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運び屋の季節  作者: 飛鳥 瑛滋
第一話 1年目 春 四月
22/196

四章 クォ・ヴァディス(2)


                   2


 阪和自動車道をただ北上する。一昨日と異なり今日は何事も無いドライブが続く。

 俺は一言も話さず運転に専念して、少女も時々舟を漕ぐこともあるが、殆ど窓の外を何を考えているか解らない無表情で前を眺め続けるだけだった。

 ただ壊れそうな硝子の様な静謐(せいひつ)さを保っている気がするのだが、普段、ガキの、しかもこんな年代の女子と接することのない俺の受けた印象だから見当外れである可能性は高い。

 正直、この依頼を受けてからこの少女が取り乱したり、子供っぽく泣いたりするところを見ていない。普通、このような境遇に落ちたら取り乱したり、泣き喚いて絶望したりするだろう。大人の勝手な都合で振り回されるのだから、愚痴をこぼす権利だってあるはずだ。

 紀ノ川SA(サービスエリア)で遅い昼食を取る。

 少女はフーズエリアの食券販売機の前でしばらく考え込んでいたが、その地特産のメニューではなく単なるきつね饂飩(うどん)を選んだ。安いメニューを選んだのは気を使っているのだろうか。俺も食欲が無いので同じくきつね饂飩を注文する。

「いただきます」

 少女が胸前に置いた饂飩の鉢に向かって手を合わせて一礼した。何気ない仕草だが、少女が母親と食事するとき、いつもこのように食事を始めていたのだろう。

「君のお母さんはいい人だったんだろうな」

 ついそんな言わなくてもよい一言が口をついて出てきた。少女が、声に出さず、何? と視線を上げて問い返した。

「いや、気にしないでくれ。ただ、自然に食事の前に手を合わせたから、君のお母さんが、そう教えてきたんだろうと思っただけだ」

 ふと、少女の表情が揺らいだように見えた。が、気のせいだったようで少女は無言で饂飩を啜り始めた。俺も余計な事を言ったものだと少し後悔しつつ饂飩を啜る。饂飩の味は美味(うま)いのか不味(まず)いのか解らなかった。

 食事を終えてフーズエリアの野外に出ると、少女は不意に吹いた風に掌を目の前にかざして目にゴミが入るのを防ごうとした。俺はサングラスを掛けたままなのでそんな必用はない。

 だからこそ視界に入った異常にすぐ体が動いた。

「ふざけるな!」

 紀ノ川SAに何故、(おおとり)会の赤シャツパンチが居るのか、それは大した問題ではない。

 問題は赤シャツパンチの赤く染まった包帯が巻かれた右手に抱え込まれた紙袋から、怒号(どごう)と共に左手が抜き出したモノが非常に剣呑なものだということだ。

 鈍く光る黒い鉄色の肌を持つ凶器は、迷うことなく俺と少女に向けられた。

 少女が手を下ろしこの状況に気づくより早く、俺は少女を手首を掴んで引き寄せながら自らもその反動を生かして左前にうつ伏せに倒れ込む。

 次の刹那、よく響く炸裂音が連続して空気を震わせる。

 すぐ後ろに居た子供を連れた母親が、子供の手を握ったまま後方へ突き飛ばされるように倒れ込む。

 湧き上がる悲鳴。怒号。足音。

 すぐに銃声が鳴り止み、俺は少女を抱えたまま首をねじり赤シャツパンチを仰ぎ見た。

 奴は左手に構えた拳銃のグリップから空になった弾倉(マガジン)を落として、背広の右ポケットから予備の弾倉を取出したが、右手の人差し指が無い為にグリップの底に開いた穴に弾倉を上手く差し込めず、耳障りな金属音をたてる。

