波君は急いで鞄を取って来たらしくやや息が荒い。
「いいえ、私も今来たところです。後、副担任の久枝畑君は資料を揃えてから来るようなので、私達で先に始めましょう」
「はい」
湖乃波君は俺に続いて面談室に入った。俺が「騙したな」と小さく呟くと、湖乃波君は僅かに目を細めると軽く首を傾げて「騙してないよ」と笑みを浮かべる。
窓を背にして担任が座り、それに向かい合って俺と湖乃波君が腰掛けた。担任は脇に抱えたファイルを机に広げてそれに目を落とすと、さて、とひとつ咳払いする。
「それではまず、野島さんの成績については、乾様はご存知でしょうか」
見た事も聞いた事も無いので左右に首を振る。正直言って学校内での話題なんて、せいぜい授業料が高いとかしか話題に上がったことが無いぞ。
「そうですか。では中等部を終えた後の進路についても相談したことは無いのですね」
「全然ありません」
俺の返答に、担任は僅かに眉を顰めると俺に言い聞かせるように、静かに説明しはじめた。
どうやら俺が保護者としての責任を果たしていないように受け取ったようだ。
「野島さんは中等部二年の夏まで学年内テストでは、全教科十五番以下に下がったことはありませんでした。決まった友達も無く、いつも独りで居たがる以外には問題の無い子だったのです」
成程、薄々思っていたけど、この子は人見知りが強いのか。あまり人との会話に慣れていないみたいだしな。でもそれが問題でないとしたら何なんだ。
俺は口を挟まず無言で先を促した。
「去年の夏、その野島さんのお母様がお亡くなりになってから彼女の成績が下がり始めました。私共も母親を亡くした為だろうと経過を見守っていたのですが、去年の冬には総合三十位まで下がりました。また学校も度々休むようになり、三学年に上がってから始業式に出たきり、四月半ばまで登校しませんでした」
まあ、その頃に俺と知り合ったんだよな。まあ、世の中何があるか解らないものだな。
横目で隣の少女の様子をうかがう。湖乃波君は俯いたまま身動ぎしない。彼女が母親を亡くしてどれほど辛かったのかは、俺が解ると言っては傲慢過ぎるだろうが、その後、一緒に暮らすことになった叔父については、俺と同じろくでなしだったのだから、学校どころではではなかったのだろう。
「三学年度の学費も四月末に遅れて振り込まれたので、何か経済的な理由で学業に支障が出ているのかと、今日はお伺いしたかったのですが」
うーん、経済的な問題なら常に付きまとっているぞ。俺はツケ払いにしてもらっているバーや飲み屋の請求書の束を思い浮かべて苦笑した。
それにこの学校の学費は年毎に一括払いだったが、学校の事務局に頼み込んで毎月十八日の月払いにしてもらったのだ。
さて、理由を話せと言われても、まさか湖乃波君の身に起こった事を正直に話すわけにもいかない。叔父の借金のかたに売り飛ばされそうでした、と正直に話せばこの〇ッテンマイヤーはどんな顔をするか。少々知りたくもある。
俺は兼ねてから湖乃波君と打ち合わせておいた叔父の疾走した理由を話すことにした。
「実は彼女の叔父の商いが、湖乃波君の母親が亡くなった去年の夏頃から傾き始めまして、年末には人手に渡すこととなったのです。それで叔父は金策に奔走しなければならず湖乃波君の世話を遠縁の僕に依頼して、叔父は海外での仕事に専念することとなりました。授業料は海外からの送金の手続きに手間取った為に間に合わず、月毎に払うこととなりました」
俺の話を担任は目を閉じて聴いていたが、俺の説明の合点がいったのか、湖乃波君に目を移して「大変だったのですね」と呟いた。
「解りました。今後、何か困ることがあれば私に連絡を頂けますと、何か手助けが出来るものと思います。中等部の最後で他の公立校へ転校なんて、今まで頑張ってきた野島さんの努力が無駄になってしまいますから」
うーむ、お堅い人だけの人かと思ったのだが、ひょっとしてとても良い人なのか。
「それは、とても助かります」
俺は安堵しながら正直に担任へ感謝した。学校という俺の手の届かない所で、湖乃波君を気にかけてくれる人がいるのはとても心強いものだ。
「野島さんも大変ですが頑張って下さい」
こくりと湖乃波君も首肯する。彼女なりにこの一見するとお堅い担任を信頼している様だ。




