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運び屋の季節  作者: 飛鳥 瑛滋
第一話 1年目 春 四月
23/196

四章 クォ・ヴァディス(3)


 天井のシェードを開けているので、大型ガラスルーフから春の柔らかな日差しが車内に降り注いでいる。

 オープンカーで開放感を味わいたいが、風が巻き込むのは嫌という方々には大型ガラスルーフを持った207SWはお奨めだと思うがどうか。

 吹田ジャンクションから名神高速道路に移ったところで、俺は俺の最後の仕事が終わりに近い事を実感した。

 過去に危険度では今回の仕事を凌ぐ案件はいくつもあるが、別の意味で今回の仕事はトップクラスに厄介だ。

「どこで降ろせばいい?」

 前を向いたまま俺は助手席の少女に問い掛けた。

 少女が俺の横顔を見つめるのが解ったが、運転中であることを良い事に前を向いたまま「どこで降ろせばいい?」と再度尋ねる。

 ここで少女が「昭和基地まで!」と気の利いたジョークのひとつでも言ってくれれば俺も気が楽なのだが、この少女はきっと言わないだろう。

「……東須磨まで、そこに家があるから」

 僅かな逡巡の後、少女は意外としっかりした声で答えた。

「そうか。鷹取駅と東須磨駅のどちらが近い」

「東須磨駅です」

 運び屋は、ただ荷物を運ぶだけ。俺は阪神高速から若宮へ下りるルートを取った。そこからは縦横に走る細い路地を抜け、山陽本線の踏切を越えて北上する。

「ここを左です」

 少女の案内に従って到着したのは、こじんまりとしたどこにでもあるような古びた一軒家だった。白い壁と薄茶色の屋根をした庭の狭い建売住宅だ。

 助手席のドアが開けられ、少女が外に降りて家の門の前に立った。

 俺も207SWから出て、運転席のドアにもたれ掛かって少女の背中と表札の無い家を眺める。

 おそらくこの家は少女が母親と暮らし、母親を亡くした後は自分を見捨てた叔父と暮らした場所だろう。

 しかし今は門は鍵付きのチェーンで閉じられ、下げられたプラスチックパネルには貸家と大きく表示されて管理する不動産会社の電話番号が記されていた。その向こうの小さな二階建て家屋は雨戸を締め切って室内は窺えず、まるでまだ室内の残っているかもしれない少女の記憶の残滓と、いまここで家を眺めている少女とを断ち切っている様に俺は感じた。

 五分ほど、もう少し長いかもしれないが少女は家を眺め終えると門に近付き、その小さな両手で観音開きに開く門の取っ手を掴み引っ張る。門に巻かれた鎖がじゃらりと鳴るだけで、少女を敷地(なか)に迎え入れようとしなかった。

 開いたらどうするつもりだったのか、少女は暫く門を眺めた後、不意に俺を振り返り深々と頭を下げる。

「有り難う、御座いました」

 区切るように口から出たその言葉は、少女と関わった運び屋としての俺の最後の仕事が終わったことを告げたものだった。

 時刻は五時過ぎ、あたりは薄暗い上にサングラスを掛けている俺には、少女がどんな表情で終わりを口にしたのか見えない。

 少女は顔を上げると躊躇いもせず俺に背を向けた歩き始めた。

 俺が止めることは期待もしていないのか、それとも何かを覚悟したのか足早に遠ざからうとする。何処へ、という問い掛けさえその背中で拒絶している様だ。

 俺はひとつため息を吐いた。

 最後の仕事がこんな終わり方、俺はやっぱり御免だ。

 さて、運び屋としては今回の仕事の落とし前をつけないとな。

 俺はもたれ掛かった207のドアから身を起こし、少女の背中へ声を掛けた。

「おーい、君。運び賃の清算がまだだぞ。戻って来い」

 立ち止まった少女はしばらく俺を見返してから踵を返して俺の前に戻って来た。彼女にしてみればどうしようもない物事に、どうしようもない事が重なりウンザリとした気分なんだろう。

「私は、お金を持っていません」

 少女は整った顔に何の感情を浮かべず、ただ一言だけ言った。

「奇遇だな。俺もだ」

 俺は背広のポケットから愛飲する煙草【ワイルド・カード】の箱を取出し底を軽く叩く。

 少女は俺が何を言っているのか解らず形の良い眉を顰める。

 その表情を愉しみつつ、俺は煙草を口に咥えて抜き取り、予備のオイルライターで火を付け一服した。

 うん、仕事終わりの一服は格別だ。

 ワイルドカード。しかし誰の切り札だ? 俺はそう胸の内で呟き、少女に運び屋としてのけじめを伝えた。

「今回の依頼は行方を眩ました君の叔父さんから、彼自身を含む荷物を目的地まで運び、受取人に引き渡すことだった。ここまではいいかな」

 少女がこくりと頷くのを確認して俺は説明を続けた。

「で、君の叔父さん達がいなくなり、残った荷物は君だけとなっても君という荷物がある以上、俺は依頼を果たさなければならない。が、成り行きだが受け取り手に荷物を引き渡すことを俺は失敗してしまった。まあ、依頼を達成出来なかったんだな」