 距離は八メートル程度、身を起こして駆けながら俺が抜いた折り畳みナイフに怯えたのか、赤シャツパンチは弾倉を強引に突っ込むと俺の顔へ銃口を向けようとした。

 遅い。

 タオルの叩く様な音と共に、拳銃を握った赤シャツパンチの左手首が右に吹き飛んで空中に赤い花を咲かせる。

 驚愕の眼差しでそれを追う赤シャツパンチの横っ面にヴァレンチノの革靴を履いた俺の回し蹴りが突き刺さる。

 横倒しに倒れる赤シャツパンチの脇腹に軽く蹴りを叩き込み、仰向けになった奴の胸板を膝で押さえつけ、動けないようにしてから見下ろす。

「こんなところで発砲()ちやがって。眼鏡ヤローの指図か?」

 俺の問い掛けに赤シャツパンチは汗と涙、自分の唾液で汚れた顔をクシャクシャにして、手が手が、と譫言(うわごと)を繰り返すばかりで返答すら出来ない状態だった。

「ちっ」

 ナイフを浅く赤シャツパンチの額に突き刺す。血の玉が盛り上がり、額から奴の鼻に沿って流れ出す。

「答えないと、どんどんあんたの頭の中にナイフが入り込んでいくが。竜胆(りんどう)の指示か?」

「……違う、俺をコケにした、い、痛え、仕返し、だ。ひでえよ、俺の手が」

 俺は僅かに膝を上げてから、体重を掛けて再び膝を奴の胸板に落とした。短くせき込んで意識を失う。

 こんな騒ぎになった以上、直ぐにここを離れたほうがいい。俺は振り返って少女に車に戻るよう指示した。

 少女は仰向けになったまま肩を押さえて呻いている女性と、その傍らで泣き喚いてる坊主ガキに目を奪われて微動だにしない。

 俺は少女に駆け寄り力なく垂れたその手を掴もうとしたが、びくりと跳ね上がって俺の手を避けた。

 少女の開かれた眼には、それに映る俺への怯えが含まれている。

「行くぞ」

 強引に手首を掴んで207SWまで連れて行く。全く、餓鬼はこれだから嫌だ。

 少女を助手席に強引に放り込み、俺は運転席に座るや否や、キーを捻ってアクセルを一気に踏み込む。

 勢いよくスタートした207SWを避けようと数台の車が急ブレーキで停まるが、俺にそれを気にする余裕はない。

「だから、暴力は面倒臭いんだよ」

 怒鳴り声と共に時速百四十キロを超えて本線と合流した俺は、更に追い越し車線と走行車線を行き来しながらさらに速度を上げた。

 千六百CCの直列四気筒エンジンが咆哮する。

 十分程度走り続け、かなり距離が進んだので走行車線に戻り時速百キロ程度に落とす。隣で少女が強張らせていた体から力を抜いて一息吐いた。

「叔父さんが逃げなければ、あの人はあんな事にならなかったのですか」

 少女が前を向いたまま不意に問い掛けてきた。

「叔父さんは、私以外に何人不幸にしているのですか」

 少女は涙を流していなかったが、俺には慟哭しているように感じられた。俺は答えるべきなのか?

「……叔父さんだけじゃない。俺も、あの赤シャツパンチも、存在するだけで人を不幸にしている存在なんだ」

 そう、少女の叔父も赤シャツパンチも竜胆も、そして俺も人の不幸を飯のタネにする死肉喰いの蛆虫に過ぎない。

「君の叔父さんと俺に優劣等無く、あるのはただ、自分が生きる為に何を犠牲にしているかの違いにしか過ぎない。君の叔父さんは生きる為に君を借金のカタに差し出し、俺は生きる為に、さっきの赤シャツパンチを傷つけた。俺も大差のない同類なんだ」

「……運び屋さんは、私を、助けてくれた」

「巻き添えになったあの母子おやこにその理屈が通用するかい? 彼らにとってはあの赤シャツパンチも俺も同じだ。もし奴らと違う人間になりたいなら、あの母子を病院に運んで、その後、警察に自首するしかないね」

 俺より赤シャツパンチの方が酷い奴だ、などという自己正当化論は通用しない。

 ただ、それでも最低限のルールを作り、それを守ろうとするのは俺の我儘だろうか。

 それにも疲れてきたが。

「俺たちに違いが出るとしたら、最後に見送られて逝くか、誰も知らず溝に顔を突っ込んで死ぬかの違いなんだろうな」

 少女はそれ以上問い掛けてこず、俺も黙り、運転に専念する。

 そうだ、この仕事を終えたらナンバープレートを情報屋から購入しないと。本当に今回の仕事は予定外の出費が多い。


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