一章 そういえば俺は保護者だった(1)
一章 そういえば俺は保護者だった。
1
半死半生の体で我が家である倉庫に帰り着く。
倉庫の傍らに207SWを駐車して一息吐いた。
「手強い相手だった」
取り敢えず車から降りて、今日の依頼の事は忘れよう。
あれは怪獣だったに違いない。きっと何とかパークとかいうう映画でプテラノドンと呼ばれる翼竜が出て来るが、あれを今日のベニコンゴウインコに置き換えても違和感なく代役が務まることは確かだ。
207SWに潮風から守るためのシートを掛けてから、倉庫の味も素っ気もないドアを開けてひと声かける。
「ただいまー」
約ひと月ほど前からの習慣である。別に寂しい独身男性がいなくなった妻子の残滓を思い出すために習慣を繰り返しているわけではない。その証拠に、
「おかえりなさい」
新たに購入したガス式グリルに掛けた中華鍋で、何かを炒めながら少女が返答した。
白いカッターシャツとチェック柄のスカート姿にエプロンを着けているのは、学校から帰って来てすぐに晩御飯の調理に取り掛かったからだろうか。
その両手が動くたびに黒髪を後頭部で纏めたポニーテールが揺れるのは中々面白い。鈴でもつければよく鳴るのではないか。
制服姿で黙々と料理を作る中学生にもようやく見慣れてきた今日この頃である。
別にどこぞの狒々爺やロリコン親爺の様に、その姿にときめきを覚える性癖もない。
俺としては、その中華鍋の中の料理が黒い煙を吐き出さずに完成してくれれば何も言うことは無いのである。
「何を作ってるのかな」
少女の背後から中華鍋の中身を覗き込む。
中には細く切られた白と緑色と藍色の食材がせわしなく掻き回されながら炒められて、食欲をそそる匂いを醸し出していた。
「チンジャオロースか。春は筍が安いからな」
「ん」
少女が同意するように頷く。
普段からこの少女はあまり喋らないが、調理中はよりいっそう無口になる。
程よく炒められたピーマン、筍、茄子に賽の目上に切られたエリンギが加えられる。チンジャオロースにエリンギと眉を寄せる者もいると思うが、エリンギはそれ自体の味も良いが、鶏がらの中華出汁が沁みやすく食感も弾力があり高級肉のようだ。
そう、俺が作り方を伝授したチンジャオロースは名とは異なり豚肉が入っていない。
某ぼさぼさ頭の主人公が「肉の入っていないチンジャオロースはチンジャオロースとは言わねえ」と吠えていたが、俺はチンジャオロースと認めている。
ヘルシーなんだぞ。野菜も大量に摂取出来るし。文句ないよな。ある奴は千円札を夕食代にカンパするんだぞ。
少女は鶏がらスープ百ccと四川豆板醤小さじ一、甜麺醤小さじ三を中華鍋に加えて水気が飛ぶまで炒め続ける。
俺は空いたコンロに鶏がらスープを入れた小鍋を掛けて沸騰するのを待ってから、細く裂いたカニかまぼこを混ぜた溶き卵をゆっくりと流しいれた。固まった卵にカニかまが絡んでいる。これで簡単卵スープの完成だ。
隣ではチンジャオロースが出来上がったのか、少女がコンロの火を止めて満足そうな笑みを浮かべた。この少女は滅多に笑わない為、この瞬間はかなり貴重なものと言えよう。
「出来た」
「こっちも出来上がった」
満足そうに頷いた少女が俺を見て、そして表情が凍りついた。
そりゃそうだろう、額の一部が切れて血が鼻まで流れているし、後ろに撫で付けた髪の毛には所々色鮮やかな鳥の羽がくっついて乱れている。
「ど、どうしたの?」
少女が心配そうに上目づかいで訊くのに俺は正直に答えた。
「大怪鳥と格闘してたんだ」
真面目に答えた俺へ、少女は呆れた様に眉を寄せて目を細めた。左手を腰に当てて右手のフライ返しを前後に振る。
「また冗談で誤魔化そうとして。いいよ、ご飯にしよ」
いや、ホントだって。
俺はハンガーに黒の背広を掛けてからカッターシャツの腕を巻くってテーブルに着いた。
少女が御飯をよそった茶碗を受け取り、それぞれ器に盛られたチンジャオロースと中華スープの隣に置く。
少女も自分の桜色の小振りな茶碗にご飯をよそってテーブルに着いた。
「いただきます」
「はい、いただきます」
少女はそう答えたものの、俺がチンジャオロースを口に運ぶのを息を止めてじっと見つめている。
俺が親の仇みたいな真剣な表情で見つめているので、何か喰い難いな。
取り敢えず緊張しながら咀嚼して嚥下する。
「美味い」
少女は安心したように肩の力を抜いた。ふっと嬉しそうに目を伏せる。
「湖乃波君、食事の度にそんなに気を詰めていたら味が解らなくなるぞ」
「だって」
少女、湖乃波君は顔を赤くしてもごもごと反論した。一寸行儀悪く箸で筍をもどかしそうにつついている。
「だって、失敗するともったいないし」
「まあ、そうだな。でも俺一人の時より食費は少なくなっているんだが」
だから気にするなと言おうとした俺の眼前に、三宮の地下商店街とポートアイランド港島にあるトー〇ーストアのレシートが突きつけられた。
それを持つ湖乃波君の眼は宝物を手に入れたかのようにきらきらと輝いている。
何だ、どうしたんだ、と箸を咥えたまま仰け反る俺に、湖乃波君が自慢でもするかのように誇らしげに語った。
「筍二分の一本が百円で、ピーマン一袋が五〇円。茄子も三本セットで百五十円。豆腐は 明日が賞味期限だけど二丁で九十円」
彼女には珍しく興奮したように長い言葉を一息で言い放った。
うん、驚いた、いろんな意味で。
「そ、そうか。じゃあ、明日は茄子と豆腐を使って麻婆豆腐にしようか」
湖乃波君は目を輝かせたままこくりと頷く。