 達成しなかったんだが、別にこの違いについては少女に説明するつもりは無い。

「本来なら達成出来なかった依頼には、依頼料の返還と違約金の支払いを依頼者にするんだ。依頼人の君の叔父さんがいない以上、君が違約金の受け取り手なんだが、生憎、俺は素寒貧、この意味解るかな、さっきも言った通りお金が無いので支払えないんだ」

「え、でも違約金を払うのは私達の方だって、あの時……」

「それは、俺が君を鳳会に渡した場合の話だ。俺は君を奴等に引き渡してはいない」

 近露王子での事を覚えていたのだろう。少女は予想もしていない俺の説明に目を丸くしている。どう反応していいのか解らないんだろう。

 俺は咥えていた煙草を地面に捨ててから、足で踏みにじって消した。少女に頭を下げて、両手を合わせる。

「で、ものは相談なんだが、君は中学三年生だから、あと一年間、君が働けるようになるまで俺が生活費や学費の面倒を見るってことで、何とか、後生だから了承してくれないかな。俺が傍にいるのは今日みたいに危険に巻き込まれることもあるかもしれないけど」

 えっという様に少女が気圧されたように一歩後ろに下がる。

「頼む、働いてお金は稼ぐから。助けると思って」

 ちらり、と視線を上げると少女はええと、と呟いて天を仰いだ。

 俺はついでとばかり柏手を打って、胸前で十字も切った。これで駄目ならコーランでも唱えるか。

「わ、わかったから。もう、止めて」

 アッラーアクバルと唱えて明後日の方向を祈り始めた俺を少女は慌てて止めた。

 大丈夫、モスクの方向など知らないから罰は当たらないって。

「ええと、私はそれでいいから。文句はないから」

 俺と視線を合わせず俯いて少女が了承してくれたので、俺は立ち上がって膝に付いた砂埃を払った。これで何とか問題は解決するかなと胸をなでおろす。

「よかった。駄目なら車を売ってでもお金を作らないといけなかったんだ」

 俺は右手を少女の前に差し出した。

「それじゃあ、君に雇われるとするか。まず自己紹介と握手だな」

 少女は戸惑いながら差し出した俺の右手を握った。これで契約成立。俺は運び屋のプライドを掛けてこの契約を守り抜こう。

「俺の名はいぬい 狗狼くろう。まあ、偽名だから変でも気にしないでくれ。職業は知っていると思うが運び屋をしている」

 俺はサングラスをしたままでは失礼かなと思い、サングラスを外す。これまでの最年少契約者更新で中学三年生の子供だから人生は何があるか解らない。

「仕事で関わる奴等は、俺の事をブレードと呼んでいる。頼りない大人だが、これから一年間よろしく頼む」

 少女が顔を上げた。真っ直ぐ俺の目を見つめ唇が動いた。

「私、私も……よろしく、おね……」

 変化は急だった。少女の頬を一筋涙が伝ったと思ったら、次から次へと流れ出した。 

 少女の手が俺から離れ、少女はぺたんとその場に制服のスカートが汚れるにも構わずしゃがみ込んだ。

 少女の泣き声が周囲に響いて、少女の家の向かいの二階の窓から四十代ぐらいののオバちゃんが顔を出す。泣いている少女と俺を視界にとらえて表情が強張る。

 俺が泣かせたんじゃないよ。と身振り手振りで説明してみるとひとまず顔が引っ込んだ。警察に連絡するつもりじゃなかろうか。

「ご、ごめん、なさい……ごめん、なさい」

「ああ、まあ、気にしないで気が済むまで泣いたらいい。俺は気にしないから」

 俺はまだ待てるぞと、煙草を口に咥えて火を付けた。普段は仕事終わりに一本だけ吸うのだが、今回はもう一仕事終えたような気分なので、もう一本吸うことにした。

 煙草を吸い終える頃、ようやくしゃくりあげる程度になった少女へ俺は車に乗るよう促そうと一歩踏み出したが、背後でから「あんた、コノハちゃんになにするの」と大声で怒鳴られ背後を振り返った。

「わあお」

 背後には先程、向かいの家から俺達を見ていたおばさんが仁王立ちしていた。その太い腕には何故かぶっとい大根が握られている。

 あなた、大根で何するつもりですか?

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